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 そして、ニナは新しく自分の部屋とされた部屋に連れて来られた。  どうやらこのまま家には戻れず、城で暮らさねばならないらしい。  もともとニナが拒否することを想定していなかったのか、既に部屋は綺麗に整えられていた。  白を基調とした部屋は清潔感があり、所々年頃の少女が好みそうな意匠が散りばめられている。長期で暮らすのに居心地の良さそうな部屋ではあった。かといって、住みやすい場所かと言われればニナは口をつぐんだだろう。 (ここには私しかいないんだわ)  母も姉もおらず、いつも家で見守ってくれている亡き父の思い出もない。それがひどく寂しくて、寒々しい。 (今日から私は……)  物だけが整えられた部屋の真ん中で立ち尽くし、俯く。  その時、突然扉が開いた。  振り返ったニナはそこに立っていた人物を見て息を呑む。 「……赤銅色の髪に新緑の目の女、か。案の定君だったとはな」 「あなた……」  蔑んだ眼差しを注ぐその男は、舞踏会のあの日、ニナのドレスを馬鹿にした男だった。  ニナは声に出さずにどうして、と呟いた。そして、すぐに理解する。 「あなたがこの国の王子様だったんですね」 「口の利き方には気を付けてくれないか。まず、俺の名前は『あなた』ではない。君は自分の住む国の王子の名前すら分からないのか?」 「……それは、申し訳ありません」  どんな名前だっただろうかとニナは必死に考えを巡らせた。  聞いたことがないはずはない。ただ、あまりにも日常から離れていて記憶に残らなかっただけのこと。ニナには王子の名前より覚えることが日々の暮らしの中で多くあった。 「レンド、だ。レンド・ユメル・セイシア。このセイシア国の第一王子であり、次期国王でもある。そして、今夜からは君の夫だ」  ニナは口の中で夫となる相手の名を呟く。レンド・ユメル・セイシア。夫となると言われてもいまいち納得できるものではなかったが。  少し考え、ニナも自分の名を告げる。 「ニナ・アルテッドです。……今夜からはニナ・セイシアになるのでしょうか?」 「君のような人間にこの国の名を許すわけがないだろう。父上に選ばれたからといって勘違いだけはしないでもらいたいな」 (……聞いただけなのに)  正直な話、ニナは早くもこの結婚を後悔していた。  嫌な予感がしていたとはいえ、さすがにこれはない。あの舞踏会で出会った中から最も問題のある男が選ばれてきてしまった。否、選ばれたのはニナの方だ。 「婚礼の式は行わない。俺の方から父上に申し出た。諸外国に庶民との婚姻を知られるのは外聞が悪い」 「……ですが、あなたの妻になる以上、私も外交の場に出向くことがあるのでは?」 「変な知識があるんだな、君は。そういったプリンセスも例外ではない。だが、俺は君にそれを望まない」  は、とレンドは鼻で笑った。それがあまりにも悪意に満ちたもので、ニナはびくっと身を震わせる。 「俺は君との結婚を承諾せざるをえなかった。だが、許されるのなら今からでも離縁したいし、できれば顔も見たくないと思っている」 「……では、私に何を望むんですか。この国のプリンセスとして、あなたの妻として何をすればいいんでしょう」  なにかしなければ、家族と別れもできないままここに残った意味がない。ただ援助をするためだけに残ったのなら、自分を売っただけなのと変わらないだろう。  せめて、役目を。  そんなニナのすがるような眼差しを受けてなお、レンドは冷たい笑みを向けた。 「俺の夜の相手だけすればいい。君のような女でもそれぐらいの役には立つだろう」 (……夜の相手?)  その意味をニナが理解できなかったのも無理はない。  悲しいかな、家族の手で優しく大切に育てられてきたニナにはそういった知識が備わっていなかった。恋人もおらず、ほとんど異性との接触もなかったのだから当たり前といえば当たり前である。  そしてその反応に、レンドは気付かなかった。 「今は父上の提案を受けた身の程知らずな女の顔を見に来ただけだ。また夜になったら来る。せいぜい、身綺麗にして待っているといい」 「……はい」  それしかニナには言えなかった。とりあえず綺麗にしなければならないらしい、ということだけ飲み込む。  まだ困惑が消えないニナを残し、レンドは部屋を出て行った。顔を見に来ただけだというのは本当らしく、振り返りすらしない。  それを、ニナは少し寂しく思った。 (舞踏会ではとても嫌な人だったわ。でも……これからは私の旦那様になるのよね。だったら仲良くした方がいいんじゃないかしら……?)  彼がそう思っていなくても、ニナはそうしたいと思った。  今も明らかに敵意を向けられた気はしないではなかったが、それでも。 (……私にできることをしよう。まずはそれからよ)  ぎゅっと握り締めた手には驚くほど力が入らない。  その手が震えていることにすら、ニナは気付かなかった。
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