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第5話

「ソファがあるエリアはパブリックスペースですが、その先にあるプレイルームの内部はそうではありません。そこにはカップルだけが立ち入り可能です。最大二組までになっています。プレイルームの隣にはシャワールームがあって、そこは男女兼用になっています。プレイルームの反対側はステージになっていて、SMショーや緊縛ショーができるようになっています」  綾は真剣な表情で、光の指先を目で追っていた。この日は夜更けになってもゲストが来なかった。だから、地階の説明が始まったのである。いつもの定位置に立っている光から、見取り図を用いて説明を受けていたのだった。 「うちでショーを行う人間は限られています。彼らから頼まれたときにやる程度ですから、そう頻繁ではあありません。それとショーがあるからといって別料金は頂きません」 「なぜです? ギャランティーが発生しますよね。その……SMとか緊縛のショーをされた方に」 「ギャランティーは発生します。これは店の経費で出しています。そもそもショーを見せるのは、ここに来ているゲストに楽しんでほしいからということもありますが、SMや緊縛について正しい知識を持ってほしいからです」 「正しい知識、ですか?」  綾が聞き返すと、光は顔を上げたあと頷いた。 「SMも緊縛も、される側としては命がけの行為です。コントロールする側が油断したら、最悪死に至る危険な行為なんですよ。それを分からないままやるのと、知った上でやるのとでは相手に対する思いやりが違ってきます」  真剣な表情を浮かべている光が、きっぱりと言い切った。いずれも知らない上に理解できない言葉ではあったけれど、光の言葉を聞く限りとても大事なことだということは理解できた。綾は表情を引き締める。  するとそのとき、無機質なアラーム音が鳴った。バーバックの棚に置いていたスマートフォンに手を伸ばしたあと、綾の目の前で光は画面を見始めた。その直後、光は面倒くさげなため息を漏らす。 「綾さん。兄が来ますので、入り口のライトを消してきてください」 「えっ? (ゆう)さんが、ですか?」 「ええ。ついに電話ではなくメールで連絡が来るようになりましたよ、ほら」  カウンター席に座っている綾に、光がスマホの画面を見せた。 『これから行く』  兄弟の間で交わされるメールとは思えないほどそっけない上に短いものだった。綾は光に苦笑を向ける。 「分かりました。それではライトを消してきます。あと、ついでに悠さんが食べたがっていた梅も用意しますね」 「梅、ですか?」 「ええ、梅の蜂蜜漬けです。以前こちらに来られたとき、それが食べたくて仕方がないのだとおっしゃられていたので」  席を立ち上がろうとしたら視線を感じ、綾はそれをたどる。  すると、カウンターの内側にいる光から、じっと見つめられていた。  しかも、何が気に入らないのか、拗ねているようだった。 「光さん? どうしました?」  綾が遠慮がちに問いかけると、光はわざとらしくため息をついた。 「兄の頼みは聞けても、私の頼みは聞いてもらえない。悲しい気持ちになって当然だと思いませんか?」 「ひっ、光さんから頼まれたものは、ちゃ、ちゃんとやっているじゃありませんか!」 「ええ、仕事はね。でも、それ以外の頼みは一度も聞いてもらったことがないと思います」  ついに咎めるような目線を向けられて、綾はいたたまれない気持ちになった。仕事以外で光から頼まれることといえば、とにかく「一緒に」何かをすることだ。その大半はやってできなくないことなのに、きっぱり断っているのは、精神的につらくなるからだ。  少し近づくと、触れたくなる。少し触れると、もっと触れたくなる。光との距離が近くなればなるほど、どんどん欲張りになる自分自身を思い知らされつらくなってくる。そのつらさをやり過ごせるうちはまだいい。しかし、最近はそれができなくなりつつある。それを思った途端、光に言い返した勢いが急速に萎えていき、その代わり胸の奥が痛み始めた。綾はそれに耐えかねて、そこから立ち去ろうとする。すると、そのとき光から声を掛けられた。 「私も食べたいです」 「へ?」  唐突に告げられた言葉の意味が分からず、綾は光を振り返った。 「兄より先に食べさせてください。その、蜂蜜漬けの梅。それで今日のところは許してあげます」  何が面白くないのか、ふて腐れたような顔を向けられて、綾は苦笑しながら頷いたのだった。  初めて光の兄と顔を合わせたのは、ここで働き始めてすぐだった。  悠は光とよく似た顔立ちだったが、雰囲気はまるで異なっている。安心感を抱かせる人なつっこい笑みと、年齢を重ねているからこそ醸し出せる渋さを併せ持った人だった。光にも安心感や渋さはあるけれど、それよりもっと温かく感じるのは、向けられる笑みや言葉の裏にあるものを考えなくていい相手だからだ。それは綾にとって、悠は店を訪れるゲストの一人としてしか認識してないからである。その悠が店にやって来たのは、光からメールを見せられてから数分後のことだった。  店主の兄といっても、店にやって来るゲストたちと同じように受付を通ってから悠はやって来る。そして受付を済ませたあと、いつもと同じように店内へ続く扉を開いたけれど、悠は入ろうとしなかった。綾は、それに気づいて顔を上げる。 「悠さん? どうぞ中にお入りになってください」  ほほ笑みながらそう言うが、悠は店内に入ろうとしない。帽子を取ったあと、コートを脱いで腕に掛けたまま足を止めている。その様子を眺めていると、目が合った。にっこりとほほ笑まれる。 「一緒に行きましょう。綾さん」 「え?」 「だって、あなたをここに残したまま行きたくないから」  優しい笑みを向けられたとき、やはり兄弟だと思った。目尻にある皺がなければ、光の笑みと変わらない。  しかし、声が違うから胸の痛みは感じなかった。綾は急いで後片付けをしてから、悠の側に近づいた。 「じゃあ、御一緒に」  そう言うと、綾は嬉しそうにしている悠とともに、光が待つ店内に向かおうとした。そのとき。 「しばらく弟を借りますね」  光に似ているようで似ていない声で告げられたとき、綾は一瞬だけ表情を曇らせた。  悠が店にやって来るのは、単に弟とともに酒を飲みたいからではないからだ。 『実は私の兄も心配性でね。この店を開いた当初、連日のようにやって来ましてね』  姉・歩が店にやって来たとき光から掛けられた言葉が脳裏をよぎる。姉がここにやって来たのは、心配だったこともあるけれど、店と店主を見定めようとしてだ。しかし、光の兄がやって来るのはそんな理由ではない。それを知っているからこそ、悠から掛けられた言葉に違う意味も込められているように聞こえてしまう。  悠が度々店を訪れている理由、それは会社に戻ってほしいからだ。それは悠だけでなく、たまにふらりとやって来る光の弟・謙も望んでいる。兄弟達から会社に戻るよう請われても、光はただ受け流しているのだろう。店に訪れる女性達から言い寄られたときのように。影を潜めていた不安が、心にゆっくりと広がり始めるのを感じながら綾はほほ笑んだ。 「ええ。悠さんがお席についたあと、私は下がらせていただきますので、どうぞごゆっくりお過ごしください」  そう言ったあと、綾は悠をカウンター席に案内したのだった。 「どれがいいかなあ……」  綾は呟きながら、バスオイルを選んでいた。小さなラタンの籠にはミニボトルが幾つか入ってる。それはカモミールやラベンダーといったオイルが入っている入浴剤だった。綾は、光がいないことをいいことに、下着姿のままで選んでいるのである。  美しい一枚レースに包まれた胸は、とても形が良い。それまで胸が大きいことを気にしていたが、一枚レースのブラを着け始めてからボリュームがあることをプラスに受け止められるようになってきた。同じ色のレースですっぽりと覆われた尻は、小ぶりではあるがしっかり丸みを帯びている。そこから伸びている脚は太くもなく細くもなく健康的だ。赤紫色のレースが際立たせている白い肌は、日頃のケアの賜物なのか、きめが細かくみずみずしい。  兄弟や親しい友人とさしむかいで酒を飲むとき、光は店を早じまいする。そういうとき、綾は一人でいるときにしかできないことをしていた。それはゆっくりと風呂に浸かることだ。  別に光がいてもいなくても風呂に入ることはできる。しかし、光がいるときに風呂に入ろうとすると、決まって言い出される言葉があるものだから、それを諫めなければならなくなるのだ。 『じゃあ一緒に入りましょうか』  初めてその言葉を耳にしたとき、綾はぼう然となった。その傍らで、光はいそいそと風呂の支度を始めたのである。そして風呂の支度を終えたあと、光は体を硬直させていた綾を抱きかかえ、浴室へ向かおうとしたのだった。  そのときは、必死になって抵抗したから事なきを得たけれど、それ以降同じようなことが起きたから、自然と光がいるときは風呂に入らないことにしているのだ。しかし、シャワーだけ浴びるときも要注意だ。油断すると、光は一緒にシャワーを浴びようとするからだ。  綾はオイルを選んでいるとき、ふと気がついた。取り出したオイルの名前を見てみると、すべてオレンジ色のシールが貼られている。オレンジ色のシールのオイルは、主にリフレッシュ用のものだった。それに気がつき綾は苦笑してしまう。一人きりの贅沢な時間を過ごすことで、気を紛らわせようとしていることに気がついたからだった。  グレープフルーツ、レモングラス、ユーカリ、ローズマリー、ジュニパーベリー。  いずれも好きな香りだし、心を覆い尽くしている不安や憂いを取り除いてくれそうな香りではある。だが、いつものように一つを選べなかった。綾はボトルをしばらく見下ろしたあと、一つ一つ匂いを嗅いだあと、ようやく一つのボトルを選んだのだった。  温かい何かに抱かれていることに気がつき、綾は目が覚めた。  それはとても心地良く、再び眠りに落ちてしまいそうになる。  だが、それを留めたのは、乳房を揉まれている感触だった。  温かいものが乳房を優しく包み、まるでマッサージでもするように揉んでいる。やがてそれは体のラインをたどって下りていき、腿を持ち上げられたものだから、さすがにおかしいと気づき、綾はぱっちりとまぶたを開く。  すると胸元で何かがもぞもぞと動いた。  けだるい手を伸ばし、それを確かめてみると、すっかり触り慣れた光の頭だった。 「光、さん?」  綾が寝起きのかすれた声で尋ねるが、乳房の間に顔をうずめている光からの反応はない。  しかも酒の香りがする。それに気がつき、綾は顔をしかめさせた。  何とか逃げ出す方法を考えようとするが、眠りから目覚めたばかりだ。目は開いているものの頭がまだ働かないせいで、なかなか良い方法が見つからなかった。  しかし、おとなしくしている綾ではない。思うように動かない体を捩らせるが、そうこうしている間にも、光の手は尻たぶを撫で回していた。しかも、両脚の間に体を差し入れようとしている  男の重みを下腹に感じた瞬間、体が熱を帯びた。それだけでなく、下腹の奥がむずむずとし始める。この一か月の間、幾度となくそうした反応を体が勝手にするものだから、恥ずかしくて仕方がない。しかし、その感情とは裏腹に、疼きと火照りに耐えかねて、無意識のうちに腰が揺らぐ。  疼きと熱が、体の中で膨れ上がる。そのせいで、肌が敏感になり始めた。指先が肌を掠める度に震えが走り、綾はおもわず体をくねらせた。声が漏れてしまわぬように、綾は唇を噛みしめた。しかし、それだって限界がある。膨れ上がる一方の疼きと熱、それに指と唇による愛撫のせいで、今にも理性が崩れそうだった。  乱れた息が乳房にかかる。肌を撫でる手の動きも大胆なものになり始めた。時折強く吸われているのか、ちくりと痛みが走るが、すぐにその感覚さえ溶かされる。綾は吐息と声が漏れぬよう、口を手で押さえ付けながら、光の愛撫に耐えていた。声と息を押さえると、体の震えが酷くなってくる。  ほのかに色づいた体が、びくびくと痙攣し始めた。すると、それに気づいたのか、それまで胸の谷間に顔を埋めていた光が顔を上げる。ずっと体を押さえ付けていたものが離れた。 「なっ、なにっ、しているんですか……」  訴えてみたが、すっかり力が抜けた声だから、威力などないに等しい。それに、光に向けた瞳はすっかり潤んでいた。視線の先にあった光の顔には、いつもの余裕など感じられない。暫く見つめ合っていると、再び光が乳房の合間に顔を寄せ、頬摺りしはじめた。わずかに生えた髭が柔肌を刺激しているせいで、そこからチリチリとした痛みが走った。 「ひっ、光さん!?」 「何もしませんから、もう少し甘えさせてください」  光の頭をたたいてみたり、持ち上げられたままだった足をばたばたさせてみるけれど、びくともしなかった。 「綾、お願いですから暴れないでください。それともわざとですか?」 「へっ?」 「私は陵辱行為は好きではありませんが、綾が好きならやっても構いませんよ」  光に目をやると、上目遣いで見上げられていた。向けられた瞳は、わずかに熱を帯びている。その瞳に逆らえず、綾は光が寝入るまで抱きつかれたままだった。
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