3 / 11

誰が為の自慰 第3話

「いらっしゃいま……え、飛鷹先生?」 「お久しぶりー、三葉ちゃん」  水曜日の夜に現れたのはかつての職場のドクター、飛鷹博和だった。染めてもいないのに薄い色素の茶色い髪に人懐こそうな丸い栗色の瞳。白衣を脱いだ彼は清潔感のあるカッターシャツとジーンズ姿だ。三葉と同年齢とも、まだまだ二十代前半とも呼べる若者に見える彼だが、実年齢は琉と同じ、恐るべし三十一歳なのだ。  病院内の調剤薬局で働いていた頃に、琉の大学時代の同期で職場での先輩にあたるのだと挨拶されたことがある。接点と言えばそれくらいだが、調剤部に入ったばかりの三葉を見初めた琉がしきりにアタックした末、恋人同士に落ち着いたという経緯を知っているからか、向こうは妙にフレンドリーな空気を醸し出している。 「あの、なんでここが」 「大倉先生から聞いたからに決まってるでしょう?」 「あ……琉先生は?」 「今夜は整形が当直。ところで三葉ちゃん、このあと時間ある?」 「えっと、営業時間は午後九時までですので、その後でしたら……ってわたしにご用ですか!?」 「そうじゃなきゃわざわざここまで来ないよ? 可愛い後輩のためにも、一杯つきあってよ」  そう言いながら精力剤がずらりと並ぶ棚を見て、飛鷹はくすりと笑う。 「……琉先生のことですか」 「察しがよろしいようで。ところで、僕にオススメの精力剤って何かある?」 「そうですねー、当店で一番人気のゴールド皇帝液マカプラスなんていかがでしょう? こちら滋養強壮効果でおなじみのゴールド皇帝液が更にパワーアップした商品でして、男性だけでなく女性にも人気のマカが配合されているんですよー!」  ころりと営業トークに移る三葉を見て、飛鷹はなるほどね、と深く頷く。え、ときょとんとする三葉に、飛鷹は呟く。 「いまの三葉ちゃん、すごい生き生きしてる。こんな姿見たら、琉先生放っておけないね」  じゃあそのゴールド皇帝液マカプラスを一本ちょうだい、と飛鷹はポケットから黒い革財布を取りだし、無造作に一万円札を手渡す。 「一万円お預かりしますっ」 「さすがに一万円入りま~す! ってのはないのか」 「しませんよコンビニじゃあるまいし」  ふふふ、と微笑みながら会計を済ませた三葉は、薬瓶にシールを貼り付け飛鷹へ渡す。 「飲ませてくれないの?」 「え、こちらで飲んでいかれるのですか?」 「だって大倉は毎週金曜日にここでエネルギーチャージして君と仲良くしてるんでしょう?」 「っ!」  カァっと頬を赤らめ睨み付ける三葉に、図星かー、と飛鷹はニヤニヤ下卑た笑みを浮かべ、プシッッと薬瓶の蓋を開ける。  薬草独特の甘ったるい香りに顔をしかめながら、息を止めた状態でイッキ飲みする飛鷹を見て、三葉は苦笑する。 「そ、そんなに一気に飲まなくても」 「いいんだよ疲れているのは事実なんだから。これって二日酔いにも効く?」 「効きませんよ二日酔い予防薬じゃあるまいし……」 「なーんだ。一緒に摂取できればいいのになぁ」  飛鷹が飲んだのはあくまでも滋養強壮に効果がある精力剤で、肝臓の動きをカバーする二日酔い予防薬ではない。だが、ときどき宴会前の客がジョークの一環として二日酔い予防薬だけでなく精力剤を買い込んでいく、というのはこの店ではよくある話だ。 「……よし決めた! 今度新宿で飲み会あるときはこっちで薬買いに行くよ」 「それはありがとうございます」  にこりともせず棒読みで返され、飛鷹は困惑している。 「お客さんに向かってそれはどうなのよ」 「先に吹っ掛けてきたのは先生ですよ」 「はいはい。じゃあ今夜は割り勘な」 「望むところです」  恋人でも既に職場の上司でもなんでもない人間に奢られるほど三葉も図々しい人間ではないのだ。先輩が琉について話があるというのだから、三葉はそれに付き合うだけ。  それだけのことだと請け負った三葉を見て、すこしだけ残念そうに飛鷹は瞳を細め、何事もなかったかのように閉店作業をする彼女を待つのであった。
いいね
ドキドキ
胸キュン
エロい
切ない
かわいい

ともだちとシェアしよう!