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第弐幕 黒糖飴と歌姫修行 * 3 *

 撫子が悲鳴を上げる翡翠を連れて部屋から去るのを見て、アマネはホッと胸をなでおろす。  その横で、静鶴はクスクス笑っている。 「かわせみって、姿は美しいのに、鳴き声が聴くに堪えないほど残念なのよね……ほんとあの|娘《こ》みたい」 「どういうつもり?」 「あら怖い。私は事実を述べただけよ」 「翡翠の前で話すようなことじゃない」 「いいじゃない、どうせすぐ耳に入るんだから。彼女の元婚約者の尾上男爵家の皓介さまが別の公家華族から新たな花嫁を娶る噂はすでに拡がっているわ」 「それで、王子さまが王女さまと結婚することを報せて、更に悲劇のヒロインに磨きをかけさせるのが貴女の狙い?」  だとすればタチが悪い。アマネはふだんから舞台のことしか見ない静鶴に危うさを感じていたが、お腹に誠の子どもを宿してからはその傾向が更に強まっているように見える。 「まるで人魚姫みたいでしょう?」  アンデルセンの童話を引き合いにして、静鶴は悪戯っぽく笑いかける。童女のようにあどけない彼女の笑顔に、騙されるものかとアマネはフンと鼻で嗤う。 「彼女は泡になって消えたりしないよ」 「ずいぶんとかわせみの肩を持つのね」 「……そんなこと」  誠とともにあの場にいた静鶴は勘づいているのだろう、翡翠が歌姫として活躍しようがしなかろうが、結婚が避けられない現実に。 「あら、かわせみを鳥籠から出してあげたいなんて言いながら歌唱指導に熱をあげているのはどこのどなた? 矛盾してるわよ」 「余計なことを言って翡翠を混乱させるのはやめてください、|義母《はは》上」  うんざりした表情でアマネが言い放つと、静鶴はぺろりと舌を出して言い返す。 「……私のこと舞台しか見てないって小鳥ちゃんは言うけど、歌と躍りを愛するあなたの方が重症だと思うわ」  翡翠に真剣に歌を教えるアマネを見ているからだろう、静鶴は自分が不利になることを構わず翡翠を熱心に指導する歌姫の姿に危惧を抱いている。誠に縁を持ち、舞台に情熱を注ぐ同じ穴の貉だから、静鶴はアマネを手放せず、アマネもまた、彼女を義母と認めているだけだというのに。 「でも、舞台があるから命拾いしているのはお互いさまです」  アマネの言葉に、静鶴も渋々頷く。 「そうね。金糸雀歌劇団を潰さないためにも」  アマネが結婚して女優を退けば、歌劇団もまた、消えるだろう。七色の声を持つ歌姫の抜けた穴を埋める人材など、そう簡単には見つからない。撫子ひとりに看板を背負わせるのも無理がある。音痴の翡翠を筆頭に使うなどもってのほか。  静鶴にとって金糸雀歌劇団の首位歌姫は小鳥遊愛間音ただひとり。小鳥を遊ばせられない鳥籠など、ないに等しい。  だから静鶴は釘をさす。 「結婚して退場なんて、許さないわよ」  まだまだ楽しみたいんだからと笑って。 「……結婚も何も」 「そうかしら? 家から売りだされたかわせみに逃げ場はない。あるのは鳥籠の煌びやかな舞台か金城家の莫迦息子の奥方という地位ふたつにひとつ。朝誠さんは舞台で遊ばせてから嫁がせたいみたいだけど……」  このままじゃ、飼い殺しねと静鶴は溜め息をつき、アマネに問いかける。 「私はそんな哀れなかわせみを籠から出そうと思うの」  朝誠さんには悪いと思うけどね、とにっこり微笑む静鶴に、アマネは目を瞠る。 「出すって、どうやって……?」 「|台本《シナリオ》はすでに出来上がっているの。あとは決行の日取りと役者を揃えるだけ。だから……彼を貸してくれない?」  訝しげな表情のアマネに、静鶴は駄目押しのひとことを囁く。 「あなたにだって悪い話ではないはずよ。その身に宿る誇り高い血を日の本の公家華族に穢されるなんて耐えられない。そうは思わない? 金城朝周……いえ、|周《あまね》ちゃん」  小鳥遊アマネこと金城朝周はふっと顔色を変え、静鶴に告げる。 「――靭に、伝えておきます」  が、と声色を低くして、彼は囁く。 「翡翠を侮辱するような言葉だけは、口にしないでいただきたい」  もはや王国など存在しない。そう伝えても静鶴には通用しない。  |琉球王国《ルーチュークク》再建を夢見る彼女にとって、王家の血を継ぎながら尚王家から距離を置いている誠は格好の旗印であり憧憬の的だ。下手に刺激をすれば日本の配下を受け入れた尚一族を巻き込みかねない。  明治末期の琉球処分を経て華族の地位を賜り侯爵として東京へ移り住んだ王族。一方、按司だった誠の父親は横濱で生を終え、彼もまた横濱で士族として新たに生きていこうと商売を起こし、成功を収めた。だがそんな誠に取り入り後妻の座におさまった女は、王国滅亡に最後まで反対していた本土の残党の一派で、彼の王の血脈に目をつけていた……そして思惑通り子を宿し、彼女はいま、前妻が遺した息子をどうやって葬り去ろうか画策している。  とはいえ、誠がピンピンしているうちは動かないだろう。それに、尚本家にも多くの子が健在している。しばらくは静鶴も趣味の舞台を楽しむ傍ら、どれだけ子を多く残すかに時間をかけるはずだ。  それには金糸雀歌劇団という隠れ蓑が欠かせない。  静鶴と朝周は互いを牽制しあいながら、最高の舞台を演出しあっている。そこでしか、ふたりは共演できない。  歪んだ義理の母子関係を、誠は面白がっている。王様になる気はないなぁと笑って静鶴にあとのことは好きにしていいとまで言っている。だから彼女は諦めず、自分が次の王を産むのだと叶わぬ夢を夢見ている。邪魔な前妻の息子のことを憎みながら。  だというのに、自分が公家華族の令嬢と結婚するのは認めないという。懇意の公家華族と血縁を結ぶことの方が誠にとって利益となるのに、誇り高き血統を穢す行為だと静鶴は拒絶し、黙って縁談を壊したこともある。  きっと今回も、静鶴はなんらかの手をつかって翡翠を鳥籠から追い出すのだろう。そうすれば、また、代わり映えのしない舞台に情熱を傾けられる穏やかな日々がつづく。  だが、朝周の脳裡で警鐘が鳴り響く。  ――追い出された翡翠はどうなる?  溺愛していた父親にお金の代わりに外に出され、鳥籠に囚われた可憐で音痴なかわせみ。働いてお金を返して堂々と籠から出るため必死になって稽古に励む健気なかわせみ。  朝周にとって翡翠は、自分を舞台から退場させるための歌姫候補でありながら、結婚を現実のものへ導く花嫁候補なのだ。 「侮辱? あなたにとって厄介な娘でしかないのに、よくもまぁそんな偽善が言えるわね」 「……たしかに、狸ジジイが厄介な娘を連れてきた、とは思った、けど」  けれど、朝周は外見だけでなく内面まで美しい翡翠を気に入ってしまった。横濱駅へ迎えに行ったあのときに、けして涙を見せずアマネに従ったうつくしい少女のことを。  辛い現実を素直に受け止め生きようと自分についてきた気丈でいじらしい彼女を意識してしまったアマネは、それが歌劇のような激しい恋情とは異なる穏やかなものだと知って泣きたくなった。  初めてだ。このひとなら、素直にすべて受けとめてくれるんじゃなかろうか、と思えたのは。  七色の声と驚異的な聴力を持つがゆえに異形と蔑まれた幼少のこと。美しく着飾り歌い躍る西洋風歌劇に出逢ったことでドレスや宝石を身につけ女装し舞台に立つ悦びに目覚め、父親に呆れられても意志を貫き歌姫となったこと。そして頑張って隠している自分の複雑な生い立ちも……  いまはまだアマネとして傍にいる時間の方が長いが、彼女の失われた恋の傷が癒えたなら、いつかは事情をはなし、自分を花婿として受け入れてもらおうとまで考えたほど。あのとき接吻したのも、金城朝周という自分を認識してほしかったからだ……たとえ苦手だと嫌われても、記憶に強く残るように。  だが、誠が選んだ彼女の出自が没落とはいえ公家華族であることが、静鶴をはじめとした旧王国派の人間を反発させているのも事実だ。  彼女を無為な諍いに巻き込みたくない。ならば、静鶴の言うように、朝周の気持ちが強くなる前に、鳥籠から出してしまった方がいいのだろうか? 「彼女があなたを受け入れる? 無理強いされる結婚で、相手が歌舞伎役者でもないのに女装癖のある奇異な男なのよ? 甘い考えは早めに捨てた方がいいわ」  背中に氷柱を入れられたような冷たい言葉に、朝周はぎり、と歯を噛みしめる。 「っ……!」 「あなたなんか、人魚の|姫《ひい》さまのように、|泡《あぶく》になってしまえばいいのよ。悲劇のヒロインはふたりもいらないの」  舞台の上でしか輝けない義理の息子にそう言い放ち、静鶴は婉然と微笑む。 「どうせあなたひとりじゃ私がすることを止められるわけがないでしょう?」 「……止めるわけ、ない」 「そうよね、かわせみのしあわせを考えたら、あなたの淡い恋心を封印することくらい、なんてことないわよねぇ?」  ふぃ、と顔を背け、朝周は壁に貼られた旗を睨みつける。かつての王国の紋章である|左御紋《フィジャイグムン》。周にとってそれは、一度も本土に足を運んだことのない自分を苛む血の証でしかない。 「ああ。俺はまだ、|演《や》りたりないんだ」  そして、両耳から耳栓を取りだし、静鶴の前へ放り投げる。  舞台で歌姫として立ちつづけたい。ならば、恋心など認めず、とことん嫌われた方がいい。そして鳥籠のかわせみを外の世界へ放てば、きっとこの芽生えたばかりの気持ちは抑えられる。  そう、心の中で言い訳をして。
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