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プロポーズは二枚の婚姻届とともに * 1 *

 クリスマスイブの前日が当直だという琉に部屋の鍵を渡されて、三葉は困惑した表情を浮かべている。 「で、どうして鍵なんですか?」 「帰ってきたときに家にいてほしいから」  クリスマスイブの日はこっちだって仕事が入っているんですよ、と呆れる三葉に琉は有無を言わさぬ顔で部屋の鍵を握らせる。 「店長にその日はシフト休みしてもらうようにお願いしておいたから」 「……な、何勝手に叔父さんと話つけているんですか!」 「だって真面目な三葉くんにクリスマスイブだからお仕事お休みして、なんて素直にお願いしたところであっさり却下されると思ったんだもの」  クリスマスイブはなんだかんだで書き入れ時だものね、と不敵に笑う恋人を前にそうですねと三葉も苦笑する。 「だから、イブの日は朝から俺のために空けておいてよ。当直明けだからおうちデートでたまには一緒に飲み明かそう?」  ――このときの三葉と琉は、まだ、知らなかった。  お互いがクリスマスに備えて、大胆な計画を企んでいたことに。    * * *  日下部三葉、二十六歳薬剤師。  今年は自分の前の職場である地域医療センターに勤める整形外科医、大倉琉とお付き合いを始めて二年目のクリスマスになる。  付き合いたての頃に自分のすらりとした肢体に惚れたと言い切った彼に辟易したり、周りとの人間関係に煩わされたりで、何も言わずに逃げるように転職した三葉だったが、自然消滅する間もなく彼に追いかけられて捕まって結局元サヤに収まり今に至る。  ふたりは週末ごとに逢瀬を重ね、互いの距離を縮めていた。  今年の夏に入ってからは実家暮らしだった琉が家庭の事情で一人暮らしをはじめ、三葉も彼の家の引っ越しの手伝いをしたり、お泊りもするようになっている。とはいえ、お互いに仕事で忙しいこともあり、なかなかゆっくり過ごす機会が訪れなかったのも事実。  ――琉先生の家に行くの、あのハロウィンの夜以来だな。  消費期限切れの包帯を喜んで持っていった彼にコスプレと称した包帯プレイをされたのはほんの二ヶ月前。  ラブホテルではなかなかできないから、と裸にひんむいた三葉を包帯でぐるぐる巻いて拘束して、そのまま愛された強烈な記憶はいまもしっかり残っている。  ――そういえば去年のクリスマスは靴下にされたっけ。  どういうわけか琉は三葉を拘束するのが気に入っているようで、前回のクリスマスもラブホテルのベッドの柱に両手を高く掲げた状態で縛られてそのまま気をやるまで身体を繋げ、快楽という名のプレゼントを与えられたのだ。  アブノーマルと呼ぶほどではない、けれどふつうのセックスと呼ぶには無理がありそうな行為は、ふたりで過ごす時間が長くなるにつれて、確実に濃厚になっている。  けれど。  今回は当直明けだから、無理はしないで家でのんびり過ごそうってことなのかな、と手渡された鍵を見て、三葉はひとり首を傾げ、はたと我に却る。  一緒に飲み明かす、ってことはお酒をたくさん飲むことになるのだろう。前々からお酒がすきな三葉とゆっくり楽しみたいと琉も考えていたのかもしれない。そうなると必要になるのが酒の肴というもので…… 「もしかして、手料理をご所望されている……!?」    * * * 「本人確認書類と印鑑は後でいいよな。証人? そんなものが必要なのか。まぁ、うちの親と向こうの叔父貴にサインしてもらうのが妥当だろうな……戸籍謄本? 彼女の本籍地がどこか……そういえば聞いていなかったな」 「弟よ、婚姻届を用意するのはいいとして、まず彼女の意志を確認するのが先じゃないのか」 「……うむ。けれどクリスマスにプロポーズしてオッケーもらったら年内に籍を入れたいと思うのは別におかしいことではないだろう?」 「何を生き急いでいるんだい。別に年明けに入籍したっていいじゃないか」 「だが! 結婚に頷いてくれたのなら早いうちに一緒の姓を名乗りたいというのは我侭なのか」 「充分ワガママだと思う。そもそも彼女が素直に大倉家の嫁になってくれるのかね?」  琉が一人暮らしをはじめる原因のひとつになった臨月を迎えた帰省中の姉、海玖に結婚に必要な書類について確認したところ、その前に結婚の承諾を確認しろと冷たく言い返されてしまった。それでもと粘る弟に、渋々応える姉は呆れた表情で彼を見つめている。  未来の整形外科医院院長でいまは都内の総合病院に勤める医学博士、仕事が忙しいといいながらもいまの恋人とは二年目を迎え傍から見るとリア充爆発している彼がここにきて結婚を焦っている。その滑稽な状況を前に海玖は首を傾げ、自分のおおきくなったお腹をさすりながら琉の言い分を耳に入れる。 「七夕の短冊に『琉せんせいのお嫁さんになれますように』って書いていたんだ……彼女の周りの女友達も次々に結婚を決めているみたいだし、そろそろだよね、って前からお互いに意識はしていたから」 「あーはいはい、それで年内に、みたいな欲が出てきたわけね……だけど婚姻届を準備するのはさすがに引かれない?」 「大丈夫大丈夫」  当直明けで外出する元気はないだろうから、家でのんびりクリスマスの夜を過ごそうと鍵を手渡したことを思い出し、琉は微笑を浮かべる。  仕事から戻って家に入ったら、彼女が待っていてくれる。まるで新婚夫婦のようなシチュエーションだとにやける琉を見て、やってられないわと海玖はため息をつく。 「まぁ、あんたがしっかり捕まえてはなしそうにないのは目に見えているけどね……」  こんな偏屈な弟と二年も付き合い、そのうえお嫁さんにしてほしいなどと可愛くおねだりする恋人なら、プロポーズと同時に婚姻届にサインするよう求められても素直に受け入れるものなのかねえと変なところで納得してしまう姉なのであった。    * * *  去年はたまたま琉が休みだったこともあり、彼にデートプランを委ね、午前のシフトを終えた三葉が彼に従う形でクリスマスを過ごしたが、今年は彼が前日の夜から仕事で、三葉は彼の策略によって半強制敵に休みにされてしまった。おまけに彼が暮らしているワンルームマンションの合鍵を手渡され、朝から家にいて欲しいと頼まれた…… 「だからエプロン買ったの?」  郊外のショッピングモールのフードコートでホットコーヒーをちまちま啜る三葉と、彼女と同じようにすらりとしたスタイルの女性がテーブルで向き合って話をしている。三葉の席には購入したばかりの紙袋がぶらさがっている。 「うん……琉先生はお料理ぜんぜんできないって言っていたから、家でシチューとか作って待っていたら喜んでくれると思うの」 「それより裸エプロンでお迎えしてあげたほうが喜ばれると思うけど」 「ななちゃん、どこでそんなはしたない言葉を覚えてきたのよ」 「三葉おねーちゃんこそハイスペック彼氏と付き合っていたくせにこの可愛い妹にヒトコトも教えてくれなかったじゃない」 「仕方ないでしょ、あんた受験や就活で忙しかったし薫叔父さんも大変だったんだから」  ななちゃん、こと七実は三葉と六つ年齢の離れた母親の違う妹になる。以前顔を合わせたときは高校生だった彼女も今年の春に短大を卒業して社会人となり、ずいぶん大人びた格好をするようになっていた。メールで近況をやりとりすることはあったがまともに顔を合わせるのは三年ぶりになるので仕方ないといえば仕方がないのかもしれない。  それでも自称可愛い妹が既に成人式を迎えていた現実を前に愕然とした三葉である。 「成人式におねーちゃんが着た着物、あたしも着たんだよ。おかーさんは渋い顔してたけど、おとーさんが別に構わないだろって言ってくれて」 「そっか」 「おねーちゃんも気にしないよね」 「着てくれるひとがいるならそれでいいと思うわ。ななちゃんならわたしと身長変わらないし、ちょうどよかったんじゃない」 「でしょ」  前妻が遺した着物を売ろうとしていた彼女からすれば、自分の娘がその振袖を喜んで着るとは思いもしなかったのだろう。あのとき父親を巻き込んでやめさせた幼い自分の判断は間違っていなかったのだ……とはいえそれもあって、義理の母親との仲はぎくしゃくしたままだ。  できれば母親と顔を合わせたくなかったため何も知らせずに平日休みにふらりと実家に戻った三葉は、事前に連絡しておいた異母妹に買い物につきあってもらい、なりゆきでお茶をしている。実家にあった三葉の部屋は七実の部屋になっていたが、部屋のなかのものは彼女がクローゼットのなかに仕舞っておいてくれたらしく、探していたものはすぐに見つかった。 「それで、お正月も帰ってくるの? 例のハイスペック彼氏を連れて」 「琉先生は別にハイスペックじゃないって……たぶん」  恋人の職業が医師である、というだけで充分ハイスペックだよと頬を膨らました七実は、三葉の躊躇う姿を前にため息をつく。 「たぶん、ってそこで自信無さそうに言われても……おかーさんのことなら気にしないで。おねーちゃんが恋人連れてきたらぜったい反対すると思うけど」 「……だよね」  三葉が実家を飛び出し薬科大へ進学して以来、七実の生みの母親である秋奈とは疎遠のままだ。中学生くらいまでは義母とうまくやっていけていたのに、そう思っていたのは三葉だけで、周りはどうにかしてふたりの溝をこれ以上深めないよう働きかけていたにすぎなかった。成長するにつれて、三葉の顔立ちが前妻に似てきたことで、秋奈を追い詰めるようになったのだ。 「おかーさんもいいかげん認めればいいのに。前妻の娘に嫉妬したところで夫の気持ちを自分に向けることなんか無理だって」  実母を辛辣に評価する七実を前に、三葉は諦めた表情で首を横に振る。   「死ぬまで憎まれ役でいることに変わりはないわ。だからこんな家、とっとと出て行こうと思って」 「それでわざわざこっちまで来たの? お正月に彼氏連れてくる前に?」 「そうかもね」  できれば琉には実家の複雑な実情など知らせたくない。けれどお正月に自分の家で三葉を紹介するつもりになっている彼のことだ、三葉の家族にも挨拶したいと言い出すに違いない。  三葉は鞄のなかからごそごそと書類を取り出し、七実の前へそうっと差し出す。 「おねーちゃん。これ……」 「言ったでしょう? 文字通りこの家を出て行く、って」  実家に仕舞っておいた生みの母が自分のために遺したレシピを発掘した後、市役所に行って戸籍謄本をはじめとした必要書類を淡々と揃えた三葉は、最後の仕上げだとばかりに七実に迫る。  そして、七実が成人済みならちょうどいいやと半ばなげやりな形でボールペンを渡し、「証人の欄にサインよろしく」と飄々と告げる。  机の向こうでぷるぷる震える七実は、どうしてこうなった、と頭を抱えながら姉に言われるがまま、名前を綴る。  ひとり颯爽と前を進みつづける彼女が自分を頼ることなど一度もなかった。こんな形でお願いされて、断れるわけがない、けれど。 「だからっていきなり婚姻届を恋人につきつけるつもり!?」  婚姻届の証人になれと迫られるとは思いもしなかった七実である。
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