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第壱幕 金糸雀百貨店 * 2 *

 そこは簡素でありながら上品な部屋だった。扉には何も書かれていなかったが、どうやら商談をする際に使われる応接室のようだ。  猫脚の椅子と箱型のスツールがガラスのテーブルを挟んで向き合うように並んでいる。透明なテーブルの上には深紅の薔薇が生けられた陶器の花瓶が置かれ、ほのかに香っている。無機質な壁にかけられているのは|左御紋《ひだりごもん》の旗。たぶん、家紋なのだろう。 「よく来たね」  扉の向こうで待っていたのは大柄で浅黒い肌を持ちながらも上品に黒のスーツを着こなしている白髪の紳士と、浅葱色の和服を着た小柄な若い女性だった。 「どうか緊張なさらないで。こちらにお座りなさいな」  柔らかな笑みを浮かべ、椅子に腰かけていた女性が翡翠を隣にあるふかふかのスツールに誘う。翡翠はアマネをうかがい、彼女が頷くのを見て、ゆっくりと腰を下ろす。  それを見て、向かい側でどっしりと腰を据えていた白髪の紳士が低くて野太い声をあげる。 「わしは金城|誠《まこと》。この百貨店の経営責任者で、金糸雀歌劇団の団長でもある……それよりも、君にとっては義父になると説明した方がよいかな」 「|親父《おやじ》さま、言いすぎですわ」  きっぱりと言い切る誠にアマネが反論すると、誠はにやりと笑い、アマネに言い返す。 「ほぉ、さっそく情が移ったか」 「この|娘《こ》は婚約者と楽しく観劇した直後に身売り同然で別の男のもとに嫁ぐことになったんです。情が移るのは当然のことでしょう?」  同じ女性として納得できないとでも言いたそうに、アマネは誠の言葉に噛みつく。 「だが、こっちは大金はたいたんだ。立花子爵は娘を我が息子に嫁がせると契約書も渡している。お前よりもお嬢さんの方がわかっているのではないかな?」  誠に獲物を捕獲するような鋭い視線を向けられ、翡翠は渋々応える。 「……父の借金を肩代わりしていただき、ありがとうございます」  誠の援助がなければ、立花子爵家は一家離散ですべてを失っていただろう。 「わたしが嫁入り先を変更するだけですべてが丸く収まるんです。文句は言いません」  それを見て勝ち誇った表情を浮かべ、誠は子どものようにアマネへ言い募る。 「ほれ見ろ。お前も夢を追いつづけるより、そろそろ現実を見た方がいい」 「その夢をお金に還元して儲けてらっしゃる方に言われたくはありませんわ」 「何を言う。お前が花形じゃなければ歌劇団など費用のかかる余興……そうか、その手があった!」  アマネとぽんぽん言い合っていた誠はぱちんと手を打ち、あらためて翡翠の姿を見つめる。 「|静鶴《しづる》」 「はい」  部屋にいながら空気のようにじっとしていた女性が、朗らかに応え、翡翠を立たせる。 「……あの?」 「立花子爵が愛しの宝石と讃えていただけはあるな。陶器のような白肌につやのある栗色の髪……西洋人形のように可憐ではないか」  誠に値踏みされるように見られ、翡翠は赤面する。さきほどアマネに可愛いと言われた時よりも、なぜか恥ずかしい。 「|朝周《ともちか》にやるのが惜しいな」 「ぶっ」  誠の言葉にアマネが吹きだし、キッと睨みつけ言い返す。 「親父さまは静鶴さんを後妻に迎えたばかりでしょうに!」 「冗談だ。ただ、彼女にも選択肢を与えてもいいかと思っただけだ」 「妾になることが?」 「……うむ、それも一理あるか」  アマネから視線を外し、誠は翡翠の青みがかった瞳を見つめる。さきほどまでの朗らかな空気が一瞬にして引き締まったことに驚き、翡翠は不安そうに誠を見返す。 「立花翡翠。すでに父上に金は払ってしまったからすぐに君を解放することは叶わぬ。だが、君が実際に容姿性格ともども難ありな息子と顔を合わせ、結婚することがどうしても難しい、無理だと思うのなら……別の道を用意してやろう」 「お妾さんになるんですか?」  翡翠が身を乗り出して思わず応えると、「ぶっ」と吹きだす声が二重に響く。  「違う違う!」  そして誠が笑いながら翡翠に告げる。 「ここをどこだと思っているんだい――金糸雀歌劇団を擁する金糸雀百貨店だ。君自身がここで働いてお金を返してくれるのなら、君を立花子爵の元へ戻してあげてもいい」 「! ほんとうですか?」  思いがけない申し出に翡翠がパッと顔を明るくすると、誠がふっと意地悪そうに笑いかける。 「ただし、条件がある」 「どんなことでもやってみせます!」 「まだ何も言ってないぞ?」 「それでも!」  このまま横濱から戻れなくなるのはイヤだ。帝都に戻って父や皓介に逢いたい、そのために翡翠は自分のちからでここから出ていかなくてはいけない。働いてお金を稼いで返すことでその願いが叶うのなら、どんなに過酷な条件でも成し遂げてみせると、翡翠は挑むように瞳を輝かせ、誠へ訴える。 「……面白い娘だ。なら、勝負しよう」 「はい?」  きょとんとする翡翠に、誠は宣告する。 「今日付けで君を金糸雀百貨店へ雇い入れる。広報部門、歌劇団劇団員とする」 「……それって」  ごくりと唾を飲み込み、翡翠は誠の言葉を待つ。 「条件は――小鳥遊愛間音を抜く歌姫になること」 「え?」 「歌姫に勝て。それだけだ」  以上、と打ち切られ、翡翠は呆然とする。  その隣で、アマネもまた、目を瞬かせている。 「それから。お前にも言っておく。このまま歌姫でありつづけることが難しいなら、今度こそ結婚させるからな」 「ぶっ」  ――それってつまり、わたしが歌劇団の歌姫としてアマネさんを抜いたら、アマネさんが意に沿わない結婚をさせられてしまうということ? 「……アマネさん?」  翡翠がおそるおそる声をかけると、アマネは射殺しそうなほど鋭い視線を誠に向けている。 「どうだ? 悪い話ではなかろう?」  いけしゃあしゃあと応える誠に、アマネは低い声で言い返す。 「――この陰険狸ジジイっ!」 「まぁそう怒るな。のう、静鶴」 「とても素晴らしい提案だと思いますわ。まるで乙女が身を焦がす|浪漫す《ロマンス》小説のようね!」  うっとりと呟く静鶴に、こめかみをひくひくさせているアマネ。そして自体を受け入れられずにおろおろしている翡翠。  どこまでも楽しそうに笑う誠の声だけが、室内に響いている……
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