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◆第四章 柔和な想いに打ちのめされて-3

 * * *  膝の上に漆黒のフード付きローブを乗せて、アリナは心を揺らしていた。ローブには手紙が添えられていた。 『星明りの中、すばらしい森の景色に案内したい。今夜、丘の上で』  黒のローブは、人目を避けるためだ。署名はなくとも、にこにこしたエクトルに包みを渡されたことと文面で、ラコットからだと察せられた。 (夜の、森)  目の奥に、陽光にきらめく滝の姿が浮かんでいる。あの時の感動が胸に迫って、それに似た森の姿を知られるのならとソワソワした。同時に、ラコットに手を取られるよろこびも湧き上がってくる。 (なんて、はしたない)  聖女が、いくら相手が皇子であっても異性との深夜の外出を待ち遠しく思うなど、あってはならない。それなのに心は理性の説得をものともせずに、今夜の外出をうながしてきた。  もう、ごまかすことなんてできやしない。  聖女である前に、恋をする乙女である自分を受け入れざるを得ないほど、ラコットの存在は胸にしっかりと根付いてしまった。  そっと吐息を漏らせば、遠慮がちなノックが聞こえた。あわててローブと手紙を寝台の毛布の下に隠して、扉に来客を迎えに行く。 「こんにちは、アリナ様」  はにかみながら立っていたのは、ツァーリだった。あれからツァーリは、こまめにアリナの部屋を訪れる。特に用事はなくともたわいない話をしに来るのは、やはり両親が出立してしまう事実が寂しいのだろう。近しい誰かを求めているに違いない。  彼女の手には、籠が下がっていた。 「母から、ケーキが届いたんです。干しブドウをたっぷり入れた、すこし硬めのケーキなのですが……もし、お嫌いでなければ」  おずおずと言われて、笑顔で部屋に招き入れる。 「お母様がいらしてくださったのね」 「はい。その、ラコット様から手紙をもらったと言って、来てくれたんです」  どこかはしゃいだ気色をまとっているツァーリは、年相応の少女だった。妖精と称される清廉とした雰囲気は、今の彼女からは感じられない。  それでいいと、アリナは思う。  聖女としての務めを求められているときにだけ、聖女であればいい。いずれは神殿を出て、自らの人生を進むのだから。下手に神聖を身に着けてしまえば、近寄りがたく思われてしまう。 (私は、どうなのかしら)  ツァーリもエクトルも親しく慕ってくれている。だが、外に出ればアリナは聖女の中の聖女として遇される。下にも置かぬ丁寧なもてなしはありがたいが、隔たりを感じられた。生涯聖女になるとウワサされているからだろうか。自分はそれほど立派ではないと思うのに、人々は違った目を向けてくる。  ツァーリの母の焼いたケーキは、しっとりとした舌触りで、甘すぎずおいしかった。彼女はお茶も持参しており、この部屋でくつろぐことを想定していた。 (来てくれてよかった)  ひとりであれば、黒いローブをながめたまま、堂々巡りの思考を繰り返すばかりだっただろう。答えのないまま夜を迎えて、そして――。 (そして、私は迷いながらも神殿を抜け出すんだわ) 「アリナ様?」  考えに沈んでいたアリナは、ハッと顔を上げて笑顔を作った。 「ごめんなさい。ええと、何の話だったかしら」 「いえ……何か、心配事でもあるのですか?」  案じ顔のツァーリに、何もないと言いかけて止めた。彼女はとても気にかけてくれている。表情から、力になりたいと心底思ってくれているのだと伝わってきた。アリナがそうしたように、ツァーリも助けになりたいと考えてくれていた。 (だけど、言えることかしら)  聖女とはほど遠い悩みを打ち明けて、がっかりされはしないだろうか。そう思うこと自体が、聖女にふさわしくない保身とも取れる思考だ。  生涯聖女になるであろうという期待を裏切りたくはない。多くの人がそう望んでいるのなら、信頼に応えたい。迷いを伝えて、幻滅されたくなかった。 (私は、信頼を失いたくないから、彼女の気持ちを無下にするの? いいえ。自分の立場を守りたいから、差し伸ばされた手を断ろうとしているんだわ)  怖いのだ。いつの間にか、人々の期待に応えられなくなることが、おそろしくなっていた。気づいたアリナはクシャリと顔をゆがませた。目を見張ったツァーリに、泣きだしそうになりながら笑顔を向ける。 「あなたの期待を裏切る話をするわ」 「期待、ですか?」  けげんな顔をするツァーリに、吐息とともに「ええ」と答えて、すぐさま訂正する。 「あなただけじゃない……私を高く評価してくれている方々すべての希望を、裏切る気持ちを持っているのよ」  フフッと自嘲気味に鼻を鳴らせば、移動したツァーリの手がアリナの手に添えられた。 「アリナ様、苦しかったのですね。まわりの目が、つらかったんですね」  疑問ではなく断定的に言われて、アリナは気づいた。彼女もまた、妖精のようだと称されて、周囲の評価に応えようと自分を抑えていたのではないかと。 「うまく言えないんですけど、アリナ様はとても美しくて、すばらしい方だと思います。私みたいな、まだここに来て間もない者のことも気にかけてくださって……だから、私では力不足かもしれませんが、お役に立ちたいんです」  静かに訴えられて、ありがたさが胸に沁みた。添えられている彼女の手を握り、ありがとうと告げれば目頭が熱くなった。 「迷いがあるの……私も、あなたほどではないけれど、任を解かれてから先の道が見えなくなってしまったから」 「それは、そのう……婚約者だった方が、別の方と結ばれたからですか?」  気遣う表情にうなずきを返せば、ツァーリの目が気の毒そうに揺れた。 「きっと、多くの方々が知っているのでしょうね」  貴族間では知らない者はいない話だ。婚約破棄の理由は、アリナが生涯聖女になるからだとウワサが立てば、貴族だけでなく庶民たちの口にも上る話題となる。だからブラモアに呼ばれて屋敷に出向くとき、先輩聖女はもの言いたげな心配顔をしていたのだ。 「アリナ様は、生涯聖女になりたくはないのですか?」 「わからないわ。なりたいと望んで、なれるものでもないでしょう? 決めるのは女神アナビウワトだわ」  しっかりとうなずいたツァーリは、「アリナ様なら大丈夫ですよ」と、多くの者が口にする言葉を言わなかった。黙って続きを待っている。彼女に不安を打ち明けられた時の自分とおなじ行動だと、アリナは目元をなごませた。 「ありがとう」 「え?」 「私なら選ばれるとは、言わなかったから」  弱みを見せるのは、とてつもない勇気が必要だ。立場や信頼を瓦解させる要素を含むのならば、なおさらに。だけど、ツァーリなら……うわべだけのなぐさめに似た言葉を使わなかった彼女ならと、アリナは重たい気持ちを取り出した。 「想いを寄せている人がいるのよ」  目をぱちくりさせたツァーリの口が、ポカンと開く。クスッと鼻を鳴らして、アリナは歌うように想いを続けた。 「私は聖女だわ。聖女として、認められる存在でありたいと考えているの。ブラモア様との婚約破棄と、彼の結婚の儀を執りおこなったことで、周囲の期待に応えなければと気持ちを固めたわ。女神アナビウワトも望んでくださっている。だから、こういうことになったのだと」  けれど、と声のトーンを落としたアリナは、まぶたを下ろして記憶の中のラコットの姿を見つめた。 「それから、そう時間は経っていないのに、心が揺れているの。ブラモア様に気持ちを残しているのではないわ。彼とは……そう、幼馴染ではあったけれど、恋ではないから。親同士が決めた関係で、なんとなくそうなるものだと思っていただけ。流されていたの」  今の自分も、流されているだけではないのかと自問する。周囲の期待に流されて、自分の気持ちをなおざりにしようとしているのではないか。向き合わずに、置き去りにしているのではないか。  深呼吸をして、自分の想いに目を向けて、確認する。  ラコットの緑の瞳がキラキラと、アリナの魂を包んでいた。柔和なまなざしに心が震える。彼の瞳の森の奥へと入り込み、住み着いてしまいたい。唇が甘く疼いて、キスの感触を思い出すと頬が熱くなった。 「恋をなされているんですね」  しみじみとつぶやかれて目を開ければ、ツァーリの微笑があった。 「ええ」  素直に認めれば、体が軽くなった。 (そう……私は、恋をしているわ)  ラコットに恋をしている。だが、それは許されるものだろうか。 「女神アナビウワトは、私に幻滅をするのではないかしら」 「なぜですか」 「正確に言えば、私を聖女と認めてくれている方々が、かしら」  腹部がギュッと絞られて苦しくなる。しかめ面になったツァーリが、「そんなの」と鋭い声を発した。 「苦しいだけです。流されるのは、とても苦しいです。私、すごくつらかったんです……聖女に選ばれて、よろこばなければいけないのに、両親と離れて暮らしたくなくて、泣きました。だけど、妖精みたいだとか言われて、本当はぜんぜん違うんだって思っていても、そんなふうでいなくちゃいけないって思って、窮屈でした」  わかるわ、と、うなずけば、「だから」と語気強く続けられた。 「何ができるか、わかりませんが……それでも、アリナ様自身の気持ちを大切にしていただきたいです。アリナ様が大好きだから、自分自身を尊重してもらいたいんです。まわりの人たちではなくて、きちんとアリナ様をアリナ様として見ている人のために」  真剣なまなざしに胸を打たれる。 (私を、私として見ている人)  それはおそらく、目の前のツァーリであり、エクトルであり……ラコットなのではないか。聖女ではなく、アリナという名のひとりの人間として接してくれている人の気持ちと、アリナをただ“聖女”としか見ていない相手。どちがら真実、大切なのか。 「国と個人は、比べられないわ」  口にして、ラコットこそ立場があると考える。数年後には国王として立つ人が、個人の考えで行動をするなど許されない。 (気持ちに従うのなら、今夜……誘いを受け入れたい)  立場を思えば、行ってはいけない。 「自分を大事にするのは、大切なことだって教えてくださったのは、アリナ様です」 「え?」  驚けば、強い視線で訴えられた。 「居場所がないから、生涯聖女になるしかないって泣いた私に言ってくださいました。両親と行きたいのか、この国にとどまっていたいのかって。それって、私の気持ちを大事にしなさいってことじゃないんですか?」  たしかに言ったが、そこまで考えてのことではなかった。ただ、ツァーリがどう考えているのかを知りたかっただけなのだ。 「ラコット様は、どうするか、どうなるかは自分自身で決めなくちゃいけないって……言葉は違いますけど、おなじ意味ですよね?」  答えられなくて押し黙っていると、ツァーリに身を寄せられた。 「ふたりの言葉を聞いて、思ったんです。自分を大切にしているから、自分と向き合っているから、進む道が見えるんだって。ラコット様は、きっとそういう方なんです。だから民に慕われていて、私のような者にまで親切にしてくださるんです。――だから、アリナ様。アリナ様も、ご自身の心に従ってください」  ぐらりと世界が揺れた気がした。 「わ、私は……私は」  声が震える。しっかりと支える目でツァーリにうなずかれて、胸がざわめいた。 (ラコット様の申し出を、受け入れてもいいというの?)  * * *  今夜、アリナは来てくれるだろうか。  落ち着きなく部屋を歩き回るラコットは、窓の外に目を向けて夕茜に染まる空に視線を向けた。 (来てくれると信じたいが)  五分五分というところだろうと、楽観はしていない。来てくれたとしても、ただ景色を見たかっただけで、ラコットに想いをかけていることにはならない。 (まったくの問題外だと考えているから、夜に男とふたりで出かけても、警戒を持っていないとも思えるが)  その時は、その時だ。信頼されていると好意的に受け取ろう。来られないよりは、ずっといい。  待ち合わせの時間が待ち遠しい。早々に沈んでくれと太陽に願ってしまう。  策ありと口の端を持ち上げたミズーリの提案は、夜にしか見られない美しい光景をアリナに見せてはどうかというものだった。闇に紛れる黒のローブを送り、誘いの手紙を渡す。彼女が現れれば、抱えていた気持ちのすべてを真摯に伝え、来なければまた別のアプローチを考える。  まるで賭けだなと苦笑すれば、賭けですよと答えられた。そうでもしなければ、距離が縮まらないでしょう? (その通りだ)  ふたりで滝を見たときに、想いが先行しすぎて「嫁になれ」と命じてしまった。あの時に、きちんと順序立てて気持ちを伝えていれば、少しは進展していただろうか。 (終わったことを考えても、しかたがない)  過去は変えられないが、改善した未来は迎えられる。前回の失敗を踏まえて、アリナが来てくれたなら、唐突な気持ちではなく胸に秘め続けた恋なのだと伝えるのだ。 (アリナ……どうか、俺に想いを吐露する機会を与えてくれ)  そして願わくば、気持ちを受け止めてほしいと見上げた空に、白く輝く月の姿があった。
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