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第34話

「俺たちがここを離れることにしたのは、マリィに子供ができたからだよ」  セーレから思いがけないことを聞かされて、真は目を大きくさせて隣にいるマリィを見た。すると、マリィから窺うようなまなざしを向けられている。涙のせいで潤んだ黒い瞳が見つめる中、真はセーレから告げられた言葉が嘘ではないことを確信した。  急に子供ができたと言われてしまい、真は衝撃を受けた。子供を身ごもった相手が、思う相手だ。嬉しくないわけがない。だが、一般的な人間同士、夫婦同士のように手放しで喜べない理由があるから、複雑な思いを抱いてしまう。真がセーレを見つめたまま、体を石のように硬直させていると、その様子に気づいたのか、父王が深いため息をついた。 「セーレ。おぬし、婿殿に何も話さなかったのか? 儂の孫の父親だぞ、婿殿は」 「王、真はまだ婿ではありません。子供の父親ですが、それだけです。今は」  ソファに座っている父王が、セーレに咎めるような言葉を掛けた。セーレとしては面白くないのだろう。むすっとした顔で父王に返事する。真はその様子を眺めることしかできなかった。 「儂としては、婿殿にはマリィの側におってほしい。だが、伴侶となるには難しい。婿殿は人間でせいぜい五十年しか生きられん。婿殿が死んだら、儂は最愛の娘を失ってしまう。どうしたらいいものか……」  父王の中では、既に婿になっているらしい。真はちらりとセーレを盗み見た。セーレは呆れたような顔をしていた。父王が自分のことを婿と言おうものなら、すかさずそうではないと切り返していたけれど、諦めたのだろう。真がセーレを見ていると、視線に気づいたようで、苦笑で返された。 「王よ。よろしいか」 「セーレ、話せ。お前の考えを」  おもむろにセーレが切り出してきて、父王は居住まいを正した。父王とセーレの関係は、主君と臣下以上のものに見える。傍らにいるマリィのことを気に掛けながら、真は父王とセーレを交互に見た。 「真は人間です。そのままの姿では我々の世界へは行けない。でもひとつだけ方法はあります。それは――  セーレが静かに話し始めた。真はごくりとつばを飲み込んで彼の話に耳を傾けたのだった。 「では、二人で話すが良い。我々は知恵を絞って方法は見つけた。あとは二人の気持ち次第」  嵐のように突然現れた父王は別れの挨拶をしたあと、部屋を出て行った。小説にあるように、瞬時に姿が消えるとか異空間への扉が開くといった風ではない。黒ずくめの舅は廊下に広がる薄暗がりに言葉通り溶けていったのだ。  舅になるかもしれない父王を見送ったあと、疲れた顔のセーレは何も言わずに部屋から出て行った。その後ろ姿を見た後、真はずっと黙り込んでいたマリィの側に近づいた。 「マリィ……」  マリィは顔を俯かせたまま、体をビクッと震わせた。床に座り込んだ彼女の体に触れた後、真はかすかな甘い匂いを発する小さな体を抱き寄せる。小刻みに震えていた体から、徐々にこわばりが抜けていった。そして真に甘えるように体を委ね始めたのだった。  子供の頃、道ばたに捨てられていた野良猫を捨て置くことができなくて、真は小さな体を拾い上げた。必死になって鳴いている猫は始めの頃こそ抵抗したが、温かさにほっとしたのか甘えるようにすりすりと体をすり寄せてきたのを思い出してしまい、真はマリィを抱き締めたまま苦笑した。 「『あいつ』がここに来たの……」 「え?」  頼りなげな声でマリィは話し始めた。 「魔王よ。といってもお父さまと同じ影がきたんだけど、いつまで経ってもお父さまが返事を変えないから、私のところにやって来て、宣戦布告をしに来たの。東の国に攻め込むと。だから言ってやったのよ。子供ができたから、何したって無理よって。そうしたら、あっちに帰ってきたら、その瞬間子供を殺してやると……。そうすれば良いだけの話だと言って……」  魔王から言い渡されたときの恐怖が蘇ってきたのか、マリィは泣き始めてしまう。 『魔王はいつ魔力が尽きてもおかしくない状況だ。だからマリィが必要なんだ。マリィのブースターとしての力がな』  なぜ魔王がマリィに執着しているか、セーレからその理由を教えてもらったときにことを真は思い出した。 『マリィのチャームは強力だが、魔王のチャームはそれよりもっと強力だ。いくらマリィが拒んでも、魔王がそのチャームを使えばひとたまりもない。そうなったら最後マリィは、力が尽きるまで搾り取られてしまうだろう』  魔王が求めているのはマリィじゃない。彼女の力だ。その力を我が物にするために、マリィを差し出せと言い続けているという。それから逃れる為に、占い師の言葉を信じて彼ら三人は人間界に逃げてきたのだ。  子供ができたからようやく帰れるようになったはいいが、あちらに帰ると子供を殺されてしまう。かといってこのまま人間界にいると、故郷を滅ぼされてしまいかねない。魔王がいつマリィのもとにやって来たのかは分からないけれど、恐らく彼女から好きと言われたすぐあとに違いない。とすれば、ここ二日の間の出来事だ。  それにしても、なぜあのとき気づかなかったのだろう。マリィがあちらに帰れるようになるのは、子供か伴侶ができたときだというのに。それに気づけないくらい、マリィがいなくなることに衝撃を受けていたのだろう。真は泣きじゃくるマリィの体を抱き締めたまま、セーレから告げられた言葉を思い返した。 『真を伴侶とするならば、マリィが人間界に残るか、それとも真の意識だけをあちらに連れていくかの二択しかない。真の意識をあちらに連れていくなら、肉体と意識を切り離さなければならない。つまり人間界での死だな。マリィが人間界に残るなら、肉の器を用意しなければならない。今のまま魔力で姿を作り続けられないから』  何か違う方法があるかもしれないが、今はそれしか思い浮かばないとセーレは話していた。  だから父王は二人でじっくり話し合えと言ったのだ。  伴侶ができたら今度こそ魔王は何もできなくなってしまうものらしい。さすがの魔王もひとつに戻った魂を引き剥がすことはできないし、無理やりそうすれば自然の理によって魔王自体が消されてしまうのだという。 『人間界よりも自然の理の影響力が強い世界なのだよ。こちらはの』  その言葉をかけられたとき向けられた父王の苦笑が頭の中に浮かんできた。マリィたちがいる世界がどんなところなのか知らないままだということに、真は今更ながら気づいてしまう。 「マリィ、頼みがある」  真はあることを心に決めて、泣きじゃくるマリィに告げた。
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