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第12話 梓、出会いを拾う ⑤

   初めてのデート擬きは、焼鳥屋で締め括られた。  気取った店に連れて行って貰うのも悪い気がしたし、無性に焼き鳥が食べたくなったのも本当だ。  そして何より、あの服に纏わり付く臭いが必要だった。  案の定、翔が匂いを嗅いできた。これはもう翔が子供の頃からの習慣というか習性というか、梓が赤ん坊の頃からだったらしい。  最初は単純に赤ん坊の匂いが好きで嗅いでいたらしいが、困った方向に鼻が利くようになってしまったと、母が何気にボヤいたのは一回や二回ではない。『梓の匂いと違う』と母に詰め寄って怒ったという、本当に困った特技だ。  玄関前で自分の匂いを確認した。  自分でも判るくらい油の臭いが染み着いていたから、そこは心配してなかったけど、やっぱり今日もかと内心げんなりした。  上手く誤魔化せて安堵したとは、翔も思っていない筈。  美空が電話に出てくれたお陰で、ずっと一緒にいたと思っているようだったし……なんて安心していたら、翔は翌日ご丁寧にも美空にお礼の電話をして下さったのだ。  しかし彼女に抜かりなし。さすが経験者というか、同類の兄を持つ妹の生きる知恵というか、美空は事前に城田へ連絡し、どこに行って何を食べたのか事細かに聞き込み済みで、上手いこと翔を丸め込んだと笑っていた。  彼女に足を向けて寝られないと心底感謝し、直ぐにお礼の口実で裏を取る翔にイラッとしたものの、今までのことから鑑みれば、その程度で済んで良かったと思い直した。  それから数日後、城田から連絡が来た。  仕事で近くまで来たとかでランチのお誘いだった。先日の焼き鳥で〆だったのが、どうにも彼的に許せなかったらしい。  リベンジさせて欲しいと年長者に言われて、頑なに否と言い続けるのも可愛げがないと、相談した由美に言われ、彼女がアリバイに協力してくれることになった。  男運には恵まれないが、女運に恵まれて良かったと感涙しそうになった梓に、まだ早いと由美は笑った。万事恙なく彼氏が出来たら感謝して欲しいらしい。  時間と場所を決めて由美とあとで合流する予定だった。  けれど城田は由美も一緒にと誘ってくれ、三人での愉しい会話も、気が付けばいつの間にやら由美主導に変わっていた。  なんか流れがマズい方向に――――頭をもたげる梓の懸念。  由美がやたらと梓をプッシュし、恥ずかしさのあまり危うく悶絶死するところだった。  城田は由美を良い人と評価していたけれど、普段なら頼りになるお姉さんとして大いに賛成だけれど、本当に本当に彼女の褒め殺しの言葉の数々は、梓にとって致死……もとい恥死量で。  オフィスに戻った時、暫らく人として機能できなかった。  お盆休み前に出来るだけ仕事を片付けてしまおうと、全員が慌ただしくしていたそんな日。  翔は今朝から福岡に出張で、怜も剛志も直帰となっていて、就業後、完全にフリーだった。こんな事は滅多にない。否。ほぼ皆無だ。 「ああっ! この清々しいまでの解放感ッ! 由美さん。あたしが今どれだけ嬉しいか、想像つきます!?」  帰り支度を済ませ、タイムカードに打刻する。  まだ仕事が終わらないスタッフには申し訳ないが、今日は! 今日だけはさっさと帰らせて頂く。  由美は、決意と言って憚らない梓に苦笑を禁じ得ない。  二人はオフィスを出ると、並んでエレベーターに向かった。 「あたしの想像を超えて嬉しいんだろうなって事は解るわ」 「超嬉しい! あのうるさ方に文句を言われず付き纏われず、まったりとした自分の時間を過ごせるなんて、あたし人生でかなり貴重!」  梓はふわふわと浮足立って、今にも舞い上がりそうだ。だから何となく由美は梓の腕に手を回して掴まえてしまった。 「良かったわね。それで? まっすぐ家に帰ってゆっくりするの?」  ニコニコ笑って訊いて来た由美に、梓は大きく首を振った。 「家に帰ったら早々に怜くんに身柄確保されて、お兄ちゃんに日報のような連絡されるから、ちょっと寄り道して帰る」 「あら。そうなの? …付き合ってあげたいところなんだけど、今日旦那早いのよねぇ」  頬に手を当てて、由美が眉を寄せた。梓は「大丈夫」と言ってスマホをバッグから取り出し、「郁ちゃんと香子に連絡してみるから」と目の前で振って見せる。すると突然由美に額をペチッと叩かれた。 「痛い」 「馬鹿ね。そこは城田さんでしょ」 「……え? 何で?」 「何でって何で? 邪魔者がいない時に、どうして城田さんの選択肢がないの!?」 「だって付き合ってる訳じゃないし、悪いですよ。そんなの。この間もご馳走になっちゃったし」  前回会ったのは、八月に入って間もなくのランチの時だ。あれから二週間近く経っているし、以来城田からの連絡はない。  この間のランチにしたって、年上の名誉挽回的なものだったのだろうと思っている。それ以上のことは望んでもいないし、城田にしたら迷惑かも知れない。連絡があの日以来ないのがいい証拠だ。  そもそも美空に頼まれたから、梓に付き合ってくれたわけで。 (それだけでも充分に楽しかったし)  デートごっこに付き合ってくれた城田に、これ以上の迷惑は掛けられない。  由美が大きな溜息を吐いたのと同じくして、エレベータの扉が開いた。先客が二人乗っていたのを躱して、奥の壁に寄り掛かる。 「城田さん、満更でもなかったように見えたんだけどなぁ」 「まさかぁ。凄くいい人だとは思うけど、あたしみたいな子供、本気で相手にしませんよ」  終始、彼には揶揄われ、子守くらいにしか考えていないだろう。  恋人はいないと言っていた。彼女持ちだったら美空だって彼に頼まなかっただろうけど、それとこれは別問題。  一階に着くと由美が徐に「スマホ貸して」と手を出した。梓は首を傾げつつも彼女を疑う事なく掌の上に乗せると、由美が歩きながら操作を始めた。それを脇から覗き込んでいた梓は、目に飛び込んできた画面に慌て、由美の手から奪おうと試みたが、時すでに遅かった。  数回のコール音がして、『もしもしッ』と慌てて出た城田の声がした。  由美は微かな笑いを漏らして口を開く。 「もしもし城田さん。鈴木です。先日はランチご馳走様でした」 『あ…鈴木さんでしたか』 「梓じゃなくて済みません」 『そ…そんな……えっと今日は? アズちゃんの電話からですよね?』 「城田さんって、今日はお忙しいですか?」 『まあ、それなり? に。アズちゃんどうかしましたか? 声を聞く限り、緊急ではなさそうですけど』  冷静に訊き返され、由美は小さく笑って隣の梓を見る。困った顔で由美からスマホを取り上げようとするが、梓も本気で取り上げる感じには見えない。  由美はひらひらと逃げ回りながら、 「今日珍しく梓にお邪魔虫が一匹も着いてないので、お時間あったらと思ったんですけど。出来れば私が彼女に付き合いたかったんですけど、都合がつかなくて」  束の間の沈黙が降りた。  その後、電話の向こうで何やらバタバタ音がして騒がしくなり、由美が「城田さん?」と声を掛けるが返答はなく、彼女は首を傾げながら梓を見た。  忙しい時に電話をしてしまったようだ。  黙って電話を切ることも出来ず、再び城田が出るまでの三分弱。 『す、すいません。電話の途中で』 「こちらこそお忙しい時に。また改めて」 『ちょっ、ちょっと待って下さい! 俺なら大丈夫です! 彼女に渡したい物も有るんでっ!』 「渡したいものですか?」  由美が梓を見ると、彼女は首を傾げた。何のことだか分からない。 『彼女に変わって貰ってもいいですか?』 「あ、ごめんなさい。今」  由美が差し出したスマホを受け取り、怖ず怖ずと電話口に出る。 「もしもし。梓です。先日はご馳走様でした」 『いえいえ。大したものじゃなくて。それより、この間の写真。パネルにしたんだけど、邪魔じゃなかったら貰ってくれない?』 「え…?」  この間の写真と言われて思い浮かぶのは、公園で撮っていたものだ。それをわざわざパネルにしたと聞いて、急に恥ずかしくなった。 (プロに、そんな……)  真っ赤になって立ち尽くしていると、城田の少し照れた声が耳に届く。 『アズちゃんに会う口実の為に撮った写真なんで、うんと言ってくれると嬉しいんだけどな…?』 「ふぁっ!?」  変な声が出た。隣で様子を窺っていた由美が吹き出したのを見たものの、反射的に身体が動いただけで、頭の中は真っ白だ。  茫然とした。  完全に意識がどこかに飛んでしまって、由美に肩を揺すられてハッとした。電話の向こうでは城田の必死に梓を呼ぶ声。 「あ……あの。ご、ごごごごめんなさい」 『それって、ダメってことかな?』 「じゃないっ! そのっ。ビックリして」 『なんだ。良かった。で、どこで待ち合わせる?』 「え? 待ち合わせ…ですか?」  この展開は何事!? と頭の中がグルングルンしてる。  由美に「じれったい」とせっつかれながら場所を決め、こうして梓はテンパったまま城田と会う事になった。
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