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第15話 梓、出会いを拾う ⑧

   逃げる手段をグルグル考えていて、梓はハタとする。 (ちょ……ちょっと待って。だから何であたし追い込まれてる? 怜くんに追い込まれてる意味が解んない)  捕まったら当然、問答無用で家に強制送還されるものだと思っていたのに、頭の中で何度リプレイしてみても引っ張り込まれる理由が見つからない。  グダグダと考え込んでいたら、突然脚の間に怜の膝が割り入って来て、彼の顔がぐっと近付いた。梓の顔から瞬く間に血の気が引いて行く。  兄とも師匠とも慕ってきた男の豹変に、梓の脚が意志に反して震えだし、怜が喉の奥で笑っている。すこぶる愉しげに。  それでふと思った。先刻は何気にスルーしてしまった怜の台詞。  “無防備な顔で男に笑い掛けるって、何かの冗談?”  確かにそう言った。  だからこれはきっと、危機管理意識の低すぎる梓に、身を以て知らしめるためのお仕置きであるに違いない。  油断したら見入ってしまいそうな彼の顔が、息のかかる距離にある。  梓は怜の胸を押し返し、「わかった。ごめんなさい」と彼から目を離すことなく言った。怜が小首を傾げ、不思議そうな顔をして梓を見下ろしているが、気にも留めずに言を継ぐ。 「怜くんの言いたい事は解った。今後、男の人相手に気を弛めないように気を付けます。だから怜くんが身を挺して教えてくれなくても大丈夫だから、ね?」  もう充分怖かったから、怜の思惑は成功だ――――そう確信していたのに。  怜は綺麗な顔をポカンとさせ、梓を見ている。 (……あれ? なんか違った?)  そういう事ではなかったのだろうか?  だとしたら他にどんな意味が隠れているのだろう。  オタオタし始めた梓に怜が思いきり吹き出した。 「なっ! 何でそこで笑うッ!?」  梓をガン見したまま声を殺して笑う怜に頬を限界まで膨らませると、笑いがいちだんと酷くなり、梓は泣きたくなった。 (ホントに何なのこの人!)  下唇を突き出して、涙をぐっと堪えながら怜を睨み上げる。 「ヤバイ」  独り言のような彼の呟き。  繊細な指先が梓の輪郭をなぞり、細めた双眸に愉悦が浮かぶ。  腰から這い上る悪寒に梓は大きく身震いした。 (いえ。ヤバいのはあたしです。そろそろ正気に戻って頂けないでしょうか!?)  これ以上近付かせないために、彼の胸を両手で押し返しているのに、距離がどんどん狭まって行く恐怖。 「帰したくないな」  彼女はヒッと息を呑んだ。 (どの口でその言葉を吐く!? あたしはすこぶる帰りたいです。師匠!)  一も二もなく帰りたい。  出来る事なら光速で逃げ出したい。 「コイツ邪魔だな」  そう言って梓の手からバッグとショッピングバッグを奪い、下にすとんと落とした。ぱたりと倒れた紙袋を見て、ガラスの心配をしてしまう梓も大概呑気だ。  しかし彼女の心配など知る由もなく、彼の唇が重なり舌先が梓の唇を這う。  一瞬、頭が真っ白になった。  誰が本気でしてくるなんて思っただろう。少なくとも梓はそうだ。 (!? あ…あたしのファーストキスーッ!! ……うっ)  怜の指に顎を引かれ、微かに開かれた唇の狭間からニュルッと挿し込まれた舌先が、口中を蠢めく。梓は眼を見開いて必死の抵抗を始めた。  暴れて怜の胸を叩く梓の手を、容易く壁に縫い付ける男の力に驚愕する。  怜と目が合った。  彼は唇から離れるとうっとりする微笑みを浮かべ、「初めてだよね…?」と囁く声で言う。梓は、散々人の恋愛を妨害して来た人が言うか、と怒鳴りたいのを涙ながらに堪えた。  彼女は窄まった気管を開くように大きく息を吸い込んで、目の前の彼に言う。 「れ…怜くん。ちょ……落ち着こう?」 「僕は落ち着いてるよ」 「やややっ。正気じゃないって。だってあたしだよ?」 「うん。だから?」 「だからじゃないでしょ!? あたし! 女だよ!? 怜くん酔っぱらってるでしょ!?」 「まあ、お酒は入ってるね」  首を傾いでやんわりと微笑む美貌の彼に、目の前がクラクラする。  危機的状況化に在りながら、それでも尚、怜の美貌に見惚れてしまう自分の緊張感のなさに嫌気が差した。 (誰かお願いッ! あたしが崩壊する前に、この人どっかに連れてってーぇッ!!)  梓の心中の雄たけびを嘲笑うかのように、怜の両腕にがっちりと捕獲され、足が宙に浮いた。  腕ごと抱き込まれ、唯一自由な脚で必死に怜の脛を蹴飛ばすも、板割りするような脛に堪える様子は全くなく、羞恥心と引き換えにした策を取るには、無謀かつ危険な感じしかしない。  絶対におかしい。 (怜くん、自棄起こすほどショックなことでもあった?)  そうとでも思わないと、怜の行動に説明の付けようがない。  だとしたら偶々怜と遭遇してしまったばかりに、有難くもない憂さ晴らしの標的に選ばれたことは、甚だ遺憾である。  ひたすら混乱している梓を抱え、怜は軽々と歩き出した。  帰したくないって、怜は梓をどこに連れて行くつもりだろう?  本能的に感じる恐怖に震えが走った。なのに梓の荷物が脚にパタパタ当たって、どうにも緊張感が持続しない。  気を削がれながらも、梓は大事なことを聞かなければと、首を後ろに引いて怜を見た。 「れ、怜くん、あたしを、どうするつもり…?」 「う~ん。どうしよっか?」  素っ惚けた物言いにイラっとする。 「どうしよっかじゃなくて、何方にいらっしゃるご予定で?」 「手っ取り早く、ウチ?」 「ウチって何処のウチでしょうかッ!?」 「僕んちに決まってるでしょ」  何でそんな判り切ったことを訊くのと言わんばかりに、怜は溜息を吐きながら首を振った。梓が逆毛を立てた猫の様に小さく唸る。 「なんでッ!? そこはあたしを家に帰して、怜くんは自分ちに帰るのが筋ってものでしょッ!」 「帰したくないって言ったでしょ?」 「だからどうしてそーなる!? 有り得ないでしょ!!」 「その理由を探る」 「はあッッッ!?」  また訳の分からないことを言い出した。  今日の怜は徹底的におかしい。その検証に梓を使うなんて以ての外としか言えない。  路肩に停まっていたタクシーに乗り込み、怜がマンションの住所を告げる。  緩やかに走り出した車の中でも怜の腕は緩むことなく、彼の膝の上に乗せられている梓をルームミラーでチラチラ見るドライバーが、何とも居た堪れない。 「お熱いねえ。お二人さん。おっちゃん茹っちゃうよ」 「そうでしょ」  怜がクスクス笑う。 (待って待って待って! 何故然も当然って体で言う!? いやダメだ。このままで絶対いいわけない。だって怜くんは……怜くんは、お兄ちゃんの恋人なのに~ぃ!!)  この人はゲイです! しかも兄の恋人です、と声を大にして言ってしまいたい。  今頃はまだ、福岡で呑気に酒を飲んで浮かれているだろう兄に思いを馳せる。 (お兄ちゃーんッ!! どうして肝心な時に居ないのッ!? 妹に危機だぞ―ッ!!)  恋人の急な変化に気付いてもいないだろう翔が恨めしく、梓は歯噛みする。  ギッと梓が睨むと、怜は彼女の耳元に唇を寄せ「余計な事を騒いだら、容赦しないから気を付けて」と囁き、喉の奥を震わせた。 (容赦しないって……どゆこと?)  額に嫌な汗が滲む。  梓はどこか遠くから聞こえて来る “ドナドナ” に黄昏ながら、ゲイである男に拉致らて行くのだった。
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