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第14話 梓、出会いを拾う ⑦

   城田は、梓が落ち着くのを辛抱強く待ってくれた。  “友達” を連呼する梓に彼はいささか複雑な表情を見せたけど、うんうん頷いて「友達なら一緒に夕飯食べようか」と押し切られた。  城田が梓を連れて行ってくれたのは、おばあちゃんと言われる年代の白人女性が一人でやっている、創作イタリアンの小さな店。  ちょっと低めのL字カウンターに十席と、四人掛けのテーブルが二席の小ぢんまりした店内は、常連客で犇めき合っていて、城田の顔を見た女店主は奥から形の違う椅子を一脚持ってくる。他の常連客も慣れているらしく、少しずつズレて行って、女店主は一つだけ空いていた椅子の隣に並べて二人に勧めた。  唖然としていた梓を豪快に笑い、女店主はカウンターの中に戻って行く。  隣のお客と肩が触れ合いそうな距離。  身を乗り出して向こうのお客に話しかける人。  一斉に笑いが巻き起こる店内。  城田もそれに混じって笑っていると、彼のひとつ向こう隣りの女性に話しかけられ、マゴマゴして俯く梓をネタにし、城田が揶揄われていた。  心地の良い空間だ。  料理からは女主人の人柄が伝わって来る。  それまで緊張し捲っていた梓の心が解きほぐされ、心がほんわかと温かくなった。  頭の中がいっぱいいっぱいでその上気後れしないように、この店をチョイスしてくれた城田の優しさが胸に染み入る。  美味しい食事と少々のお酒、愉しい会話のお陰で、時間はあっという間に過ぎていて、何気なく腕時計を見た梓は、一気に現実に引き戻された。  ふわふわと心が躍るようなひと時から、立ち去らなければならないことに、名残惜しさを感じる。  けれど、明日も仕事だと思えば仕方ない。  時間は二十二時を回っていた。  怖くて意識的に着信を見なかったけど、梓が帰宅していないのは、もうきっとバレている。もし仮に明日、遅刻したりサボったりしたら、どんな仕打ちが待っているか。  想像した瞬間、背筋が寒くなった。  店を出て、ブルっと震えた梓に「寒い?」と訊いて来た城田。梓は頭を振って「行きましょ」と先を歩き出す。  来た時はおどおどしていた梓も帰る頃には満面の笑顔で、常連客と再会を約束して店を出た彼女の変わり様に、城田も「連れて行って良かった」と満足そうに微笑んでいる。  城田の笑顔を見て、梓は今の今まで忘れていたことを思い出し、真っ赤になって俯くと、隣からクスクス笑う声が聞こえた。  どれだけ緩みきっているんだろうと、恥ずかしくなって一層赤くなる梓は、やはり城田の笑いツボらしい。「もお知りません」とズカズカ歩く梓に、笑いながら謝っても逆効果というものだ。  タクシーの拾える所まで、何だかんだと戯れながら歩いていた梓が、突然ピキーンと固まった。城田が訝し気に彼女を見ていると、ジリジリと後退り始める。 「? アズちゃん?」 「………げてっ!」 「え?」 「に…逃げてッ!」  梓の引き攣れた声。城田の顔に困惑の色が浮かんだ。 「はやくぅ」  そう言って梓の細い腕が城田を自分から引き離そうとする。押しやられる城田の顔に微かな怒りが浮かんだ。  今にも泣きそうな梓を置いて逃げる選択肢などある訳もなく、何故急にそんな事を言い出したのか、城田は彼女の視線の先を追った。  優に百八十センチを超えているだろう長身の、顔だけ見たら決して男には見えない麗人が、こちらを睨み据えていた。  彼が一歩踏み出すと、梓がジリッと退る。 「し…城田さん」  口を余り動かさないで梓が呼び掛けた。 「なに?」 「今日は本当にご馳走様でした。先立つ不孝をお許し下さい」 「えッ!? なにそれ!?」  城田がそういうが早いか、梓が踵を返して走り出したのが早かったか。  行き成り走り出した梓の背中に「あずさーッ!!」と麗人の怒声が投げつけられ、城田の足が止まった。  唖然とする城田の前を通り過ぎ様に睨み「殺すッ」と物騒な台詞を残して、彼、南条怜は必死の形相で逃げていく梓を追うのだった。  本気の彼から逃げるには、ストライドの差に大きな問題があった事を、今途轍もなく痛感していた。  程なくして怜に捕獲され、がっちり右腕をホールドされたかと思ったら引き摺られるようにして、人目を避けたビルの谷間に引っ張り込まれた。  お世辞にもきれいな場所とは言い難いそこで、壁際に追い詰められていた。 (……これって、所謂、壁ドンってやつ…?)  目にしたことはあっても、実体験はお初だ。  心の中で「おおーっ」と一瞬歓喜したものの、相手が怜だという事を思い出し、すぐさま萎んだ。  剣呑な眼差しの怜が見降ろしている。梓はそっと息を呑んだ。 「アレ誰?」 「………」 「言えないような奴?」 「………」  絶対に言えない。言える訳がない。  唇を固く噛んで、口を絶対に割らないと意思表示をすると、怜の右眉がぴくっと動いた。条件反射でつい怯みそうになったものの、更にぐっと食いしばる。  ポロリと一言でも漏らしてしまったら、どれ程の迷惑が城田に掛かるか、考えるだけで怖い。  怜との距離がジリッとまた迫る。  彼女の両脇に着かれている怜のしなやかな腕に目を走らせた。  梓はその僅かな隙間から抜け出せないか、色々とシミュレーションしてみたが、万に一つの可能性も見出せず、息がかかる所まで近付いて来ている怜の顔を見上げて、ドキリとした。  僅かに細められた榛色の双眸に色香を感じ、梓の表情に困惑の色が浮かぶ。 (……え…? 怒ってたよね? それでその艶は、なに……?)  仮にこれが怒っている顔だとして、色気駄々洩れで見られているのだとしたら、大石兄妹は怜に不戦敗を喫することを確証できる。  梓はただでさえ怜の美貌に弱い。  女神さまと崇め奉るくらい、怜の麗しい顔を見るのが好きだ。  だけど。 (……目の前にいる人は、一体だれ?)  怜の麗しいだけではない何かを秘めた眼差しが、梓の目をじっと見入って来る。そこから目を逸らすことは許されないと、頭の中で声がした。  壁に肘を着いた怜の右手が、梓の髪を一房抓んだ。それをツンと引っ張り「面白くない」と怜の唇から漏れ聞こえ、梓は思わず「え?」っと訊き返していた。 「無防備な顔で男に笑い掛けるって、何かの冗談?」  抓んでいた髪を自分の指に巻き付け、口角を上げて微笑んだ怜がその指を口元に持って行く。  梓は自分の髪に口付けをされ、背筋にぞくりとしたものが走った。  やっぱりどうにも目に映っている状況が理解できない。  怜は一体何がしたいのだろう?  梓を宥める時に、怜が頭頂にキスしてきたことは何度かあるけど、親が子供に対してするようなもので、凶悪な色気を拡散するような事はなかった。  こんな事をする人ではなかった。 「アレ、だれ?」  振り出しに戻った。  梓が大きく首を振ると、巻き付いた指に髪が引っ張られて頭皮が攣れる。彼女が顔を微かに歪めるのを見て、怜は髪をクイっと引っ張り意地の悪い笑みを浮かべた。  怜にはよく意地悪をされるけど、何かが違う。  いつもはもっとこう、年下を構いたくて仕方ないと言うか、ちょっかいを掛けて楽しんでるというか、身内の気安さ?と言うか、基本そこには愛情がある。意地悪に愛も何もあるかと突っ込まれるかも知れないけど、梓が本気で怒れない確信犯的な事を得意とする人だ。  それが今の怜にない。  寧ろ纏わり付くような、危機感を感じるものを怜から感じる。  ゾワリと総毛立った。  怜の繊細な指先が梓の顎を捉えすっと上向かせ、彼女は肩を強張らせた。  普段ならうっとりと見入ってしまう榛色した双眸。  脳裏に絶体絶命の言葉が浮かぶ。  なんでそんな風に思ったのか。  冷静になれと声に出さずに何度も呟く。  不意に脳裏をかすめた城田の笑顔。  彼と一緒に居たことが、追い込まれるほどの怜の怒りを買うことなのか、よく分からない。怒らせても、こんな状況は未だかつてなかった。  まるで獲物を追い詰めた捕食者の目をする男に、梓は戦慄した。
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