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第肆幕 嫌いと嘯く声音の行方 * 2 *

「鳥籠に囚われていたかわせみは、王子さまに迎えられてめでたしめでたしなのですね」 「ちょっぴり強引な気もしますがもともと想いあっていたふたりですもの、翡翠ちゃんも幸せになれるでしょうね」  かわせみは鳥籠から外へ出た。  ただし、自分から飛び出したわけではない。  かつての婚約者に奪われるという、アマネが想像していなかった形で、である。 「朝周サマも素直になればよかったんです、親父サマが金で買ってきたからって気兼ねしちゃうからこうなったんですよー」 「そうそう、朝周サマだってはじめのうちはわざと嫌われるように振る舞って……」 「うるさい」  すずめとひばりの囀りを遮り、アマネはドスの効いた男声で言い放つ。 「……たしかに俺は彼女を鳥籠の外へ出すことに一度は同意した。けれど、こんな騙し打ちのようなやり方はきいていない!」 「考えを改めたあなたにきかせるわけないじゃない。あなたの聡い耳に入れないよう綿密に計画を立てたんですもの」  満足そうに微笑む静鶴と一緒になってすずめとひばりもうんうん頷く。王国再建を夢見る静鶴に従うすずめとひばりが朝周の言うことより彼女を優先するのはわかりきっていたことなのに、油断してしまった。  皓介が翡翠を連れ去った際に舞台裏にいた人間は静鶴と靱の息がかかったものだけだった。撫子も舞台に上っていたし、事情を知らないほかの人間は百貨店の業務や楽団の統率などで持ち場を離れていた。配置の変更を命じたのは静鶴だろう、公演初日なら何事も起こらないだろうというアマネを出し抜いた形だ。 「明日からの公演はどうするつもりだ」 「代役なら準備できているわ。だけど、このままじゃ後味悪いわよねぇ? ハチドリも混乱してるし」  歌い終えた撫子は翡翠が消えたことを知りショックで気を失い、靱によって医務室に連れられてしまった。いまここにはアマネの正体を知る人間しか揃っていない。だから朝周の声でアマネは言葉を紡ぐ。 「悪趣味だ」  自分でお膳立てをしておいて、静鶴は更に新たな展開を期待している。そのことに気づいたアマネは毒づいて溜め息をつく。 「朝周サマ次第ですよぉ」 「そうそ。彼女はアマネちゃんの正体に気づいたから、がむしゃらになって歌姫になったんじゃないですかぁ? それなのに鳥籠から出してハイサヨウナラじゃあたいたちだって淋しいですぅ」 「――意地張ってないで迎えに行けばいい」 「親父サマ!」 「朝誠さん」  公演後の楽屋に現れた誠の姿に、団員たちは息をのむ。 「まったく、静鶴も悪戯がすぎるぞ。あの演技を見ただろう? 彼女はもはや、過去の婚約者のことなどすっかり眼中にない。そのうえ、観客を悲しませるなど言語道断」  誠の背後で泣きじゃくっている少女の姿にアマネは目を瞬かせる。 「そちらの方は?」 「尾上皓介の新たな婚約者、赤藤家の令嬢だ」  蝶子ですと少女は目を腫らしたまま名乗った。皓介が歌姫を誘拐して姿を消してしまったのを見て、彼のためによかれとしたことがこのような事態を招いたのだと蝶子は悔しそうに俯いている。だが、それを言うなら初日の切符を彼女の家へ送ったアマネも同罪だ。 「わたくしも連れて行ってください! 皓介さまに莫迦なことはよしてとお伝えしたいのです!」  けれど蝶子は諦めていないようだ。力強く自分の腕にしがみつき懇願する彼女を見下ろし、アマネもまた、首を縦にふる。  そして妖艶な笑みを浮かべて誠に告げる。 「親父さま。結婚の話だけど」  これからも彼女とともに金糸雀歌劇団の鳥籠で歌いつづけることができるのならば。 「大歓迎よ」    * * *  カタン、カタタンという音とともに、翡翠は意識を取り戻す。身体が前後に動くのは、ここが馬車のなかだからだろう。地面を叩くかすかな馬蹄の音と雑踏のざわめきが翡翠の両耳を襲う。それは舞台のうえではけして味わうことのできない音だ。 「気がついた?」  自分の目の前に穏やかな表情のかつての婚約者の姿を認め、なぜここに彼がいるのだろうと首を傾げる。 「……皓介さま」  皓介の膝に頭を乗せていたから、目をひらいた先に彼の顔が見えたのだと今更のように気づき、翡翠は慌てて身体を起こす。  隣に座っている皓介は翡翠のひとつひとつの仕草を食い入るように見つめ、残念そうに呟く。 「やっぱり、翡翠なんだね……かわせみは」  その言葉で、翡翠は皓介が初日の舞台を見ていたことを悟り、恥じらうように瞳を伏せる。薄汚れた臙脂色のスカートの襞が、身体が前後に傾ぐと同時にゆらゆらと揺れている。まるで、燐寸が生み出した炎のように。 「舞台は、どうなったのですか……?」  燐寸売りの衣装のまま、馬車に乗せられた翡翠は自分の身に起きたことが信じられず、皓介に問いかける。 「舞台が心配?」  すると逆に、皓介に返されてしまう。 「可哀想な翡翠。金城氏に利用され、いやいや歌姫になったんでしょう? あんなに歌が下手だというのに、元公家華族の令嬢という身の上だけでちやほやされちゃって……僕は苦しくて見ていられなかったよ」  翡翠は見世物なんかじゃないのに。  その言葉に、翡翠は愕然とする。  皓介は、翡翠を話題作りのための、客寄せのための偽りの歌姫だと、そう思っているのだ。かつて帝都で空飛ぶ宝石とその美しさを讃えられた令嬢が、貧相な恰好で悲劇の主役を張っていたのだから、見世物だと断言されても仕方がないのかもしれない。  けれど、金糸雀歌劇団の人間は、誰もそんなこと口にしていない。翡翠はあくまで金糸雀百貨店に雇われ、未来の歌姫候補として訓練を積んで、今日この日を迎えたのだ。 「ちがうんです」  誰も翡翠のことを見世物だなんて蔑まない。観客だって、新たな歌姫の誕生に酔いしれていたではないか。だというのに、皓介は。 「翡翠。僕と一緒に逃げよう」  真摯な瞳が翡翠を射抜く。皓介は翡翠がいやいや歌姫として舞台に立ったのだと思い込んでいる。そうではないと翡翠が言おうとしても、彼はきく耳を持たない。 「ちが」 「翡翠が消えてしまって、僕はすべてを失った。春には医師免許を取得して、きみとの結婚に弾みをつけるはずだったのに……大学だって留年が決まったし、父男爵には呆れられたよ。お前なんか息子じゃない、だって」  絶望に満ちた皓介の昏い声に、翡翠は何も言えなくなる。 「翡翠を金で攫って行った金城氏が何者なのか調べようにも帝国大の名簿は膨大で調べるのが大変だったよ。みどりさんが言っていた金城朝周なんて名前、どこにもなかったし」  あったのは金城周、という男だか女だか理解できない名前だけだと、皓介は零す。 「――あまね」  そういえば、帝国大学を休学中だと彼自身が口にしていた気がする。彼の名を耳にした翡翠が明るい表情をしたのを不服に思ったのか、皓介は悔しそうに口をひらく。 「小鳥遊愛間音……なんだな」  魔法のように声音を変えられる中性的な歌姫を思い出し、皓介は溜め息をつく。  舞台の上でアマネが翡翠に注いだ視線の熱さに、皓介は気づいていた。あれは彼女に恋するものの視線。自分だけが彼女の隣にいたと思っていたのに、気づけば翡翠はアマネに花が綻ぶような笑顔を向け、|咲《わら》っていた。  もはや自分は過去のものでしかないのか。 「皓介さま、わたしを歌劇団に返して」 「いやだ」 「もう、彼方との婚約は破棄されたんです、いまさら一緒になど行けません!」 「金か? 金なら僕が金城氏に払う。そうすればすべて元通りじゃないか。翡翠が歌姫になって働く必要なんかどこにもない」  たしかに、はじめのうちは翡翠もそう考えていた。自分が働いて父の借金を完済し、自由になって家族のもとへ戻り、皓介とやり直すのだと。  けれど、翡翠は金糸雀歌劇団に出逢ってしまった。アマネに出逢ってしまった。個性的な仲間や楽しい歌と躍りに魅せられ、自分もまた舞台に立つ楽しさを知ってしまった。アマネに愛される悦びも知ってしまった。翡翠のなかで歌劇はすでに、お金を稼ぐための手段ではなく、生きていくうえで必要な呼吸のような存在になってしまったのだ。  ――きっとこれが、アマネが言っていた『すきで鳥籠のなかにいる』ということ。  歌姫として金糸雀歌劇団にとどまる彼は、舞台の虜囚だ。そしてまた翡翠も囚われたのだ。アマネのいる華やかな歌劇の世界という名の鳥籠に。  あのときめきを知ってしまったいまは、もとの生活になど耐えられそうにない。退屈な女学生に戻って良き妻になるための礼儀作法など学ぶくらいなら、アマネと一緒にもっと歌って躍りたい――……! 「……アマネの嘘ツキ」  きっと、アマネは皓介が来ることを知っていたのだ。だから、奪われないように翡翠を抱いた。彼の求愛は嘘じゃない、けれど、彼は翡翠が嫌々抱かれたことにして、元婚約者との再会を演出したのではないだろうか。翡翠を諦めきれない皓介のもとに戻る選択肢を、わざと与えて……?  だけど……嫌いでいる、なんて嘘、もう誰にもつきたくない。 「翡翠?」 「――ごめんなさい、皓介さま」  一言ひとこと、噛みしめるように口にしてから、翡翠はすぅぅっと、深呼吸する。  そして。 「たすけて、人攫いぃぃぃいぃいいい!」  翡翠は発声練習の成果を実践した。  その悲鳴に、思わず皓介は両耳を塞ぐ。たじろぐ皓介を追い詰めるように、翡翠は更に声を放つ。アマネの耳に届くよう、精一杯、自分の在り処を声で示して。 「お願いアマネ! わたしは、かわせみはここよ! ここにいるからっ!」  夕闇に染まる横濱の街に、翡翠の大音声が響く。    * * *  翡翠と皓介が乗っていた馬車は横濱港に入ろうとするところだったらしい。翡翠の悲鳴に驚いた御者は厄介事はごめんだと皓介たちを倉庫の前で降ろし、逃げるように去っていった。  そして翡翠の声をきいた周りの人間が、皓介を捕まえた。翡翠に声をあげられた彼はすでに刃向うこともせず、おとなしくしている。  冷たい潮風が、火照った翡翠の身体を癒す。舞台の外で大声をあげてしまった恥ずかしさが、いまになって波のように押し寄せてきた。 「通報した方がよろしいのでは?」 「……待ってください」  親切な紳士の提案はもっともだが、そうすると皓介だけでなく尾上男爵にも咎が及ぶ。警察沙汰にする前に、彼を説得させたかった。 「翡翠、なぜ」 「皓介さま。わたしはもう、戻れません」  兄のように慕い、ともに歩んだ年月は翡翠にとっても大事なものだった。けれど、彼とともにこの先を歩むとなると、歌劇は観て楽しむだけのものになってしまう。それに。  翡翠はふっと視線を遠くにやり、宥めるように告げる。 「あなたが必要とするのは、わたしじゃない」  翡翠は知っている。皓介に、新たな婚約者がいることを。そして彼女がこの先、翡翠に代わって彼とともに未来を歩んでいくことを。  黒い自動車が瓦斯灯の前に止まり、なかから桃色のドレスを着た愛らしい少女が飛び出してくる。 「皓介さま!」 「……蝶子」 「さよならです、皓介さま」  そして翡翠は蝶子の後ろから優雅に車を降りてきた雪の女王のもとへ、後ろを振り返ることなく、走りだす。  純白の衣装を纏った天性の歌姫は、鳥籠のなかへ舞い戻ってきたかわせみを、やさしく迎え入れ、周りの人間に見せつけるかのように、彼女の髪をひと房すくい、接吻をした。
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