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誰が為の自慰 第7話

『飛鷹先生から事情は訊いたけど、今度の金曜日にもう一度確認するから、覚悟して』  三葉はこのメールを見てどう思っただろう。嫉妬深い? 自意識過剰? それとも……  当直明けの木曜日。  整形外科外来は休診のため、今日は午後から入院病棟のヘルプに入っている琉は、恋人へ送ったメールが正しかったのか、いまになって不安を覚えている。  琉が調剤部にいた三葉を口説き落とす姿は病院の多くのスタッフに目撃されていた。そのなかには当然のことながら、医大の同級生で職場の先輩でもある飛鷹の姿も含まれている。  琉と違い、当時の飛鷹は職場恋愛に消極的で、自分が調剤部の薬剤師に惚れた話をした時点で「面倒なことになるからやめておいたほうがいい」と忠告されたものだ。  とはいえ飛鷹に言われて素直に諦められる琉でもない。まずは話しかけて、彼女を知ることから始めなければ恋もできないと飛鷹を言いくるめ、距離を縮めて告白攻勢をかけた結果……面倒なことが実際に起きて彼女が転職するというすったもんだはあったものの、諦めきれなかった琉が追いかけて捕まえた結果、現在も彼女は自分の恋人として傍にいてくれている。  ところが、最近の彼女は琉が早漏気味だからか、いろいろ物足りないらしい。  身体を合わせれば相性は最高のはずなのに、気持ちが良いのは自分だけだと、そんな風に思われてしまったみたいで……琉はいたたまれなくなる。  昨晩居酒屋で酒を飲みながら一方的な人生相談に乗ったという飛鷹に話を吐かせたところ、早漏を治療するなら行動療法、それも相互観賞が効果的だ、とのアドバイスをしたという。   「――」  相互観賞。  言葉の通り、お互いのマスターベーションを観賞することである。  三葉は意味がわかっていなかったらしく、けしからんことに飛鷹がホテルに連れ込んで丁寧に説明してあげようと思ったところでトイレの時間が来て、あとは琉も知っている通りなぜか飛鷹を庇った三葉が脳震盪を起こして救急車でたまたま夜間外来の当直になっていた自分のもとに連れてこられるという摩訶不思議な状況に陥ったわけだ。  飛鷹のホテルに連れ込む、という言葉は酒が過ぎたがゆえの冗談だ、と理解していてももし彼女が飛鷹とともに新宿のラブホテルでいかがわしい行為を共にしていたらと考えたら腸が煮えくり返って仕方がない。  だからあんなメールを送ってしまったのだ。  ――金曜日に確認するから。覚悟して。  三葉は俺のものだと、確認するから。  明日はがっつかないで、彼女が自分だけを心の底から求めてくれるまで躾をして、美しい声音で啼かせて達かせるのだ、と――……  だが、そのためにはいまにも暴発しそうな陰茎の膨らみを自力で押さえ込む努力をしなくてはいけないのだ。彼女をとろとろに蕩けさせたところで自分が挿入してすぐさま射精、はあまりにも情けない。  ……今夜は久々に、自慰を行う必要がありそうだ。明日の金曜日の夜に備えて、我慢のきかない分身に言い聞かせなくては。  とはいえ、かつては生身の彼女でないと勃たなかったムスコが、素直に言うことを聞いてくれるかは微妙なところだが……  もう二度と、彼女に早漏などと叫ばれたくない! というのが、琉の本音なのである。        * * *          そして金曜日の夜。  仕事帰りの琉は、いつもどおり、新宿広小路薬局で遅くまで店頭に立っている恋人のもとへと向かった。  相変わらず彼女は他の客に対しても精力剤を平然と売り付けている。会計を終えてその場で瓶をイッキ飲みして店を出た男を横目に、琉は三葉の前へ立つ。 「いらっしゃいませ」 「この店に、オナホはある?」  小声で口を開いた琉の言葉を、三葉は目を丸くして受け入れた。  そして黙ったまま、埃が被っていた大人のオモチャの棚から、手のひらサイズの小箱を取りだし、くすりと笑う。 「こちらでよろしいでしょうか、お客様?」 「……説明して」  むすっとした表情で説明を促す琉に対し、三葉は素直に頷き、丁寧に説明をはじめる。 「――この、“BOUGA”って商品は、オナニーホールのなかでも気軽に使えるカップ型でポピュラーなタイプです。忘我ヘルスケアグループの看板商品として有名ですよね。この独特の軟質樹脂が陰茎を包んでくれるので膣と似たような感触が味わえます。ただ、衛生面の都合上一回限りの使い捨てなので何度も使いたい場合は洗浄しやすくて分解可能な貫通型の“忘れ女神の名器物語”もございます」  我を忘れるほどの快感を己の手で、というキャッチコピーが印象的なBOUGAは、ドラッグストアのコンドームコーナーにも日常的に並んでいる商品なので琉も知っている。だが、オナホもピンからキリまであるらしく、三葉が説明するには一万円から二万円する最高級品もあるのだと勧められてしまった。 「つ、使い捨ての方でいい!」  琉は慌てて彼女の説明を遮り、見慣れたパッケージの商品に視線を向ける。 「か、かしこまりました」 「今夜は……試してみたいことがあるんだ」  恋人相手に営業トークをつづける三葉に、琉もにやりと笑う。精力剤以外の商品についても、彼女はしっかり勉強しているらしい。 「え? 試したいこと……?」  ドキッとした表情を見せる三葉に、琉は追い討ちをかけるように満面の笑みで応える。 「そう。今夜は恋人と相互観賞をしながらゆっくり過ごしたいと思って」  だから、と琉はカウンターの向かいにいる三葉に甘く囁く。 「あと、その棚の隣の商品も頼む」 「……これも、先生が使うのですか?」  きょとん、とする三葉を前に、琉はこくりと頷く。 「使うとも。そうだ、ローションも買っておいた方がいいな」 「じゃあ、ぜんぶで三点ですね」  カウンター越しに琉が指差した商品を持ち出し、三葉はレジでバーコードを通す。生理用品などを入れる黒い色のポリ袋を取りだし、他のひとから見られないように配慮しつつ、オナニーホールをはじめとした商品を無造作に放り込む。  お金を支払った琉に袋を手渡せば、彼は嬉しそうな顔で三葉に告げる。 「お店が終わったら、さっそく試してみような」 「……はい」  その言葉に、三葉もこくりと頷き、ほんのり頬を赤らめる。  早漏と言われたことを根に持っている恋人が、今夜はふだんとは違う趣向で楽しもうと誘ってきたのだ。きっと、今夜は先週のようにすぐに終わることはないはずだ。  もしかしたら琉も飛鷹から何かアドバイスを受けたのかもしれない。  ただ、彼がこうもやる気になっていると、逆に不安になってしまう自分がいるのも事実。  ――琉先生、空回りしなければいいんだけど。
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