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第30話

 田沢さんが去ったあと、すぐに正午を告げるベルが鳴った。窓口を後にして女子休憩室に向かうと、既にそこに来ていた煌が机に突っ伏していた。それを美里が宥めている。 「ねえ、煌。いくらなんでもそれはないと思うわよ。あちらさんだって、一応あんたの着飾った写真を見て見合いを決めたんだろうし」  美里が呆れた顔で煌の背中を撫でながら話している。何があったのか分からず二人を眺めていると、それに気が付いたのか美里が私を見ながら苦笑した。 「悠里。あんたからもなんか言ってやって。煌ったら見合いするんだけど、する前からどうせ断られるんだから見合いそのものをしたくないってごね始めたのよ」 「はい?」  すると煌が勢いよく顔を上げた。今にも泣きだしそうな顔だった。 「だって、絶対無理だよ。相手イケメンだし、一流商社で働いてるし。こんなちんちくりん相手にしないって!」 「ちっ、ちんちくりんは言い過ぎよ、煌。一応女だし、おっぱいあるし、髪長いし」 「おっぱい? おっぱいは悠里に負けてるし、女らしさは美里に負けるもん。何も取り得ないのに、なんで私なのよ……」  煌が美里に絡んでいるのを眺めていると、本当の姉妹のように見えてくる。確か美里はリアルで二人の妹のお姉さんだし、煌は一人っ子だったはず。二人の会話を整理すると、煌は一流商社で働くイケメンと見合いをするらしい。そしてどうせ断られるなら、最初から見合いなんかしたくないということだった。 「美里の言う通り、お相手だって煌の写真を見たうえで、お見合いしようと決めたんだし、そこまで言わなくてもいいと思うけど」  二人の側に近づいて腰を下ろすと、煌は目を伏せながら湿っぽいため息を吐きだした。煌から解放された美里は、バッグから女性雑誌を取り出してパラパラとめくりだす。そして何かを見つけたのか、それを煌に見せ始めた。 「煌、見てよ、これ。今週末人生最大のアクシデントとハプニングに見舞われることに! でも心配しないで。その出来事はあなたにとって最高の幸せをもたらしてくれる出来事になるでしょう、だって」 「え? お見合い、今の週末なの?」  美里が差し出した雑誌を見ている煌に尋ねると、自信なさげな表情で小さく頷いた。 「お父さんの釣り仲間の息子さんなのよ。昨日の夜写真とかプロフィールとか見せられて、週末見合いだって」 「それで、その相手に一目惚れしちゃったんだ」  唇を尖らせている煌に問うと、彼女は頬を赤らめて首をぶんぶんと横に振った。 「ちっ、違うってば。ただあまりにもハイスペックすぎるからっ!」 「じゃあ、断られるって思ってるのね。例え顔が良い男でも、何も感じない男から断られたって別にいいじゃない。あんたの行動を見ていると、相手に断られるのが怖いから、見合いに行きたくないって駄々をこねているようにしか見えないんだけど」  すると煌は、うっと言葉を詰まらせた。どうやら当たりらしい。そのお相手に何かしら感じるものがあったからこそ、断られることが怖いのだ。 「そうなの?」と美里が尋ねると、煌はみるみるうちに表情を曇らせた。どうやら図星らしい。私と同じように美里もそう感じたらしく、煌の背中を優しく撫で始めた。 「そっか。なら頑張らなきゃね」 「が、頑張る?」 「そう、もっとこの人とおしゃべりしたい。一緒にいたいって思わせないと」 「そっ、そんな話術ないもん……」 「話術? そんなもん私も持ってないわよ」  開き直りながら話す美里を見て、煌はまたため息をついた。 「いつもの煌のとおりでいいと思うよ。だってそのときだけ無理して背伸びしたって意味ないし。もしもお見合いがダメだったら、そのときは三人で飲もうよ。勿論美里のうちでね」 「そうだよ。煌。だめでも合コンがあるから!」  すっかり自信を無くしてしまった煌。彼女の姿を見たとき、彼のもとへ向かう途中で急に不安に襲われたことを思い出した。もしもあの時東京へ帰っていたならば、いつも通りの毎日を過ごしていただろう。それにこれほどまでに悩まずにいたはずだ。その代わり、あれほど満たされた時間を過ごすこともなかったと思う。  彼と過ごした二日間は、大事な大事な思い出だ。そしてそれが心を占めている間私は誰をも好きになれないだろう。心を奪われる、その本当の意味を私は今実感しているのだから。  彼のことを思い出す度切ない気持ちになってくる。そして抱き合ったときのこと、二人で手を繋いで地蔵巡りをしたときのことを思い出すと、胸の奥がじんと熱くなる。あれからもう一ヶ月近く経っているのに、あの思い出は今でも鮮明に蘇り、私を幸せな気分にしてくれる。しかし幸せな気分を味わった分だけ、切ない気持ちになってしまい、涙を流すときもある。 『いい気晴らしになったよ。ありがとう』  彼にとって私は気分転換の相手だったのだ。 『こんなに楽しかったのは本当に久しぶりだ』  彼が楽しかったなら、それでいいと私は思った。例え自分の思いを伝えられなくとも。そう言い聞かせ、心を鎮めようとするけれど、こうなってしまえば感情の制御が難しい。だから諦めて泣くことにしている。泣くだけ泣いてすっきりさせるのだ。そしていつも通りの毎日を過ごしているけれど、以前のようにつまらないとは思わなくなっていた。それを考えると、彼との出会いは決して無駄ではなかったのかもしれない。  見合いは出会いのきっかけの一つだ。煌にとってそのお相手との出会いが、素敵なものになってくれることを願わずにはいられない。美里に励まされているうちに、煌は少しずつ笑顔になっていた。 「お見合い、うまくいくといいね」と私が言うと、彼女は恥ずかしそうに頬を赤くさせながらほほ笑んだ。
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