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第18話

 真はマリィに礼を述べたあと、それまで自らに降りかかった不運を振り返っていた。  妻の浮気も離婚も左遷も、今思えば結果でしかない。  若すぎた妻の多すぎる外出を大目に見ていたのは、実はどう接して良いか分からなかったから逃げていただけではないか。その隙を後輩に突かれてしまった結果が浮気や離婚、果ては左遷に繋がっただけだ。そう思えてならない。真は、なるべくなら考えないようにしていた不幸の原因を探り当て、ようやく溜飲を下げることができた。  それまで胸の内にため込んだ不平不満を吐き出すように息を吐く。すると視線を感じ、それをたどった先にはマリィがいた。彼女は真の様子を窺うようなまなざしを向けている。そういえば、お礼がどうとか言っていたなと思い出し、真はマリィに苦笑を向けた。 「礼はいらない」 「え?」 「礼なら、十分すぎるほどもらっているし。それに、おかげでいろいろ考えさせられたから」 「考えさせられたって、どういうこと?」  マリィから戸惑いの表情を向けられて、真は困ってしまう。 『チャームが効かない理由って、あなたが何に対しても希望を持てていないからじゃないかってセーレが言ってた』  真が己の不運を振り返っていたのは、マリィからこの言葉を聞かされたからだった。  確かに彼女たちと出会ったとき、希望など持っていなかった。すべては自らが招いたものだというのに、それから目をそらし、自分一人が不幸を背負っていると思い違いをしていただけだった。それに気づくことができた上に、かつて提案したことが認められて元の職場に戻ることができる。しかも、少しばかり昇格して。それが加護であると知ったときは複雑な気持ちであったが、マリィはそうではないという。 『あなたがこれまでやって来たことがあったからよ。加護はその結果が出るのを早めるだけだから』  結果はそれまでの出来事があるからこそ出るものだ。となると、マリィの言ってたことはあながち嘘ではないのだろう。あのときは自分が異動したことにより頓挫したが、再びすくい上げられたのだと思うと、報われたような気がした。それをどうやってマリィに説明しようか、真は考える。すると、何かに気がついたのか、急にマリィがほほ笑んだ。 「そう、そういうことなの……」 「えっ?」 「全部分かったわ。あなたが希望を持てなかった理由が。そういうことがあったなら、そう思っても仕方がないわよね……」  哀れんでいるのか寂しげな笑みを向けられたとき、居心地の悪さを感じた。真は軽く息を吐く。 「勝手に心を読むなよ……」 「だって、読めちゃうんだもの。この一か月のあいだ、徐々に心が見えるようになっていたけれど、それでも完全ではなかった。でも、今は違う」 「どう違うんだ?」 「濁った川のようだったの、あなたの心。だから、川底が全く見えなかった。でも今は水が澄んでいるから、しっかり見えるのよ」  得意げな顔をするマリィ。それを見て、真は苦笑した。 「まあ、今振り返れば、やったことが自分自身に返ってきただけだよ。といっても、それに気づくのが遅かったけどな」 「振り返ることができる人は、強い人よ。弱い人はそれができなくて、目をそらし続けているだけでなく、誰かのせいにして逃げているんだから。その誰かを私たちにしている場合が多いけどね」 「どういうことだ?」 「魔が差したっていう言葉があるでしょ? 悪魔の囁きでもいいわ。悪が付いているのはいただけないけど、魔ってね、人の心を迷わせるものっていう意味があるの。本当は心が弱いだけなのに、良心の呵責に苛まれないために私たちを利用しているだけにすぎないのにね……」  マリィが寂しげな笑みを浮かべた。  人間が己の弱さに向かい合えず、別な存在を作り上げ欲望に負けたことをなすりつけているならば、マリィたちからすればたまったものではないだろう。少なくとも、マリィのような淫魔たちは、人間達から精を頂くかわりに一時だけとはいえ快楽を与えている。それを魔、人を惑わすものと呼んでいいものか真は考え込んでしまう。  だとすれば、人間はもっと残酷だ。己が生きるために動物をわざわざ育て、躊躇することなく命を奪うのだから。視点を変えた途端、急に人間であることが辛くなってきた。真は目線を下げてしまう。 「ごめんなさい。こんなこと言うつもりじゃなかったんだけど……」  しおらしい声が耳に入り顔をあげると、マリィが申し訳なさそうに顔を俯かせていた。だが、急に顔を上げる。意を決したような表情で、ゆっくりと口を開いた。 「あなたには分かってほしかったの。私たちのこと」  その言葉を聞いたとき、どうしてか胸の奥が熱くなった。  だが、その後締め付けられるような切ない痛みが走ったせいで、熱はすっかりかき消されてしまう。  一瞬のことではあったが、このような感覚を味わったことがないだけに、真は戸惑いながら、しかしそれを表情に出すことなくマリィを見つめていた。  初めて見たとき、淫靡ながらも美しいマリィの姿に魅せられた。  その後夢に突然現れたマリィは、勝手気ままに振る舞い、それに従わざるを得なかった。  それからというもの、彼女の勝手な振る舞いをしぶしぶながら受け入れていた。はずだった。  だが、この一か月の間を通して、心に変化が生じていた。  始めの頃こそいやいやだったが、彼女たちと関わる時間が増えたと同時に、いつの間にかそのような気持ちは薄れていった。そして今、また心に変化が生じ始めている。  自分たちのことを知って欲しいという言葉は、その言葉を掛けた相手に物理的にも精神的にも近づきたいという願望を含んでいる。  普段こそ負けん気が強いマリィから、そんな言葉を掛けられた上にすがるような目を向けられているからかもしれない。それとも、互いに胸の内の一端を吐き出したからかもしれない。理由はさておき、目の前にいるマリィが急に頼りない存在のように思えてきた。  すると、体が勝手に動いた。ベッドのうえにちょこんと座っているマリィに近づき、真は彼女の体を包み込むように抱きしめる。腕に抱いた小さな体から、あの夜店に誘い込んだ甘やかな匂いがして、真は胸いっぱい吸い込んだ。  突然真に抱きしめられたマリィは、目を大きくさせた。  だが、すぐに嬉しそうな顔をして、その身を真に委ねたのだった。
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