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第6話

 仕事が終わったあとの真のスケジュールは、ほぼ決まっている。  自宅にほど近い居酒屋で夕食をとり帰宅する。これを離婚してからずっと繰り返していた。  だが、あの夜は違っていた。あの日は、とにかく酒が飲みたい気分だったからだ。  真は酒に強くない。それなのに、酒をたらふく飲んで酔い潰れたのは理由がある。  あの日、社員食堂で昼食を食べていたときのことだ。  偶然あることを耳にしてしまい、真は衝撃を受けたのだった。 『つまりあの提案は、マキノさんが途中まで話を進めていたやつってことか……』  真が勤務している本社には、彼以外マキノ姓はいなかった。ということは耳に入ってきた話に出てくるマキノは、自分である可能性が高い。真は背後から聞こえてきた会話に耳を澄ました。 『今の推進課長は、常務の娘婿になって課長の座についただろ? しかも、それまで目立った成果を出したことがないというか、今も出していないけど。で、だ。一年にもなるのに、未だに何も結果を出していないし、そろそろ何かしら実績をあげないとまずい。それでマキノさんが手をつけていたやつに手をつけたんだと思ってる』  話している内容からして、会話に登場するマキノは自分以外考えられなかった。となると、話し込んでいる人間は海外事業部の人間だろう。それに、彼らが話している計画には覚えがあった。  海外事業部には、真がいた推進課の他に企画課と営業課がある。企画課でプロジェクトをたてたあと、推進課がその準備をしてから、営業課が主体となって動いている。真が進めようとしていたものは、それぞれから人間を出し合ったグループで全てを行うことだった。だが、実現まであと一歩のところで急に暗礁に乗り上げた。中心人物であった真が総務部へ異動になったからである。  それを自分の代わりに課長になった男が、やろうとしているらしい。実績作りの一つとして。  そこにどんな理由があるにせよ、計画が実行されるのならばそれでいい。そうすれば、部として活気づく。そう頭では分かっていても、計画を一から作り上げた身としては、やり切れない思いになってしまう。  それに、ずっと考えないようにしているものもその思いに拍車をかけた。浮気相手の子供を身ごもったから、夫である自分と離婚したいというのはわかる。その相手を愛してしまったからだろうし、それまでのことを振り返れば不徳の致すところである。しかし、そのあとが問題だ。妻が再婚するまでの一年の間に、元浮気相手に課長の座を奪われた。  妻の浮気相手は、真の一年後輩に当たる男だった。  特に目立った働きをしているわけでもないのに、なぜか一目置かれる存在だった。  最初の頃は、目に見えないところで努力しているからだろうと思った。  しかし、そうではなく、他人の成果をいつの間にか自分のものにしてしまうような男だった。  そんな抜け目のない男が、惚れた腫れたで他人の妻に手を出すだろうか。しかも、その相手は会社の中で力を持っている常務の娘、最悪の場合会社を追われかねない。しかし、どういうわけか常務の娘婿に収まった上、昇進している。それらを考えたとき、真は疑念を抱いた。もしかしたら、妻の浮気相手だった男に追い落とされたのではないかと。今までは妻の浮気にしても、突然の異動も、たまたまにしては出来過ぎだが、重なっただけだと思っていた。しかし、考えれば考えるほどそうとしか思えない。  できることなら、負の感情を抱かないようにしていた。けれど、マグマのように噴き出してくる。それに飲み込まれないよう違うことを考えようとしたけれど、疑念と強く結びついてしまったようで、勢いを増していく。どろどろとした感情に今にも飲み込まれそうで苦しかった。  それをどうにかしたくて飲めない酒を飲んだけれど、やがて酒と感情に飲まれてしまい、意識が朦朧とし始めた。それからのことは、おぼろげにしか覚えていない。ただ、甘い匂いのことだけはしっかりと覚えている。  そして今、そのときと同じように甘い匂いをたどって、その店の前に立っている。  扉のすぐ横には、夢で女が教えてくれた名前が書かれていた。  それを確かめたあと、真はうんざりした顔で店の扉を開いたのだった。 「あら、こんばんは」  店に足を踏み入れたとき、すぐ目に入ったものはあの女の姿だった。  だが、髪の色が違っている。それ以外は夢と全く同じだった。  同じ顔立ちなのに、髪の毛が黒いと落ち着いて見える。それに服を着ているほうが、妙な話だが色気があった。ひとつひとつのパーツを確かめるように、真がじろじろと眺め始めると、彼女はげんなりした顔をした。 「よほど好きなのかしら、この姿」  白いシャツに黒いタイトスカートを身に着けた女が、わざと見せつけるように胸を突き出した。シャツの上からでもはっきり分かる盛り上がりが、更に大きくなる。視線を感じ目を上げると、彼女はふて腐れていた。 「好きなのは間違いないようだな」  急に男の声が耳に入り、しかもその冷淡そうな声に聞き覚えがあるものだから、真は声がした方へ顔を向ける。そこには冷徹なビジネスマン風の男がいて、椅子に腰掛けながらこちらに視線を向けていた。 「よお、この前はどうも」 「えっ?」 「俺がマリィを抱いていたのを覗きながら、オナニーしてただろ」  突然あの夜のことを指摘され、真はぎょっとなる。確かにあのときの女の姿が余りにも煽情的で、たまらず自慰をしてしまったけれど、それを知られていたことに驚いた。真が店に入ったままぼう然となっていると、カウンターの奥にいた女がわざとらしくため息をつく。 「セーレ、あんまりいじめないでよ。折角来てくれたんだし、のぞき魔さんが」 「そののぞき魔に、なんであとを残したんだ。こいつはただののぞき魔で、お前の伴侶となる男じゃないだろ?」 「はじめはのぞき魔をからかってやろうと思って夢渡りをしたけれど、いきなり逆ギレされたから勢いで食べちゃったの。そうしたら、元通りになったのよ。三回しかしなかったのに」 「三回で回復ねえ……」 「そうそう。もらえるものの量も少ないから、人間の男なら最低でも七人必要なのにね。一人三回としても」 「それで、それがあとをつけた理由か?」  カウンターに腰掛けた男が訝し気な表情で尋ねると、女はこくりと頷いた。 「それ以外の理由なんかないわよ。それにちゃんとしたやつはかけてないわ」 「いっそ、こいつを伴侶にしたらどうだ。お前の本当の姿が好きなら、喜んで抱かれると思うぞ? そしてめでたく子供を孕めば、いくらあいつでも手は出せない。そんなことをしたら、どんなことになるか分かってるだろうし」  聞き慣れない言葉が飛び交う会話を聞いていると、別世界の話をしているような気がした。  伴侶はさすがに分かるけれど、夢渡りは意味が分からない。真は突っ立ったままで、二人を交互に眺めていた。 「じゃあ、早速子作りでもしようかしら」 「そうしろ、そうしろ。ただでさえ、なかなかできないんだし。俺たちは」 「そうするわ。じゃあお店頼むわね」 「はいはい。ごゆっくり」  何が何だか分からない状態でいると、女がカウンターの奥からやってきた。いきなり手を握られる。 「じゃ、行きましょうか」 「はあ?!」  真はぎょっとなりながら、素っ頓狂な声を上げた。  すると、手を引いて歩き出そうとしていた女がくるりと振り返り、真の顔を覗き込む。 「やっぱりきいていないわね、私のチャーム。でも、まあいいわ。夢のときと同じく縛って動けなくすればいいだけだもの」 「はあ?」 「縛られていたあなた。なかなか素敵だったわよ。色っぽくて」  そう言って女はにやりとした。  その表情は、舌なめずりしたときと同じ表情だった。
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