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プロポーズは二枚の婚姻届とともに * 2 *

 クリスマスイブは昼過ぎから琉が一人暮らしをしているワンルームマンションでのんびりお酒を楽しみながら過ごすことになっていた。  そのために三葉は実家に置きっぱなしだった亡き母のおつまみレシピを持ち出し、当直明けで疲れているであろう彼のためにさまざまな料理を準備していたのだ。  ネイビーのざっくりしたセーターにブラウンチェックのロングスカートというラフな格好の上にはこの日のために七実と一緒に買ったダークグリーンのエプロンを着用している。シンプルで上品な銀糸の星が胸元を飾るデザインに惹かれて購入したそれを実際に着てみたら、なんだかクリスマスツリーみたいになってしまった。玄関を開けた琉がそんな三葉を見つけて嬉しそうに笑う。 「ただいま」  おかえりなさい、と言おうとして顔を赤くする三葉にさりげなくキスをして、香ばしい匂いのする紙袋を手渡した琉はすたすたと部屋の奥へと入っていく。手洗いをしてからコートや鞄を無造作にソファに置いた彼は、三葉が用意していた料理の数々を前に破顔する。 「三葉くん、すごいや」 「簡単なものばっかりですけど」 「そんなことないって」  キッチンのコンロにはホワイトシチューを煮込んだ鍋が湯気を立てている。琉が三葉に手渡した紙袋の中身は仕事帰りに買ってきたフライドチキンだった。シチューとチキンをテレビの前のちいさなテーブルに並べたら、置き場所がなくなってしまったため、シャンパンやワイン、日本酒などのお酒と三葉が手ずから準備したおつまみはキッチンカウンターの上に待機させることにした。  食事も取らずに急いで帰ってきたという琉は三葉をソファの隣に座らせ、まずは腹ごしらえだとそのまま遅い朝食をはじめる。家で朝ごはんを食べてきた三葉はそんな彼を横目で見つめながら、どうやって彼に婚姻届のことを話そうと心の中で悩みつつ、先日の異母妹とのやりとりを思い出す――……    * * *  日下部七実の姉は前妻の娘である。名前は三葉、彼女の母親の葉子から一文字取ったと言われている。  血のつながりが半分しかない姉とはいえ、ふたりの仲はごく普通の姉妹そのものだったように思う。  真面目でまっすぐで眩しい彼女が継母との衝突を避けるために家を出たのは正しい判断だっただろう。けれど、薬剤師となって病院勤務していたはずの彼女があろうことか前妻の弟の経営する薬局で生計を立てている現状を知ったら、いい顔をしないに違いない。 「……薫叔父さんって言われても会ったことないからなぁ」 「そうだよね、前妻の弟ってことはななちゃんとはぜんぜん血が繋がってないんだよね」  新宿広小路薬局を営む住之江(すみのえ)薫とその妻麻里子からすると、亡き姉の娘である三葉は自分たちの娘みたいなものだが、七実とは赤の他人になる。  それこそ三葉が結婚式でも挙げない限り、まず顔を合わせることなどないだろう。  三葉に言われるがまま証人欄にサインをした七実は、むすっとした表情で姉に言い返す。 「おとーさんとおかーさんにはお正月まで黙っていてあげる。本気でそのひとと結ばれたいならクリスマスに決着つけなよ?」    * * *  三葉が作ったというホワイトシチューは玉ねぎとにんじんとじゃがいもと豚肉、ブロッコリーという家庭的なものだった。クリスマスらしくにんじんは星の形に型取りがされており、緑のゆでブロッコリーと一緒にお皿を可愛らしく彩っている。  朝食を食べて来ているという三葉のためにワイングラスを取り出し、フルーティな果実酒を入れてあげれば彼女は花が咲いたかのように微笑む。 「乾杯しちゃいます?」 「そうだね」  まだ午前中だけどシャンパンも開けて、ふたりは「乾杯」と楽しそうにグラスを傾ける。  どこか緊張しているような三葉だったが、お酒を飲めば少しはリラックスしてくれるだろう。彼女が作ってくれた料理をつまみながらお酒を嗜んで、クリスマスケーキをふたりで食べる頃までにはどうにかプロポーズをして、準備してきた婚姻届にサインをさせたいものだと琉は企んでいる――……    * * *  三葉が地元に戻って身辺整理のようなことをしているのとほぼ同じ日に、大倉琉は新宿広小路薬局の店内カウンターで店長の住之江薫と向き合っていた。   「婚姻届の証人になれ、と?」 「三葉さんにとって身近な存在で、と考えたら真っ先に店長さんの顔が浮かんだんですよ」  姪にベタ惚れなのがありありと理解できる彼の真剣な表情を前に、薫はそうはいってもなぁと苦笑を浮かべる。   「あの娘から返事は聞いたのかい」 「正式なプロポーズはまだですけど、彼女を必ず幸せにします」 「……そうか」  三葉の父親とは姉が亡くなって以来顔を合わせていない。姪の心の傷が治らないうちに後妻を迎えた彼に憤りを感じ、距離を置いたからだ。  三葉を養女にするという提案も挙がったが、彼によってあっさり却下されてしまった。彼女の教育にお金をかけてくれたことには感謝しているが、あの複雑で窮屈な家庭環境で思春期を過ごさざるおえなかった彼女のことを想うと複雑な心境になる。    ましてや、父親より先に三葉の結婚を打診される現状をあの男が知ったら、どう思うだろう?  亡き姉に顔立ちが似てきた三葉が、自分の両親を頼らずに入籍して、日下部の家を捨てたと知ったら? 「貸してみな。サインしてやるから」  薫の心を占めたのは、自分が彼女を幸せにする足がかりになってやることができるという優越感だった。  交通事故で身動きが取れない間、薬局で店長の代理をしてくれた姪はもう、立派な大人だ。  そしてそんな彼女をこの先一生涯支えると言う男もまた、申し分のない人間であることを、薫は知っている――……        * * *  琉と乾杯して調子に乗った三葉はふだんよりもハイペースでグラスを空けている。  実家から持ち出した亡き母のレシピに従って作った料理の数々はどれも簡単に作れて美味しいものばかりだ。一人暮らしをしているとなかなか料理をする時間が取れないが、食べてくれるひとがいるなら、こんな風に作ってあげるのもいいものだなぁと酔いはじめたあたまで考えていた。 「何を考えているのかな?」 「ふふ。幸せだなぁ、って」  果実酒にシャンパンにスパークリングワイン、栓を空けた酒瓶を順番に眺めて、三葉は自分が作った料理を美味しそうに食べる恋人に告げる。  ――いまならできるかな、逆プロポーズ。  だけどまだ、琉先生はお食事中。サンタクロースやトナカイなどのクリスマスの絵柄がプリントされた紙皿の上のフライドチキンを頬張っている彼を見て、三葉も手前の赤いチキンを口元へ運ぶ。 「っ!?」 「そっちは唐辛子パウダーがかかっているスパイシーチキンだよ、大丈夫?」 「ん……お酒のおつまみになりますね」  舌がじんじん痺れるような感覚に苛まれて、三葉は苦い顔をする。あぁ、せっかくいい雰囲気だったのに……  この刺激が収まるまで、逆プロポーズはお預けだな、と叔父とのやりとりを思い出しながら、三葉はふたたびグラスを傾けはじめるのだった。    * * * 「昨日はどうだった」  それは七実に証人欄を埋めてもらった翌朝のこと。  何食わぬ顔で薬局に戻ってきた三葉だったが、薫に問いかけられて、危うくドリンク剤の瓶をドミノ倒ししそうになる。思わず声を荒らげれば、叔父は飄々と言い返す。 「な、なんで叔父さんわたしが地元に帰ったこと知ってるんですか」 「何が? 平日一日休みにして彼氏とデートかと思えば、そうじゃなかったみたいだから」  誰も地元に帰ったなんて言ってないのになぁ、と言われて三葉は自分が言葉を滑らせたことに気づいてため息をつく。  どっちにしろ、彼には事情を説明するつもりだったのだ。きっとわかってくれるはずだ、とおそるおそる言葉を紡ぐ。 「戸籍謄本とってきたんです。あと、お願いがあるんだけど……」  差し出された婚姻届の証人欄には、彼女の異母妹である日下部七実の名前が記されている。その下は空欄だ。  先日三葉の恋人が自分に書くよう手渡した婚姻届とは別物である。 「了解」  三葉の手から婚姻届を奪い取り、慣れた手つきでサインする薫を見て、え、まだ何も言ってないのにと焦る姪。  琉といい三葉といい、同じことを考えているにも関わらず肝心なところでズレている。どっちが先にプロポーズしようが構わないだろうが、思わず叔父は可愛い姪にエールを贈っていた。 「頑張れよ、逆プロポーズ」    * * * 「飲みすぎだ、バカ」 「えぇ? そんなことないですよぉー」  琉がシチューを平らげ、満足した午前十一時。  逆プロポーズをするのだと息巻いていたはずの三葉は、すっかり酔っ払っていた。  もともとお酒に強い三葉だが、ふだんは量をセーブしており、限界まで外で飲むような無謀な行為はしていなかった。けれど、ふだんとは異なるシチュエーションからか、恋人しかいないという安心感からか、クリスマスイブゆえ判断力が鈍っていた三葉は琉の隣でお酒を水のようにがぶがぶ摂取してしまったのである。 「んっく……ぷはぁ」 「あぁもう、こぼしやがって……」  慌てて水を用意して口移しで飲ませたが、彼女はぜんぶを飲み込めず、だらだら洋服に垂らしてしまう。 「急性アル中で救急車なんか呼びたくねぇぞ」 「だーいじょーぶ、だいじょぶですってー」  ふにゃふにゃ笑う三葉の背を撫でながら、琉ははぁとため息をつく。この状態の彼女にプロポーズしたら、冗談で終わってしまいそうな気がする。  難しい顔をしている琉とは裏腹に、三葉はふあぁとあくびをしている。このまま眠ってしまいそうな彼女が小憎らしい。 「せんせ、身体が熱いよぉ。濡れちゃった服、脱いでもいい?」  瞳を潤ませて訴える彼女を見て、琉の下半身がずん、と疼く。  まだ午前中なのに。今日はきちんとプロポーズしてから彼女を可愛がろうと思ったのに……  自尊心をあっさり打ち砕く愛らしい酔っぱらいを前に、琉はあっさり陥落していた。 「仕方ねぇな……脱がせてやるよ。お酒のせいで身体が疼くんだろ?」 「ん……熱いの、せんせ」  素直に頷く恋人をソファに押し倒し、啄むような口づけを与えながら、琉はエプロンの紐をほどく。しゅるりと床に落ちるエプロンを無視して、そのまま濡れたセーターとスカートを脱がせれば、ラズベリー色のレースのブラジャーと黒タイツの奥で同じ柄のショーツが顔をのぞかせていた。  ふだんならここで恥じらう彼女だが、肌を見られただけで深く感じているのかあぁと甘い吐息をこぼしている。  ――プロポーズは後回しにして、先にデザートをいただくとするか。  酔っていることもあって、下着だけにされた三葉は素直に身を委ねてくれる。まるで媚薬を飲まされたみたいな彼女の反応に、琉の鼓動も高まっていた。 「いけない三葉くんだね……真っ昼間から俺を誘惑して……」 「だってえ、今日は特別なクリスマスイブ、だから」 「特別なの?」 「うんっ」  ちゅっと胸の谷間に口づけながら訊ねれば、恋人は可愛らしく頷いて、思いもかけない言葉を紡ぐ。  酔っぱらいの戯言と呼ぶにはあまりにも刺激が強すぎるそのヒトコトに、琉は愕然とする。 「あのね、今日はね、琉せんせと……ナマでするの!」  だってあたちたち(・・・・・)、結婚するんだもの――……
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