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誰が為の自慰 第4話
「ははは、大倉に早漏って言っちゃったのか。かなりショック受けてたぞ」
「……ああ、やっぱり」
新宿駅西口から南口へ抜ける大通りからすこし脇道に入ったところにある、ビジネスマンで賑わう雑居ビル群の地下にある居酒屋で、三葉は飛鷹とお酒を飲んでいた。
酒豪、というほどではないが、中学高校とバレー部に所属していたこともあり一般的な女性よりも身体がおおきい三葉は、お酒を飲んでも酔えない体質である。そのため誘われれば気軽に飲みに行くが、周りが楽しくほろ酔い気分で飲んでいるのを見ると、すこし損しているなぁと思うこともしばしばである。現に飛鷹は三杯目のビールで顔をほんのり赤くしてぺらぺら楽しそうに喋っている。
カウンター席で枝豆をぱくぱく食べながら、三葉はグレープフルーツの果肉がごろごろ入ったチューハイをちびちび啜り、隣で琉について語る飛鷹の声をBGMに、乾いた笑みを浮かべる。
「僕の専門、いちおう泌尿器でしょー? 早漏に関する相談もまぁ許容範囲なんだけど……とあるヘルスケア会社の調査によると、日本人男性の約四人に一人が早漏に悩んでいる、なんてデータもあるからねぇ。とはいえ大倉の場合、身体的なことよりも精神的な要因が強そうだ……」
「つまりわたしが悪いと」
「そうは言ってないよまだ」
からから笑う飛鷹は憂鬱そうな三葉の横顔を見つめ、口調を改める。
「だけど、生身の三葉ちゃんにしか勃起しないとか、三葉ちゃんを抱いたら我慢できないとか、思春期の男子中高生じゃあるまいし、もうすこし三葉ちゃんの前でも自分をセーブした方がいいと思うんだよね……仕事場ではちゃんとしてるんだし」
「そのとおりです!」
――ああよかった、このひと常識人だ!
思わずうんうん頷いて、三葉は話のつづきを促す。
「そこで、だ。早漏に悩む大倉に自慰をすすめてくれないか?」
自慰。
オナニーとかマスターベーションとか、色々と呼び名は存在するが、恋人に自慰をオススメしろ、という飛鷹の言葉に、三葉の表情が無に返る。
「……い、いま、何と」
「だから、あいつはひとりエッチが下手くそなんだよ。自分ひとりのときは性欲を我慢して、恋人に会えたら速攻でスイッチ入れちゃうから子種が爆ぜちゃうわけ。そのためには三葉ちゃんがいてもいなくても自分で自分の欲情をしっかりコントロールできるように、ほどよく自慰を行うことが大切なの!」
居酒屋で「早漏」とか「自慰」とか「子種」とか日常的に口にすることのない単語をぽんぽん弾ませながら、飛鷹は四杯目のビールをタッチパネルで注文し、隣で硬直している三葉へ忠告する。
「心因的要因によって一時的にEDだった反動もあるんだろうけど、三葉ちゃんひとりで彼の性欲をカバーするのはぶっちゃけ無理。彼ひとりがオナ禁状態を維持しつづけて誰にも迷惑かけていないならいいけど、それでパートナーとのセックスがうまくいかないのは本末転倒だよ」
オナニー禁止、ことオナ禁という言葉に首を傾げる三葉に、飛鷹は苦笑しながら告げる。
「自慰行為はやりすぎると禿げるとか言うでしょ? 真相は定かじゃないけど、射精を繰り返すことで男性ホルモン内のひとつであるテストステロンの濃度を下げることにつながるのは事実なんだ。テストステロンの濃度が薄くなる、って言っても説明しづらいな……」
「あ、賢者の時間ですか」
「そう。男性の身体は射精するとテストステロンの分泌が抑制されるようにできている。しばらく時間が経過すれば分泌量は回復するが、それでも射精を繰り返せばテストステロンの濃度が薄まり、相対的に悪玉男性ホルモンが増えるというわけ。あいつはそれを知ってか知らぬか、基本的にひとりで自慰をしていないらしい……まだまだやりたい盛りのくせに、生命を縮めたくないとか老人のようなことを言ってたよ」
「はあ」
男には男の事情があるのだと溜め息をつきながら、飛鷹はビールが入ったジョッキを受け取り、にやりと笑う。
「それに、オナ禁後のセックスは極上の快楽が得られるなんて言うし。大倉がそこまで学術的に理解して自慰を行っていないのか、それとも三葉ちゃんに操を立ててるのか……こればっかりは僕もわからないけど」
「あの……飛鷹先生飲み過ぎじゃないですか?」
怪訝そうな表情の三葉の言葉を気にすることなく、飛鷹は陽気に話しつづけている。ほんのり顔も赤らんでいるし、そろそろ止めた方がいいかもしれないなぁと思いながら、三葉は饒舌な飛鷹を眺める。
「ん? そういや三葉ちゃんの骨格が好みだ、って最初の頃は言ってたなぁ。あいつ整形だから胸や尻に欲情する以前に三葉ちゃんの長い手足で性的に興奮してたみたいだし」
「……それは慢性的に言われてますよ、身体がどストライクだった、ってあからさまに」
「ほうほう。それで一度距離を取ろうとしたんだっけ、けっきょく元サヤに収まってるけど」
「ええ、まあ」
お酒を飲むペースが上がってきたからか、飛鷹の口調はだんだんと砕けていく。酔いもまわってきたのか、ふだん以上に親しげに三葉に絡む。
「そしたら今度は早漏でアッチが満足できなくなっちゃったかー。お互い不憫だなぁ」
「笑わないで下さいよ。こっちは深刻なんですから」
「悪い悪い、大倉の早漏を治したいなら行動療法が手っ取り早いよ。ただ、彼ひとりだと嫌がる可能性があるからーーこのあと、ホテルで相互観賞の実地練習しようか?」
無邪気に提案する酔っぱらいを前に、三葉は怒りを通り越して呆れてしまう。
「実地、練習って……何おっしゃっているんですか飛鷹先生同じ職場にいた頃だったらセクハラで訴えられるレベルですよ」
「ふふ。冗談だよー、そんなことしたら大倉に殺されちゃうよ僕」
「ですよねー」
あからさまにホッとする三葉を見て、飛鷹は乾いた笑みを漏らす。どこか傷ついているようにも見える彼の表情に気づくことなく、三葉は言葉をつづける。
「それよりソウゴカンショウってなんですか?」
「あー、それね。お互いに観賞するって意味合いがあるんだけど、つまるところ……うっ、ごめん、ちょっとトイレっ!」
とつぜん立ち上がった飛鷹がその場でふらついたのを見て、三葉も咄嗟に彼の身体を支えようと長い腕を伸ばす。だが、いくら三葉が一般の女性より大柄だからとはいえ、男女差は明白、彼女の腕ですべてを受け止めることはできない。
そのまま巻き込まれるようにガクっ、と背もたれのない椅子から崩れ落ちるように身体が落下し、思いっきり後頭部に衝撃が走り。
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