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第21話

「何、ぼーっとしてんだよ」  急に声を掛けられて、真は我に返った。  声がした方へ顔を向けると、悠木から呆れたような顔を向けられていた。真は仕事ではないことを考えていたことを悟られないように、読んでいた書類に目を落とす。 「受け持つ仕事の量の多さに圧倒されてしまって……」  真が目を通していた書類には、真と悠木の業務分担がびっしりと書かれていた。  自分の上にある悠木の担当する業務の二倍以上は軽くある。室長となった悠木を補佐するのが仕事だから、これはこれで仕方のないことなのかもしれないが、真には納得しきれない部分があった。それを指摘しようと口を開きかけたとき、思いも寄らないことを聞かされる。 「そりゃ、仕方がない。俺はこっちを立ち上げたらすぐにロスに行かなきゃならんから」  真は耳を疑った。悠木に目を向けると、言い放った当人はいたってあっけらかんとしている。 「ロス? 悠木さん、どういう……」  ぼう然となりながら尋ねると、悠木は言いづらそうに切り出してきた。 「うん。実は、その話をこれから話そうと思っていたんだ。実は来月からロスへ行くことになった。インドのクライアントがアメリカに進出することが決まってな。そのスタートアップをするために」 「悠木さん、インドでどんな仕事をしてたんですか……」 「向こうの人間の採用と教育」 「それがどうして、悠木さんがクライアントを持つ羽目に?」 「話せば長くなるから省略するぞ。それで、せっかく作った統括室を留守にすることになっちまったから、その間お前に任せることになる。できるよな、槙野」  笑みこそ浮かべているが、悠木の顔をよく見ると疲れが見える。  恐らく今回の異動も悠木の本意ではないのだろう。真はそれ以上何も言えなくなってしまった。 「辞令は来月、だから結婚式は前倒しになる。おかげで美咲からドヤされたよ」 「でしょうね」と言いそうになったが、真はその言葉を飲み込んだ。  悠木の妻はふだんこそそう見えないけれど、実は怒り出すと際限がないことを真は知っている。夫婦げんかが勃発すると、会社が終わったあと悠木に連れ出され、二時間ほど愚痴を聞かされる羽目になる。そして吐き出すだけ吐き出したあと、悠木はコンビニに立ち寄り妻が好きなお菓子やアイスを買ってから帰るのだ。  大抵のことはそれで終わる二人だが、さすがに今回はお菓子やアイスで済む話ではない。急な異動のせいで、結婚式を早めなければならないだけでなく、二度目とはいえ新婚早々離ればなれになるのだから。 「それで、いつこちらにお戻りになるなんです? なんか嫌な予感がするんですが……」 「一週間では終わらんだろうな。最悪数か月にも及ぶことになるし」 「それ、奥さんに言いました?」  真が恐る恐る尋ねると、悠木は悪びれもなくきっぱり言い切った。 「いや、すぐ帰るからと嘘ついた」 「は!?」  真は耳を疑った。悠木はいたって真面目な顔をしている。  ということは、嘘ではない。新婚の妻に嘘をついたのだ。 「だって、もし正直に話したら、間違いなく殺されるもん」 「殺されるって……」 「まあ、あいつになら殺されてもいいが、やり残していることがあるから死ねないけどな、まだ」  照れもせずに言い切る悠木。ふだんであれば苦笑したいところだが、今はそんな上司がまぶしく見える。それは、物騒な話だが殺されてもいいくらい妻を愛している男に羨ましさを感じているかもしれない。真が、そんなことを考えていると、唐突に悠木から声を掛けられた。 「おまえにも、いつかそういう相手が現れるはずだ。こいつになら殺されてもいいと思えるほどの相手がな」  そのとき、なぜかマリィの姿が頭に浮かんでしまい、真は慌ててそれを打ち消した。 「さて、じゃあ仕事再開だ。それを読んで気になるところがあったら赤ペンで書いておけ。家で読むから」 「家に仕事持ち込んだら、それこそ奥さんぶち切れるんじゃ……」 「大丈夫だ。あいつ、今日は同僚たちと大人女子会らしいから遅くなる。って、あ!!」  いきなり悠木が大きな声を出したものだから、真は驚いた。 「そうだ、お前。美咲の同僚と合コンしろ! あいつの同期にめっちゃ美人が一人いるんだ! おっぱいも大きいし足もすらっと長いし」 「結構です。って、なんでおっぱいの大きさまで知ってるんですか……」  あきれ顔で真が尋ねると、悠木はふふんと自慢げに話し出した。 「美咲が同期四人の中で一番おっぱい大きいって言ってたんだ」 「……悠木さん。仕事しましょうか。俺、今日定時で帰らないとならないので」  真がそう言うと、悠木は何かに気がついたのかニヤニヤとし始めた。 「お前、ここ最近二日に一度は定時で帰ってるな、そう言えば」 「その代わりそれ以外の日は残業してますけどね」 「で、定時で帰る理由って、お…… 「悠木さん、これ、お願いします。俺、そろそろあっちに戻らないとならないんで」  悠木の言葉を遮るように、真はチェックしていた書類を差し出した。そしてすぐに席から立ち上がる。それをじっと見ている悠木のことなど無視して、真は机の上に置いていた書類を片付け始めた。 「じゃ、また明日来ます」  正式に辞令が出るまで、労務課と統括室と二足のわらじを履くことになり、真は忙しい毎日を送っていた。午前は労務課、午後は統括室で仕事を行い、夕方にはまた労務課へ戻るのだ。真は悠木に挨拶し終えると、部屋から出て労務課へ戻っていった。  廊下を進んでいくと、窓の外に広がる街並みに目がとまった。あかね色に染まる空を見ると、夜に追い立てられているように見えた。  今日はマリィのところに行く日だ。リーシャの稽古の相手もしなければならない。  だが、そのあとのことを考えたとき、自然と真の表情が曇り始める。  初めてリーシャの稽古の相手をしたあと、真は不思議な感覚を味わった。  その後、毎回同じものを感じてしまうものだから、それがなんであるか気になって仕方がない。しかし、それがなんであるか、未だ分からないままになっている。  もしかしたら、心のガードが外れたあと、リーシャから掛けられるチャームのせいかもしれない。リーシャからチャームを掛けられたあとのことを思い返したとき、下半身がぴくりと反応してしまった。 「さてと、行くか。殺されたくないから」  わずかだが硬くなりかけた勃起から気を逸らすように、真は苦笑しながら呟いた。
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