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第2話 梓、過保護な兄たちに宣戦布告する ①

 その日、小学一年生からの親友、松本郁美からの着信で目が覚めた。  枕元に無造作に転がったスマホを手にすると、「もひもひ」と第一声目は何とも気の抜ける声が出た。 (もひもひって何だ、もひもひって)  セルフツッコミをしていると、電話の向こうで深く吐き出された溜息。そして辛辣な言葉が続く。 『あんたって、ホンッ…ト残念な女だよね。いつまでも寝惚けてないでシャキッとしなさい。朗報よ』  朗報の言葉に彼女、大石梓はベッドから跳び起きて、居住まいを正した。 「待ってました」 『本日、十九時から医者との合コンが決定しました。なお場所は後ほど、地図を貼付してメールするから、兄たちにバレないようくれぐれも抜かるなよ?』 「か…かしこまり。郁ちゃん愛してるよ~ぉ」 『やめれ。あんたが言うと冗談じゃ済まなくなる』 「あははっ」 『笑い事じゃないから。もお…じゃあ今晩ね』 「うん。わかった」  通話を終了し、枕の上にスマホを投げると、天パで猫っ毛が見事に絡まり合ったショートボブをわしゃわしゃ掻き混ぜ、大欠伸をしつつも軽快な足取りで、クローゼットに向かった。  今日の天気はどうだったか、大きな瞳を上向けて昨夜の天気予報を思い出す。  一日晴れ渡り、気持ちのいい初夏を感じさせてくれると、お天気お姉さんが言っていた。  相手はお医者様だ。下手な格好をして行って、見下されたりしないようにしないと、そこまで考えてふと手を止めた。  余り気合いを入れても不味い事を思い出した。  気合いの入れ過ぎは破滅を招く。  しかし入れねば今宵は壁の花。 (あ、そっか。着替え持ってこ……いやダメだ。そんな物持ち歩いたりしたら、速攻で手荷物検査だわ)  そしてその理由を納得するまで延々と問い詰められ、就業後は身柄を拘束されて強制送還となる。  これまで幾度となく、苦汁を無理やり呑まされて来たではないか。  あの兄たちに!  お陰で二十四にもなると言うのに、交際歴なし、完全無欠の処女ときた。キスすら未経験なんて、同じ年頃女子には恥ずかしくて話せない。  友人同士の恋バナをいつもにこやかに聞きつつ、自分に振られたらやんわり微笑んで、さり気なく話を濁すこともそろそろ限界だ。  このままでは世俗に在りながら、永遠の処女を余儀なくさせられそうで怖すぎる。  それが強ち冗談では済まなさそうだから、実に頭が痛い。 (それだけは絶対回避ッ!)  梓は考えた末、いつも通りの格好で出ることにし、会場に行く前に見栄えのする服を購入することにした。 (ちょっと痛い出費になるけど、背に腹は代えられないもんね)  そうと決まれば、後はバレない様に一日を恙なくやり過ごす。  一度クローゼットを閉め、梓は支度を整えるために洗面所へと向かった。  洗面を済ませ、ぐちゃぐちゃに絡まっていた髪を四苦八苦して解きほぐし、ハーフアップにすると、パジャマ姿のままでリビングに行った。 「おはよ~」  声を掛けると、同時に二つの声が返って来た。 「おはよう」 「おはようアズちゃん」  ソファに座って新聞を読んでいる兄、(かける)からキッチンの方に視線を流した。 「怜くん来てたんだ?」  にこやかに微笑む美貌の青年を見留て、梓は締まりのない(ふや)けた笑顔を浮かべた。  栗色の絹糸のような少し長めのストレートヘアがサラサラと揺れる。目にかかりそうな前髪から覗く柳眉と綺麗な弧を描くアーモンド型の双眸は榛色。スッと通った鼻梁は程良い高さで、口角がやや上がった唇は艶やかな桜色。 (神が作りたもうた秀逸の作品だよ、怜くんの美貌は!)  女神さまのように麗しい事この上ない尊顔を惜し気もなく晒し、梓一人に向けて来る微笑は至高の宝。それを朝一番(厳密に言うと二番だけど)に拝めて、一気にテンションが上がる。 「うん。アズちゃんはいつも通りの半熟でいい?」 「はぁい。怜くん今日も麗しいわ」 「ありがと」  苦笑しながら、熱したフライパンに卵を二つ割り入れる。  朝から怜が家にいるという事は、昨夜は遅かった兄と共に帰宅して泊ったという暗黙の了解。  そして翌朝、決まって怜が朝食の準備をする。  大石の両親は、梓が高校一年の時に事故で他界している。夫婦仲が良くて梓の理想だった両親は、暇を見つけてはよく旅行に出かけていた。その旅先での事故だった。  以来、六歳上の兄が彼女の保護者となり、養ってくれた。  当時、芸術大学でデザインの勉強をしていた翔は、同じくデザインの勉強をしていた怜と起業し、ネットでプロダクツ、インテリア、各種デザインの提案と提供をし、着実に顧客を掴んでいた頃だった。  少しずつスタッフを増やし、建築、工業製品、ゲームグラフィックと多岐に渡って拡張し、現在ではAZ(アズ)デザイン事務所の二枚看板となっている。  余談だが、“AZ”は最初から最後までと言う意味でもあるが、シスコン兄たちが梓の名前から取ったものであることは、社員全員が知っている。  梓もまたそこで働く社員となっていた。 (他の所に就職する選択肢が、最初から絶たれていただけだけどね)  一度に両親を失い、翔が異常に心配するようになったせいで、就職はおろか、バイトもずっと兄の下で働いている。なので顔だけは古参の社員と変わらない。  正社員になってまだ二年目だけど、任されることは結構多いのだ。 「アズちゃん。お願い」  呼び掛けられ振り返った先に、出来上がった朝食が並んでいる。梓はそれをダイニングテーブルに並べていく。 「お兄ちゃん」 「おうっ」  翔が新聞を折り畳み、ダイニングまで伸びをしながら歩いて来る。定位置にどっかりと腰かけ、入ったばかりのコーヒーを熱そうに啜った。  この八年、見慣れた光景ではあるけれど、毎度思ってしまう。  翔は父親で、怜は母親。そして二人に愛される娘の自分。  実際二人の過保護ぶりには閉口している。 (ホントこの夫婦は……)  ごく自然に梓の隣に腰を下ろした怜をチラ見し、正面の翔を見る。  翔は全員が着席したのを確認し、合掌すると「いただきます」と号令をかけ、梓と怜もそれに倣った。子供の頃からの習慣は、この兄に引き継がれて健在だ。  惜しむらくは、この先この場に子供の声が響くことはないだろうと言う事。 (このまま一生結婚しないで、三人で暮らすのも悪くないとは思うけど……)  一度くらいは恋愛をしてみたい。  二人にではない、誰か特別な人に愛されてみたい。 (二人ばっか狡いよ)  その思いを抱くようになって随分経つ。  明るめの黒髪をふんわりと後ろに流している兄を見る。  凛々しい眉、涼やかな切れ長の双眸、絶妙な高さの鼻梁と意思の硬さを窺わせる引き結んだ唇は、意外にも笑顔が良く似合う。それに陥落する婦女子の多さと来たら、数え上げたらキリがない。  中性的な怜とは対照的に、男性的の言葉が似合う翔。しかし実は中身が真逆だ。  女性と見紛うばかりの怜はバリバリの漢で、普段の柔和な容姿からは想像も出来ない事をやらかすし、冷徹な鬼になる。反対に肉食系と思われがちな翔は温厚で、易々と笑顔を崩すことがない。人の話をよく聞き、相談にも気軽に乗る彼は理想の上司だ。  この二人が共通して変貌するのは、決まって梓のことである。  年の離れた妹を守ってね、と言う母の呪縛を疑う事も知らず、翔は子供の頃からひたすら完遂しようとしてくれるのだ。  そこはもおそろそろ緩めようよ? ――――この言葉が何度無残に散っていったか。  母の呪縛、恐るべし。  そして怜だ。何もわざわざ翔に付き合ってやることなどないのに、初めて会った小学四年の頃からずっと、翔と共に梓の周辺を守り固める双璧と化している。  鉄壁と言ってもいい。  二人は高校の頃、翔は空手部の主将で、怜は副将だった。実力は互角だったらしいが、怜がトップを嫌って副将になったと聞いている。  兄の性癖を知ったのは、彼らがまだ高一の頃。  遊びから帰宅して、母に怜が来ていることを聞くや、兄の部屋に急いだ。勢いよく部屋の扉を開け放ち、目に飛び込んだ光景に愕然とした。  二人はベッドに腰掛け、キスを交わしながら互いの身体を弄り合っていた。  これが男女でも小学生には衝撃的だと言うのに、それが男同士、しかも兄と怜の二人がそんな関係だと知った時の衝撃は、言葉にして余りあると言うもの。  梓はこの日、ショックのあまり熱を出して寝込んだ。  見てはならなかった場面が繰り返し、夢の中を蹂躙する。  目が合った時の二人の驚きと、すぐに取って代わった気まずさに歪んだ顔。  見たこともなかった二人の雄の顔に、困惑し、怯えた自分。  翌朝『お母さん倒れちゃったら大変だから、怜とのことは内緒だよ?』と少し悲し気な微笑を浮かべた翔に口止めされ、黙って頷いた。  何となく、兄はどこか違うと感じ取っていたのかも知れない。  一晩泣いて寝て、起きたら意外にもすっきりしていた。 (大好きなお母さんを悲しませたくなかったしね)  そこは梓が大人な対応で、二人の関係を胸の奥に仕舞い込んだ。  二人ともそれ以外は普通だったし、凄くいいお兄ちゃんだったから、彼らを悲しませたくはなかった。  それから十四年、二人は変わらない関係を築いている。  兄にさっぱり彼女が出来ないことをよく零していた母に、ついペロッと言ってしまいそうになったのは一度や二度ではない。知らないまま天に召された両親は、ある意味幸せだったかもと思う。
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