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第10話 梓、出会いを拾う ③

   身体を投げ出すように背凭れに寄り掛かり、俯き加減の十玖の頬が微妙に膨れているその隣で、日常茶飯事なのか、美空は涼しい顔でコーヒーを飲んでいる。 (デッカイ子供がいるよ? ……いいの? ほったらかしで、いいの?)  しかし夫婦に事に口を出せる筈もなく、十玖を横目に盗み見た。  ムッとしたまま微動だにしない彼に、こっそり溜息を吐く。  過保護に自分も苦労をしてきたと言った同じ口で、娘の相手に同じことをするときっぱり断言した十玖は、翔寄りなのではなくて、完全に同類だと梓は認識を改めた。  深すぎる愛情というものは、悪気がないだけに本当に面倒臭い。  何だか気まずい雰囲気の中、梓は残りの紅茶を飲み干してしまおうと、妙な焦りに襲われていた。  暫くすると、不貞腐れていた十玖がチラチラと美空の顔色を窺いだした。  美空は涼しい顔でコーヒーを飲んでいる。 「あ、あの美空? 美空さん?」  十玖が怖ず怖ずと声を掛けるが、美空は彼をチラリともしない。そればかりかニコニコと城田を見た。すると十玖の表情が情けなく歪んで、今度はキッと城田を睨んだ。 (トークさん。ホント奥さん大好きなんだね……?)  梓がいいなあ、と呑気に羨ましく思っている隣りでは、いつの間にか巻き込まれていた城田が「や…やだなぁ」と椅子ごと後退り、恨めしそうに見る十玖に引き攣った笑みを向けていた。 「ねえ城田さん」  美空が城田に向き直ると、僅かに十玖に背を向けた形になる。それで一瞬十玖の視線が美空に移ったが、今度は射殺しそうな目で城田を見遣った。  流石にちょっと不味くないですか? と言いたくなった梓の向かいで、美空は安定の態度を崩さない。 「城田さん、この後時間あります?」  美空が城田の予定を聞いた瞬間、ぶわっと十玖から黒いモノが噴き出したように見えたのは、果たして梓の目の錯覚だろうか?  城田の目が十玖からチラチラと美空を見、話し掛けないでくれと必死に訴えている。彼の必死なサインに気付いてない訳なさそうなのに、美空は笑みを崩さない。  わざと追い詰めて見えるのは、梓の穿った見方だろうか?  でも何のために?  十玖の神経を逆撫でて、美空は何がしたいのか判らない。 「時間、あります?」  もう一度訊ねると、十玖が音を立てて立ち上がり、二人の間にあるベビーカーを迂回して美空を後ろから抱き締め、そのまま抱え上げる。十玖は腕の中でぶら下がっている彼女の肩に額を預け、聞き取れない声で何かを言っていた。  美空の口元が緩んで、抱き込んでる腕をポンポンする。 (…なんか、もしかして、ヤキモチ妬かせて楽しんでる……? 強者だCooさん)  衆人環視の中で抱き締める十玖にも、梓には到底真似できない技を身に着けている美空にも、茫然とする。  ポカンとして美空を見上げていると、彼女はまだ諦めてなかったようで「時間ありますか?」と訊けば、十玖の腕に力が篭って「ぅぐっ」と呻いた。  十玖の力に降参するように、美空が彼の腕を両手でパンパン叩き、 「ちょっ待って十玖! もお、城田さん! 暇なの!? 暇じゃないのッ!?」 「ひ…暇、です」  半ばそう言わされた感が否めなかったが、可なり引き捲っていた城田がそう答えると、美空は「よしっ」と大きく頷いた。  何が “よし” なのか判らない。  美空はボケっとしている梓を一瞥し、 「じゃあアズちゃんお願いね?」 「「えっ?」」  梓と城田が目を剥いて美空を見た。  どっからのフリですか? と言葉にならない心境をまんま顔に浮かべる梓に、美空がニッコリ笑う。 「アズちゃんはまだ家に帰りたくなさそうだし、どっかブラブラするくらいなら、この暇なおじさんにデート体験させて貰えばいいじゃない?」 「な…ななななんですとっ!?」  行き成りのことに腰を浮かせて身を乗り出してしまう。  梓が口をパクパクしていると、美空は真面目な顔をして言を継ぐ。 「年は食ってるけど、人柄は保証するし。キレイなモデルさんとか見慣れてる彼なら、アズちゃん連れ回しても自制心をフル稼働できるだろうから、あたしも安心だし」 「あの、仰ってる意味が、イマイチ」 「城田さん仕事であっちこっち行ってて、お薦めスポット詳しいから。本当はあたしが付き合ってあげたいんだけど、まだフウハルを一日中連れ回す訳にはいかないし。だから城田さんに疑似デートして貰って」  こてんと首を傾げて微笑んだ美空は、とてもチャーミングだと認識できるが、話の展開には着いていけない。 「……え~とぉ」  何だか変な汗が出て来た。  梓は椅子を振り返り、背凭れに寄り掛からせていたバッグからハンカチを取り出すと、額に押し当てたまま、固まった。  頭の中をいろんな言葉が錯綜するけど、纏まる気配はない。  城田は城田で唐突な後輩を唖然と見、十玖は美空の首筋に額をグリグリ擦り付けて「早く帰ろ」と言っている。 「分かった分かったから。十玖降ろして」  美空の両足がすとんと地面に着くと、彼女は小さく吐息を漏らした。十玖はバックハグしたまま満面の笑顔だ。  急に素直になった十玖の変わり身の早さに梓は唖然とする。  バックハグされていてもあまり不自由そうに見えない動きで、美空は残っていたコーヒーを空け、帰り支度をしながら城田を見た。 「信用してるからね。城田さん」 「……はぃ」  九つも年下の美空に押し切られ、城田はほぼ放心状態で頷いた。 「言質取ったからね? 絶対よ!? 頼んだからね!?」  美空は何度も念を押し、テーブルを離れた後も何度も振り返りながら、十玖に引っ張られて帰って行った。 (何と言うか……台風一過…?)  二人とも暫らく脱力していた。  先に気を取り直したのは城田だった。彼は覗き込むようにして梓と目を合わせると、「彼女にも困ったもんだね」と小さく吹き出した。  確かにと言いかけて、梓も笑いを漏らす。  初めて会った者同士のデートを強要していく美空に、後半はただただ呆気に取られるばかりで、今頃になって笑いが込み上げて来た。  ここ最近、こんな風に笑ってなかった事を思い出す。  今日、美術館に来て本当に良かった。ずっと苛々していた気分が、彼女のお陰でかなり軽くなった気がする。  ひとしきり笑った後、城田が「じゃあ行こうか?」と席を立ち、爽やかな笑顔で梓を見下ろした。 「……え?」  訝し気に城田を見上げ、直ぐに “帰ろうか” という意味だと思い直す。  いくら美空にお願いされたからと言って、城田にも選ぶ権利はあるし、梓もそこまで図々しくない。 「本当に今日は楽しかったです。有難うございました」  立ち上がってお辞儀をすると、城田から「えっ?」と声が漏れ、梓はキョトンと見返した。 「デート、してくれないんだ?」 「…は?」 「こんなおっさんじゃ嫌かな?」 「め、滅相もないです。てっきりその場の流れかと…」  身を竦めて上目遣いに城田を見る。  誰も本気にするわけがない、と梓は思っていた。しょうがなく話を受けただけだと信じて疑っていなかったのだ。  だからまさかの展開に、何とも間の抜けた顔で城田を眺めてしまった。 「酷いなあ。俺、そんなに薄情じゃないよ。それに約束を反故にしたらCooちゃんに恨まれて、漏れなくトークが付いて来る図式は、俺的に芳しくない。哀れと思うなら、デートしてくれますか?」  してくれないと困ると言わんばかりの少し情けない笑顔を向けられて、しばしの間ぼうっと城田の顔を眺めていた。  デートして欲しいなんて、冗談でも言われたことがなくて、頭が反応するまで時間がかかってしまった。で、漸く理解すると一気に顔が真っ赤になって、梓は俯いたまま動けなくなる。  足に根が張ってしまったかのようだ。と同時に身体まで硬化してしまった。なのに耳の奥ではドッドッドッと心臓の音がやたら響くし、呼吸が浅くなるし、汗が噴き出して来た。  空手の試合でもこんな緊張したことない。 (や……ヤバイ。あたしこのまま死んじゃうかも)  本気で自分の生き死にの心配をしている梓の顔を、城田が前屈みに覗き込んで「ダメかな?」と訊いて来る。下から覗き込まれて、硬直している梓は目が逸らせない。  顔がいっそう赤くなって、落ち着けと頭の中で繰り返した。 「すっごい真っ赤になってるけど、それってOKだと思ってもいいのかな?」  優しいけど、ちょっと不安が混じった微笑み。  梓は数度深呼吸をし、消え入りそうな声で「はい」と呟いた。
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