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蒼玉の帯留め

「そこまで言うなら、いっそのことダイヤモンドにすればいいじゃないですか。それなら、社長が望むような華やかな印象を与えますし」  森崎からにらみ付けられ、和明は思わず怯みそうになった。幼い頃から妹のように接してきた森崎は、ふだんはクールな女だが、亜紀のことになるとかなり感情的になる。それは恐らく亜紀のことを実の妹のように思っているからだということを、和明は知っていた。  だが、今日の森崎はそれ以外の理由でもあるのか、随分と手厳しい。亜紀に贈る着物と帯を買いそろえ、あとは帯留めを選ぶだけになっており、その相談をしたところ厳しい視線を向けられた。  亜紀の誕生石はアクアマリンだ。その石を用いた帯留めがないか、仕事の合間にタブレットで探していたのだが、なかなか良いものが見つからない。いや、あるにはあるのだが、アクアマリンが控えめな印象を受ける石なので、和明が求めている華やかなものが見当たらないだけだった。  亜紀に初めて贈る宝石だ。できることなら、彼女の誕生石を贈りたい。だが、それだと落ち着いた水色の友禅に合わせても華やかさに欠けるような気がして、それをつい森崎に零してしまったのが運の尽きだった。 「アクアマリンは上品な色合いの石です。社長が考えておられるような派手なデザインのものは、そうそうありませんよ。華やかさを求めるならば、サファイヤの方がいいかと思います。あの友禅に合わせたら、ぐっと引き締まりますし」 「確かにサファイヤで探せば、俺のイメージしているようなものは見つかる。だが、それだと嫌なんだ。だってアクアマリンは亜紀の誕生石だし、できればそれを贈りたい」  和明は操作していたタブレットから目を離した。画面には、サファイアの帯留めとアクアマリンの帯留めがずらりと並んでいる。確かに森崎の言う通り、華やかさを求めるならばサファイアがいい。しかし、アクアマリンの上品な印象も捨て難い。  亜紀に贈った形見の指輪のアクアマリンは、粒こそ小さかったけれど、とてもきれいな石で気高ささえ感じさせるようなものだった。そのような石であっても、華やかさに欠けるのだから、着物の良さを生かしてはくれないだろう。和明は思い悩んだ表情で、タブレットへ目を戻す。 「社長。誕生石を贈るのはまた違う機会にして、今回はサファイアにしたらどうです? 女性にプレゼントするものは誕生石でなければならないわけではないですし。それに、もしもそんな決まりがあるのなら、世の宝石店はとっくの昔に潰れてるって思いませんか?」  呆れたような森崎の声が耳に入り、和明は思わず顔を上げた。視線の先には森崎がいて、苦笑いを浮かべている。確かに森崎の話はもっともだ。和明はタブレットの画面に表示されているサファイアの帯留めをチェックした。今日仕事が終わったら、この店へ行って実物を見ようと和明は予定を立てた。その姿を森崎は、半ば呆れたような表情で眺めている。 「女性に関しては、シンガポールで十分お勉強されたと思っていましたが、どうやらベッドのことだけだったみたいですね」 「も、森崎?」 「だってそうでしょう? 両手で足らない数の女性たちと付き合っていたのに、何をどうやって贈れば女性が喜ぶかちっとも分かっていない。幾らベッドの上で喜ばせたって、彼女たちからすれば、それだけしか能がない男だって思われてますよ、きっと」  その一言を耳にしたとき、和明は顔を引きつらせる。シンガポールにいた頃の話を、いきなり持ち出されるとは思いもしなかった。それに、彼の地にいた頃の自分を、森崎がどのように見ていたのか聞かされたような気がして仕方がない。  当時、一夜を共にした相手から、それ以上のものを求められたことも一度や二度ではない。だが、和明は頑なまでに拒んでいたし、後腐れが残らない付き合いを心がけてきた。だからといって、大切にしたい相手がいるのに、やっていいことではない。それを重々分かっていても、やり切れない思いを酒で晴らすよりはいいと和明は思っていた。  だが、森崎はそこまで男心を理解できないはずだし、それを求めるつもりもないから、好きなように思わせてきた。その結果が、言葉となって森崎の口から飛び出しただけだ。和明はそう自分自身に言い聞かせ、心の中でため息をついた。  しかし森崎は、和明の胸の裡など分かるわけはなく。無表情のまま黙り込んでしまった上司を、睨み続けている。そしてようやく口を開いたと思ったら、和明でさえ予想しなかった言葉を口にした。 「これだから初恋こじらせた男って厄介なのよ……」  その言葉が耳に入ったとき、和明は苦笑した。それは、三十二年前、生まれたばかりの亜紀に対して抱いた感情が、森崎が思うようなものではなかったからだ。その感情にもしも名前があるとすれば、それは憧れに限りなく近い。両親に愛され無邪気に笑う亜紀の姿は、和明にとっては幸せな家族の象徴のように見えていたからだ。  その感情が初めて変化したのは、幼い亜紀に形見の指輪を贈ったときだった。庭の茂みに隠れて泣いていた姿を目にしたとき、和明は彼女を守りたいと思った。そしてその感情を抱いたまま、大人になった亜紀と再会したのである。  美しく成長した亜紀に再会したとき、和明の中で感情は変化を遂げた。そして、その感情は日に日に募り、和明を苛んでいる。いずれ彼女を自由にしなければならないのに、それができるのか分からなくなるときがあるからだった。  だから、なるべくなら亜紀と距離を置きたかった。そのために、退職の準備と称してシンガポールへ渡る予定を入れたはずなのに。帰国して亜紀の姿を目にしたとき、衝動に突き動かされるままに彼女を連れ出していた。  初めて亜紀を抱いたとき、それまで彼女に対して抱いていた感情が大きく揺れた。はじめの頃こそ頑なだった彼女が、甘やかな吐息と声を漏らし始めたとき、得も言われぬ程興奮したのを覚えている。そして体を繋げたあと、腕の中で眠りに落ちる彼女の姿を目にしたとき、愛おしさを感じたものだった。それが恋愛感情というものならば、早々に手放さなければなるまい。  そうしなければ、計画は破綻する。亜紀の両親の苦労が全て水の泡となってしまう。そして、亜紀はいつまで経っても本当の意味で自由になることはない。そう思い至ったとき、和明はあることを思いだした。 「森崎。言いたいことはあるだろうが、ひとつ頼みたいことがある」  和明に言いたいことを散々言った森崎は、既に彼女の机の席に腰かけていた。仕事を再開させようとしてか、ノートパソコンの画面を見ていたらしく、そこからひょっこり顔を覗かせる。 「亜紀の大学時代の同窓生で、嘉納 永智(かのう えいじ)という男が居るんだが、そいつを探してコンタクトを取ってくれ。なるべくなら早くにだ」  そのとき何かに感づいたらしく、森崎は険しい表情を和明に向けた。 「その人、もしかして……」 「お前の予想通りだ。そいつは、四年前まで亜紀の恋人だった男だよ。そいつにも役目があるんだ。大事な役目がな」  そう言って和明は、森崎の視線から逃れるように、窓の外に目を向ける。窓のほうへと向けられた表情は、全くの無表情だった。
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