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第31話

「ほいよ」  悠木から突然差し出されたのは、白い封筒だった。なんとなくそれがなんであるか分かったけれど、真は何も聞かずに封を切る。中に入っていたのは予想通り、結婚式の招待状だった。真はカードに書かれている文字を目で追い始める。 「二週間後の土曜日、昼からクリスタホテルのチャペルだ。披露宴は美咲の同期たちがやってくれるらしい」  クリスタホテルは、最近できたばかりのホテルだ。スウェーデンと日本のホテルチェーンが合同出資して建てたホテルで、敷地内にある小さなチャペルが人気らしい。そこで結婚式を挙げたがるカップルが増えているという記事を読んだときのことを、真は思い返した。 「この教会、よく予約出来ましたね」  雑誌には予約は一年以上埋まっていると書かれていた。悠木が再婚を決めたのは、つい最近だ。しかも、急に決まった出張のせいで前倒しになったはず。それなのに、大人気のチャペルを予約できたことが信じられなかった。 「ああ、そこはツテがあったからな。と言っても、美咲が」  真は自分の席に戻ろうとしていた悠木の背中に目を向けた。 「美咲さんが?」 「ああ。そのホテルの母体である会社の設立に、美咲が働いている事務所の弁護士が関わっているんだと。確か顧問弁護士になっているらしい」 「それはまた強力なツテですね。ところで、美咲さんに話しました?」  すると、それまで饒舌だった悠木が急に黙り込んだ。真は向かいの席に座ろうとしていた悠木に訝しげな視線を向ける。しばらく黙り込んだ後、悠木は憂鬱そうな表情で呟いた。 「……話すべき、だよなあ……」  ふうとため息をついた姿を目にして、真もまたため息を漏らす。悠木の様子を見ていると、嘘をつき続けていることに罪悪感を抱いているようだった。そして早くに切り出せなかったことを悔いていることがよく分かる。もっと早くに、そうロス行きの話とともに切り出していたら、悩まずに済んだだろうにと思わずにいられなかった。 「ええ。今からでも遅くないです」 「そうは言うが、言ったら間違いなく首を絞められる」 「そもそもの原因を作ったのは悠木さんじゃないですか。最初から言えば良かったんですよ、長丁場になると。首絞められる覚悟で奥さんに正直に打ち明けたらどうです?」  真がため息交じりに言うと、悠木は面倒くさそうに頭をかき始めた。 「……薄々気づいてるんじゃないかと思う」 「はあ?」 「口では何も言わないが、でかいスーツケースに新しいシャツとか大量に詰め込んでた。それを見たとき、本能的にヤバいって思った」  この場合の「ヤバい」は、当然良い意味でのものではない。  その先が気になって、真は続きを促した。 「ヤバい、ですか?」  真が問うと、悠木は神妙な顔でこくりと頷いた。 「ああ。時折、恨みがましそうな目で睨まれているときがある。それにたまに殺気を感じるときがあるんだ」 「それって、完璧バレてるじゃないですか……」  今度こそ本当に呆れながら言うと、悠木は何かに気づいたらしく神妙な顔で呟いた。 「すぐに帰るとしか言っていないのに、なんでバレてるんだろう」  その姿を真はじっと見ながら、ため息をついた。  わざわざ聞かなくたって、相手が抱えているものに気づいてしまうこともある。 『このまま一緒にいられたらいいって言ったのは嘘じゃないわ……。でも……』  あのような姿と言葉を目の当たりにしたら、誰だって気づく。別れのときが近づいていることくらい。マリィへの好意に気づいたときと時を同じくして、別れるときが必ずくることを思い知らされた。  そのとき感じた痛みは、まだ胸の奥に残ったままになっている。きっと、彼女がいるべき世界に戻ってしまったら、二度と会うことはないだろう。この二か月、二日に一度の逢瀬を繰り返しているうちに、いつの間にか心の片隅に住み着いてしまっていた相手のことを思うと、胸が更に痛くなる。 「槙野、どうした?」  突然悠木から尋ねられ、真は現実に引き戻された。顔をはっとさせながら、知らず知らずのうちに俯かせていた顔を上げると、悠木から怪訝な表情を向けられていた。真は気を取り直し、曖昧に笑みで返す。 「いえ、美咲さんが気づいてもおかしくないよなあと」 「ああ?」 「だって、悠木さん。嘘下手ですからね」  そう言うと、悠木は思い当たる節があるのか、苦笑したのだった。  二日前にマリィから好きと告げられてからというもの、真は思い悩んでいた。  思い返すと、思春期のあたり好意を寄せた相手に好きと言えず悩んだことがある。  そのときは、フラれることが怖くてついに言い出せなかった。  しかし今は、それで悩んでいるわけではない。彼女が自分と同じ人間だったら、あの頃のように迷うことなく好きだと言えただろう。マリィと一緒にいたいから。だが、どうにもならない問題が目の前に存在している限り、その願いは叶うことはない。真はやり切れない思いをため息とともに吐き出した。夜の冷たい空気に、白い呼気が溶けていく。  マリィに記憶を消せと言ったのは、彼女が姿を消した後つらくなると思ったからだ。  しかし、それは彼女に恋した気持ちだけでなく、自分の心に住み着いた愛しい存在を殺すことと同じだ。記憶を残すこともつらい、消すこともつらい。どちらを選んでもつらいが、記憶を消してしまえばそれ以降は胸が痛むことはない。そう思ったからだ。  マリィだって、それが分かったから承諾したのだ。  だがしかし、マリィはどうなる?  真は、そのとき顔をはっとさせた。  マリィに頼んだことが、余りにも自分勝手なもののように思えてくる。  自分の中にあるマリィの存在を消したって、彼女は自分という存在を覚えている。  それがマリィに荷物を背負わせているように感じられて、真はいたたまれない気持ちになってしまい、店に向かう足取りが自然と早くなっていた。
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