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◆第六章 あなたの想いに手を乗せて-2

 * * *  ラコットから、国王とのやりとりと両親に会いに行っていたことを聞かされて、アリナは感激に体を熱くした。彼は皇子ではなく、ひとりの男としてアリナを大切にしてくれている。ブラモアとのやりとりも察してくれていたと知って、底知れない安堵に涙ぐむと、目じりをそっとぬぐわれた。 「出過ぎた真似をしたか?」  いいえ、と答えた声はかすれてしまった。ここまで想ってくれる人に、寄り添って生きていきたい。  決意に似た想いに震えて、アリナは唇をおそるおそるラコットに近づけた。受け止めたラコットが照れ笑いする。 「アリナからされるなんて、思いもよらなかったな」 「私には、このくらいしかできることがありませんから」  はにかむと、もう一度と願われた。首を伸ばして唇を寄せると、熱い吐息がこぼれ出た。恋しい気持ちが押し寄せてくる。 「アリナ」  熱っぽい声に応えたアリナは、身も心もすべてをラコットにくつろげて、あますところなく彼に尽くした。ラコットも持てる情熱を惜しみなくアリナに与え、ふたりは充足の時を味わい、想いを重ねて未来を目指す決意をゆるぎないものにした。 「アリナ」  激情の余韻に酔いしれながら、ラコットが耳にささやく。 「近く、アリナは王妃になると宣言する」  ふいの言葉に、アリナは返事ができなかった。クスクス笑いながら、ラコットが唇でアリナにじゃれつく。 「今度の交易船には、外交の使者も乗っているんだ。交易船は定期的にやってくるが、外交の使者が毎回、乗船しているわけじゃない」  間を置いたラコットは、三年後の譲位にそなえての話をするために、外交の使者はやってくるのだと説明をした。その際に、次期王妃が決まっていると伝えれば、使者もよろこぶ。 「この国のしきたりは向こうも知っているが、先にどんな女性が王妃になるのか知っているのといないのとでは、違ってくるからな」  何がどう違ってくるのか、アリナは察することができなかった。勉強不足を恥じると、気にしなくていいと頬を撫でられる。 「祝いの品を贈るのに、相手の好みを知っていたほうがやりやすい、という程度のことだ。俺の次の誕生日には、次期王妃となる者が誰かを発表することになるが、その前にアリナがそうだと知っていれば、向こうも品選びが楽だろう」 「ですが、先に知らせて問題はありませんか? 皇子の誕生日までは伏せておかなければならないはずです」  それに自分はまだ、聖女という身分のままだと不安に顔を曇らせた。  ラコットはおどけた風に肩をすくめた。 「父上が問題ないと言っているのだから、大丈夫だろう」 「国王様が?」  そうだと、ラコットは国王の考えをアリナに告げた。 「国の伝統も大切だが、他国と交流をしていくためには、固執するばかりではやっていけない。柔軟に対応できるものはしたほうがいい。今回の事前公表はいいきっかけになる。何より、悪い話ではないのだから、数か月ほど早まったところで、問題はない……だ、そうだ」  儀式は従来どおりにすると結ばれて、アリナは素直によろこんでいいのか、聖女として顔をしかめたほうがいいのかわからなかった。 「使者に伝えるだけで、国民には知らせないのでしょうか」 「いいや。国民にも知らせる。そのための準備を神殿で進めてもらっているところだ」  どういうことかと目顔で問えば、ラコットの目がやわらかさを増した。 「アリナの身分は、まだ聖女のままだからな。女神アナビウワトに許しを請わなければ、いくら俺や父上が決めたと伝えても、国民は納得をしないだろう。だから、儀式をおこなうんだ」 「儀式、ですか」 「そうだ。異例の儀式になるだろうが、神殿の者たちは協力的だ」 「私を、聖女から外すために、ですか」  陰鬱な声になった。ラコットが明るい声でそれを拾う。 「聖女の中の聖女と呼ばれているアリナが、王妃となって国を支えていくことを望んでいるんだ。神殿の者たちは、アリナの幸福を願ってくれている。聖女にふさわしくないと思っているわけじゃない」  前向きな言葉に、心が軽くなった。それと同時に、人々から向けられる期待の重さに肩がこわばる。 「心配しなくてもいい。アリナは、ひとりではないのだからな」  ひとりではない、と口内で繰り返すと、ツァーリやエクトル、ミズーリの顔や聖女たち、両親の姿が次々に脳裏に浮かんだ。最後に、ラコットの緑の瞳がアリナを支える。 「ええ……ええ、そのとおりです。私は、ひとりではありません」  だからきっと大丈夫とほほえんだアリナは、ラコットの腕に包まれて安らかな眠りを味わった。  それから数日後。  アリナは久しぶりに神殿を訪れていた。肩には紫のケープを羽織り、凛々しい面持ちで神殿の奥にある女神像の前に立っている。背後にはすべての聖女が控えていた。  ラコットの姿はない。  ここは、聖女以外の立ち入りが禁止されている神託の間だった。壁の上部には色ガラスがはめられており、明るい日差しが色ガラスの模様を床に映している。大輪の花に似た光の模様の中心に進んだアリナは、ひざまずいて女神アナビウワトの像を見上げた。  聖女たちがしずしずとアリナを取り囲み、森の泉からトモロコ家の女が汲んできた水を、女神像の前にある薄いたらいに注いで水鏡にすると、切れ込みを入れて舟の形に似せて編んだ、細長い木の葉を浮かべた。  荘厳で美しい音色が、聖女たちの唇から紡がれる。祈りの文言は歌となって朗々と広がり、反響して水面をちいさく揺らした。音色がさらに高まると、水鏡に浮かべられた木の葉が揺れる。 (女神アナビウワト……どうか、どうか私をラコット様の妻と認めてください。私は、あの方と共に歩んでいきたいのです。あの方を支え、国を守る役を与えてくださいませ。どうか、どうか私を聖女の任から解いてくださいませ)  最上位の聖女を示す紫のケープを与えられていながら、こんなことを願うなんてと批難する己の声は聞こえなかった。アリナの迷いは、ツァーリの言葉やエクトルの気持ち、ラコットの真摯な心によって取り払われていた。 (女神アナビウワト、どうか、どうか私の願いをかなえてください)  王妃になりたいと願うことは、女神への信仰心を失ったことにはならない。なぜなら女神は大地を、国を、民を守るものだからだ。聖女としてではなく、王妃として国王となるラコットを支えることは、女神の慈悲の手伝いをしていると言えなくもない。  民はアリナが女神に呼ばれ、森に入って神意を受けたと信じている。そのアリナが王妃となれば、より日々を安んじて過ごせるはずだ。 (私の、あなたを敬う気持ちは変わりません)  王妃となっても、聖女である現在と変わらずに尊崇の念を持って過ごします。ですからどうか、どうか私をラコット様の傍に置いてくださいと、祈りのために握った指先が白くなるほど強く願った。 「あっ」  聖女のひとりが歌を途切れさせ、声を上げた。それを合図に響いていた荘厳な旋律が止む。かすかな息遣いと衣擦れだけとなった空間で、アリナはそっと目を開けた。 「アリナ、立ちなさい」  来年には聖女の任を解かれる最古参の聖女に、手を差し伸べられた。結果が出たのだ。  固唾を飲んで、アリナは先輩聖女の手を取った。膝を浮かせて視線を落とす。  願いは聞き遂げられたはずだ。女神アナビウワトに祈りは通じている。  ドキドキと不安と期待に高まる鼓動を抑えて、アリナはそっと目を上げて、水鏡に浮かぶ木の葉の舟を瞳に映した。  * * *  そろそろ儀式は終わっているはずだと、ラコットは神殿の前で落ち着かなさげに立っていた。足で地面を叩いたり、腕を組んで指先で肘を叩いたりしているラコットの横には、のんきな顔のエクトルがいる。  こちらは女神が民の願いを聞き遂げないはずはないと、結果を信頼しきっているらしい。 「大丈夫ですよ、ラコット様」 「女神がアリナを愛しているかもしれないだろう?」  軽口を叩いてみるが、口に出せば不安をあおられた。女神の意志を無視することはできない。信仰は強い力でもあるからだ。いっそのこと神殿の奥に乗りこんで、アリナを奪ってしまおうかと物騒なことを考えてしまう。 (だが、それではアリナの気持ちを踏みにじることになる)  あくまでも彼女が心の底から納得のできる形で、妻になってもらいたい。心残りなどわずかもあってはならないのだ。 (小さな曇りは、時間を経るにつれて大きくなってしまうからな)  憂いは早めに取り除いておきたい。そのために聖女たちに頼んだ儀式なのだが、結果がラコットの望むとおりになるとは限らなかった。 「そろそろ、結果が出てもいいはずだ」  つぶやけば、エクトルが神殿へ向かいかけたので襟首を掴んで止めた。 「どこに行くんだ」 「様子を見てこようと思って」 「儀式の邪魔をする気か」 「入っていい場所までしか、行きませんよ。そのほうが、早く結果が知られていいでしょう?」  自分が走って結果を聞いて、急いで戻ればいいんだとエクトルは考えたらしい。 「いや。結果は、ここで一緒に聞いてくれ」  なぜラコットが不安がっているのか、エクトルにはわからないらしい。それでいいとラコットは思う。そんなエクトルだからこそ、共に結果を待ってもらいたいと考えたのだ。 「あっ」  エクトルが目をくるくるさせて、神殿を指さした。建物の影の部分から、白い影が走り出てくる。それがアリナだと気がつくよりも早く、ラコットは腕を広げて駆けだしていた。 「アリナ!」  広げた腕の中に、アリナは飛び込んできた。胸に顔をうずめられて、ひしと抱きしめる。細い形は小刻みに震えていて、興奮しているのだと伝わってきた。この反応では、どちらの結果であったのか判別できない。  結果を知りたいと逸る気持ちを抑えて、アリナが落ち着くまで待つラコットの横を、エクトルが走り抜けていった。おそらくツァーリに結果を聞きに行ったのだろう。  震える彼女に頬を寄せて、ラコットは腕の中の愛しい人のぬくもりを味わった。たおやかな彼女を腕に包むよろこびが、日常になってくれと願いながらアリナが口を開くのを待つ。 「っ、ラコット様」  涙声で呼ばれ、ドキリとした。ゆっくりと持ち上がった彼女のまつ毛が濡れている。まさかと頬をこわばらせたラコットは、アリナの微笑に胸を突かれた。 「女神は、私たちの望みをかなえてくださいました」  水鏡の舟はほどけて、アリナを聖女から解放すると告げた。  体中から緊張が剥がれ落ち、よろこびの衣が肩にかかった。 「ああ!」  天に向かって感謝に吠えたラコットは、アリナを抱き上げて踊りはしゃいだ。 「ラコット様、あのっ」  とまどうアリナもうれしそうで、ますます心がふくらんでしまう。神殿から戻って来たエクトルやツァーリから、おめでとうございますと言われて彼女を下ろし、礼を言っていると神殿から聖女たちが現れた。 「ラコット様。アリナはこの瞬間から、もう聖女ではございません」 「ああ」  うなずいて、ラコットはアリナの肩にかかる紫のケープを外し、進み出た聖女に渡した。 「これからアリナは、祈りではなく行動で、俺と共に民を守るために生きていく。どうか、俺たちの未来を祝福する祈りを……女神アナビウワトには、感謝をささげてほしい」  静かにうなずいた聖女は、アリナにほほえむと何も言わずにきびすを返した。アリナは唇の動きだけで礼を言い、深く頭を下げる。ラコットも聖女たちと神殿の奥に広がる森に向かって、頭を下げた。 「ねえ、ラコット様。お祝いをしませんか。ツァーリと僕と、ラコット様とアリナ様で」  にっこりしたエクトルが、ツァーリの手を握る。頬を染めたツァーリと、胸を張るエクトルを見比べてラコットは白い歯をきらめかせた。 「そうだな。温室で、祝いの茶会をするとしよう」
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