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◆第六章 あなたの想いに手を乗せて-1

 想像していたよりもあっけなく、人々はツァーリとラコットの作った話を信じたようだった。  すっかり慣れた城の一室で、窓際に寄ったアリナは細い月を見上げる。神殿はアリナが不在でも、とどこおりなく日々の営みをおこなっているという。昼間、かならず訪れてくれるツァーリからの報告で神殿の様子を、時間を見つけては会いに来てくれるエクトルの話から街の様子を、知ることができた。 (私がいなくても、問題はない)  自分が聖女に選ばれるより前はそうだったのだから、アリナひとりがいなくなったからといって、人々の日常が大きく変わるわけではない。  さんざん脅かされてきた不安や心配はなんだったのかと、笑いたくなってしまう。その笑いは愉快なものではなく、寂しさと自嘲を交えたものだった。  心の奥がひんやりとしている。同時に、安堵も覚えていた。  生涯聖女にならなければと、ウワサに後押しされて決意したものが、あっさりと崩れてしまった。気負いはすべて剥がれ落ちて、アリナは自分がちっぽけで頼りない、なんの力も持たない平凡な人間だと思うようになっていた。 (思い上がっていたんだわ)  もてはやされて、自分を見失っていたのだ。ラコットとの出会いは、そんなアリナに自分を取り戻させるための、女神アナビウワトの采配だったのかもしれない。  そうであってほしいと、願いを込めて信じようとする。  神殿に戻らなくとも、朝夕の祈りは欠かしていない。朝はこの部屋で、夕方は温室で女神に祈りをささげていた。聖女の任を解かれたわけではないので、ドレスは聖女用のものしか着ていない。そんなアリナの姿を見た人々は、アリナはやはり女神アナビウワトに祝福されていると、尊崇の念を強くしていた。  そんなつもりではない。ただ自分の迷いと境遇を振り払えないだけだ。  ラコットは国王に、アリナを妻にすると告げた。国王は鷹揚にうなずいて、望むようにすればいいと答えた。その場にいたエクトルから聞いた話だ。  胸が震える。  ラコットに会いたいが、明確な理由もないのに呼び出すわけにはいかない。彼は皇子なのだから。  もうすぐ交易船がやってくる。商売をするのは商人たちだが、外交の使者も乗っていると聞いている。迎える準備や交渉の内容など、決めておかなければならないことが山積しているのだろう。毎日、顔は出してくれるがゆっくりと語らう間はなかった。  物憂い息を吐きだせば、ノックがされた。こんな時間に来る人は、ひとりしか思いつかない。もしかして望みが通じたのかと、アリナは扉の向こうに返事をかけた。  はたして、現れたのはラコットだった。胸の奥で感謝したアリナの足は、彼の元に行きたいのに動かなかった。  微笑をたたえて近づいてくるラコットの顔は、晴れやかだった。 「報告があるんだ」 「国王に私の話をなされたそうですね」  虚をつかれた顔をしたラコットが、ニヤニヤしながら「エクトルだな」とつぶやいた。うなずけば、照れくさそうに「やれやれ」とこぼされる。 「受け入れられたということも、聞いているんだろうな」 「はい」 「そうか」  なんとなく言葉が続かなくなって、ふたりで足元に視線を落とす。向き合いながらも顔を伏せるふたりの姿を、窓から差し込む月光が淡く包んでいた。 「お忙しいのに、お越しいただいて恐縮です」 「うん……ああ、その、なんだ。俺達はもう夫婦になることが決まったんだ。遠慮せずに、親しく接してほしいんだが、ダメか?」 「ダメというわけでは……ただ、まだ正式に認められたわけではありませんので」 「それまでは、立場を踏まえた態度でいたいと?」 「ご不快ですか?」 「不快ではないが、そうだなぁ……少し、寂しいな」 「寂しい?」  目を丸くすれば、首肯された。 「俺は、アリナと深く心が通じ合えたと思っているんだが」  ふわっと頬が熱くなった。そこにラコットの手が添えられる。 「迷っているのか。俺の妻になることを」  少し考えてから、正直に答えた。 「わからないのです」 「わからない?」 「はい……私などいなくても、とどこおりなく日々は流れております。神殿の生活は変わりないと、ツァーリは教えてくれます。私を生涯聖女にと言っていた人々は、エクトルの話からすると、もうその話はしなくなって、いっそ皇子と結ばれて国を支えてくれればと話しているとか」 「そのとおりだ」 「ですから、私とはいったい、なんだったのだろうと」  ふうむと鼻を鳴らしたラコットの、アリナの頬にあった手が肩に移動した。 「ツァーリが気を利かせて、アリナを不安にさせまいと言っているとは思わないか? 民に納得をさせようと、エクトルがわざと別のウワサを流しているとは考えないのか」  ポカンとしたアリナの額に、クスクスと鼻を鳴らしたラコットの額が重ねられる。 「素直なんだな、アリナは」  首筋までを赤くして、アリナは目を伏せた。 「あの子たちに、気を使わせてしまっているのですね」 「半分は真実だろうし、半分は善良なウソのはずだ。最高位である紫の聖女がいなくなったのだから、多少の不安はあるに決まっている。だが、いまは粛々と、後継の聖女を女神にうかがう儀式の準備を進めているのだそうだ」 「そう、なのですか」  ぎこちなく答えれば、両腕をしっかりと掴まれた。 「すぐに、元通りになることはない。いや……別の人間が選ばれるのだから、元通りとは言わないな。だが、そうやって日常は変化をしていくものだ。願わくば、それが以前よりも、よりよいものになればと思うし、そうなるために今を生きているつもりでいる」  腕にあったラコットの手が背中に移動し、ふんわりと抱きしめられた。 「そのために、俺の妻になってくれ。俺の隣で、支えてほしい。笑顔で日々を過ごしてもらえるよう、力を尽くそう」 「ラコット様」  何か言わなければならないことがあるのに、湧き上がる感情は言葉になってはくれなかった。伝えたいものは感謝なのか、同意なのか、不安なのかと考えて、すべてなのだと気がついた。ひとつだけを取り出して伝えることはできない。  無言で彼の肩に額を乗せれば、彼の腕に力がこもった。 (この方の、力になりたい)  自分の持てるすべてを使って、ラコットを支えたい。求めてくれるのなら、最大限に応えたい。女神アナビウワトに向けるよりも、ずっと強い気持ちを抱えたアリナは、ラコットの背中に腕を回した。 「愛しています」  すべての感情を凝縮すれば、言葉はそれしか見つからなかった。 「俺も、愛している……アリナ」  髪を指で梳かれて顔を上げれば、やわらかく唇が押しつぶされた。彼の吐息とアリナの息が合わさって、ひとつの想いへ昇華する。 (愛しています)  魂が明滅しながら訴えている。取り出して彼に見せたいと望んだアリナを、月光がやんわりと肯定してくれた。  * * * 「よろしいのですね、父上」  念を押したラコットに、国王は鷹揚にうなずいた。 「聖女アリナを妻にとは、大胆なことを考えたものだな」  誇らしげなからかいに、挑む気配でニヤリとした。 「好きになった女性が、たまたま紫の聖女だっただけです」 「生涯聖女になるやもしれぬと、ウワサをされるほどの娘に目を止めたとは、我が息子ながら恐れを知らんな」 「彼女は任を解かれれば、マリス夫人になる予定でした。それが皇子の妻になるだけです」 「生涯聖女になる可能性は、なかったと?」 「どうでしょう。彼女はそのつもりだったようですが、選ぶのは女神アナビウワトですからね」  フフンと鼻を鳴らした国王は、ずいぶんと楽しそうだった。息子の決定を心の底から祝福しているらしい。 「母上にも、すぐに報告をしたいのですが」 「まあ、そう急ぐな。その前に色々と決めておかなければならない話がある」  けげんな顔をしたラコットの横に、国王は視線を動かした。ちょろちょろとついてきたエクトルが、肩をすくめてから頭を下げて軽い足音をさせて去っていく。 「内密の話というわけですか」 「あの子は気が利きすぎるところがあるだろう? おそらく、おまえの愛しい人の元へ走っているはずだ。国王がふたりの仲を許したと報告するためにな」  いたずらっぽく目の奥を光らせた国王の意図を察して、ラコットはふっと息を抜いた。 「ここから先の話は、俺から彼女にするべきだ、というわけですね」 「よろこばせる役を、したくはないのか?」 「したいですよ。彼女の笑顔を引きだすためなら、俺はなんでもする覚悟です」 「恐ろしいな」 「傾国の美女になりかねないと? 生涯聖女になるかもしれないとウワサされるほど、民に信頼されている彼女が」  万が一にもあり得ないと鼻先で笑い飛ばすと、冗談を続けたいらしい国王が意地の悪いことを言う。 「権力を手に入れれば、人は変わるものだ」 「はじめから権力を持っている王族ならば心配はないけれど、と言いたいのであれば、どんな娘が俺の妻になったとしても、心配は尽きないでしょう。むしろ、聖女として元の家との繋がりを一度断っている彼女であれば、欲に駆られた父親が陰で操るなんて心配もなくなるのではないですか」 「彼女はたしか」 「モナミス家の出です」  ふむ、と顎を撫でた国王が現当主の顔を思い出そうと斜め上に視線を向ける。 「まあ、無害な男ではあるな」 「善良な人ですよ」 「会ったのか」 「ひっそりと」  彼女を城に引き取ってすぐ、ラコットはアリナが生まれ育った屋敷を訪れていた。突然の皇子の訪問に驚きながらも、王族としてではなく、ひとりの男として彼女の両親と話をしたいと切り出すと、アリナの両親はラコットの希望を入れて過度な接待はしなかった。 「彼女を、俺の妻にしたいのです」  愛しているのだと伝えると、こぼれんばかりに目を見開いたふたりは、ポカンと開けた口から言葉を発することも忘れて立ち尽くした。 「彼女がもし、生涯聖女とならなかった場合、どう扱うつもりでいるのですか」  質問に、夫婦は顔を見合わせて、ブラモアから屋敷の庭に神殿を造るので、聖女として引き取りたいと申し出があったと答えた。眉をひそめたラコットは、建前だと心の中で断定した。夫婦は素直に好意だととらえているみたいだが、あの日のブラモアとアリナの姿を思い起こせば、愛人にするつもりであることは明白だった。 (だが、わざわざそれを伝えて、波風を立てる必要はない)  ブラモアの妻となった女が哀れだし、そんな男に娘を嫁がせたと知った親の気持ちは計り知れない。こちらが知らないだけで、アリナを事実上の愛人にすることを双方が納得している場合も考えられた。 「あなた方は、アリナに生涯聖女になってほしいと望んでおられるのですか?」  ふたりはまた顔を見合わせ、互いの意見をうかがいながら返事をした。 「私たちは、あの子がしあわせであるのなら……周囲の期待を意識しすぎずに、自分のしたいことを選んでもらえればと思っています」 「ですが、聖女については、女神アナビウワトがお決めになられることですから」  頬に手を当てて眉尻を下げた夫人に、ラコットは「そのとおりです」と笑った。 「すべてはアリナの気持ちしだいだと、俺も考えています。聖女について決めるのは、女神であることも承知しています。ですが俺は、女神アナビウワトであっても、彼女を渡したくないと考えています。不敬だと思われるかもしれませんが」  それだけ彼女を愛しているのだと、微笑をたたえたまま強い瞳でうったえると、夫人は感動に瞳を潤ませて手を伸ばしてきた。 「ああ、ラコット様。それほど娘を愛してくださっているのですね! あの子が承知をするのであれば、私は賛成です。――ねえ、あなた」 「そこまで娘を想っていただけるのは、光栄です。ですが、女神アナビウワトがアリナを選ばなければ、ということは承知していただきたい」  敬虔な女神信仰者である夫妻の不安に、ラコットは深くうなずきながら女神に祈った。 (アリナを俺に与えてくれ)  この国を、大地を守護する女神であるならば、次代を支える王となるべき己から、最愛の人を奪わないでくれと願いつつ、ラコットは民の気持ちを「アリナを生涯聖女に」から「国を支える王妃に」へと移行させるべく、行動を開始した。 (人心を操作するような振る舞いを、ずるいと言われても、卑怯だと思われてもかまわない。俺達は、想い合っているのだから)  恋し愛されている者同士が、結ばれない法はないと、ラコットは女神アナビウワトに激情を叩きつけた。
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