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誰が為の自慰 第5話

「そこでいい。動かさないで。頭を打っている。念のためMRIで画像診断してから……」 「ーーでは、早見先生のところに連絡してきます」  聞き覚えのある耳障りの良い声が、三葉を覚醒させる。コツコツという床を叩く音が遠ざかるのと同時に、ふわりと懐かしい消毒液の匂いが鼻孔をくすぐる。  瞳をひらけば、そこにはパリッとした白衣を着た恋人の姿があった。  どうやら自分は飛鷹を庇って居酒屋の床に頭をぶつけ、意識を失っている間にかつての勤務先である総合病院の夜間外来へ救急車で搬送されてきたみたいだ。 「琉先生……?」  ーーそういえば今夜は彼が夜間外来の当直だって飛鷹先生言っていたっけ…… 「気がついた? 意識混濁してない? 俺が誰だかわかる?」  患者に向けて優しく声かけをしていたはずの琉は、三葉に名を呼ばれたことで口調を戻し、心配そうにたたみかけてくる。  そんな彼の声かけに、ぼんやりしていた三葉はああやっぱり琉先生だと理解して、くすりと笑う。 「わかりますよ恋人のことわからないわけないでしょ……」  三葉のその言葉に琉はぱあっと表情を明るくし、ガバッとその場でタオルケットの上から抱きつく。  その瞬間、三葉の意識はよりはっきりとしたものに変わり、羞恥で顔を赤らめる。 「よ、よかったよかったよかった……!」 「せ、先生ちょ、ちょっと……っ!」  病室のベッドに横たわった状態の三葉を上掛けごと抱き締めた琉は、彼女がぶつけたという後頭部に手を伸ばし、よしよしと撫で上げていく。 「事情は飛鷹のバカからぜんぶ訊いたよ。あんな奴と酒を飲むからこんな目にあうんだ。まあ、あいつも飲み過ぎたって・・・・・・・・反省しているけど……」  トイレにこもって、というところでああやっぱり彼は飲みすぎて気持ち悪くなったんだと理解した三葉は、患部をこれでもかと撫でつづける琉に噛みつくように言い返す。 「う、浮気じゃないからね!」 「わかってる。そういうことにしておいてあげる」  優しい口調とは裏腹に、彼の表情からは何も読めない。ここで飛鷹とは何もないと三葉が必死になって弁解したら、逆に火に油を注いでしまいそうだ。 「――けど、俺が嫉妬していないと思う?」 「……っ」  目の前で舌なめずりをされ、三葉は言葉を飲み込む。  その瞬間、琉が首からぶらさげていた医療用携帯電話にRRRRR、と着信が入る。  不服そうな表情のまま、琉は三葉から離れ、電話を繋ぐ。 「……大倉です。MRIの準備? でも、患者の意識戻りました……念のため、ですね、はい」  電話を切った琉は、はぁ、と溜め息をつき、三葉に告げる。 「問題ないとは思うけど、これから看護師が来るからMRI室に行って早見先生に撮ってもらって。向こうで診察終わったらそのまま会計済ませて帰っていいから……まだ終電まで時間もあるだろ」  俺は今夜当直だから、と淋しそうに笑う琉に、三葉も頷く。 「わかった……また、メールする」 「ん」  こうして、つかの間の邂逅をしたふたりだったが、キスを交わすことも叶わぬまま、さらに深い夜を迎えることになるのだった。
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