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第24話

 宿の入り口近くには、御籤(みくじ)の自動販売機がある。旅館のロビーに御籤の販売機があっていいものか、ここを訪れるたび悩むところだが、彼女と行った神社には御籤を売る店がない。あの神社はもともとこの旅館の主が祀ったもので、以降旅館があそこを管理しているのだと、毎回自分自身を納得させていた。  硬貨を挿入すると、すぐに御籤がぽとりと落ちてきた。彼女に硬貨を渡しそれを買い求めさせたあと、二人で一斉に御籤を開く。開いて一番に見えたのが「大吉」という文字だった。彼女の顔を盗み見るようにすると、嬉しそうな顔をしていた。多分自分と同じく大吉だと直感した。 「見せ合いっこしようか」  御籤に書かれてある文字を目で追っていた彼女に尋ねると、手に持っていた御籤を差し出してきた。 「ん? もしかしておんなじか?」 「え?」 「ほら、これ俺の」  彼女が差し出した御籤の文字を見たとき、既視感を覚えたのは勘違いではない。自分と全く同じものを彼女が引いたことが嬉しくてたまらなかった。 「こんなことってあるんですね……」  興奮を隠しきれないのか、彼女が頬を赤らめる。その姿がいじらしくて、見ているこちらが嬉しくなる。 「まあ確率の問題だから、ないこともないが。まさかそれに当たることになるなんて……」  聞いた話だと大吉を引き当てる確率は3割だということだった。しかも同じ時間・同じ場所で同じものを引きてる確率は、かなり低いはず。それなのに彼女と全く同じものを引き当てたと分かったとき、運命めいたものを感じた。  全く別の場所で、違う時間に生まれた者同士が出会うことは本当に奇跡としか言いようがない。彼女と出会い、同じ御籤を引き当てたことに何か意味があるように感じた。  嬉しそうな顔で彼女は二つの御籤を眺めている。その表情を見ていると、こちらまで嬉しくなってきた。だけど不意に神社で目にした彼女の姿が脳裏をよぎり、不安にも似たものが湧いてきた。だがそれには関わらない方が良い。そう自分自身に言い聞かせながら、彼女を眺めていた。  田沢が話していた「地蔵」は旅館の売店のそばに置かれていた。地蔵にしてはかわいらしいその姿に、なんだか商業めいたにおいを感じて仕方がなかった。だけど彼女が楽しんでいるならばそれでいい。その地蔵を見つけた後、近くの売店で地蔵にかける湯が入った小瓶とともに地蔵めぐりの地図をもらった。だがその地蔵は実は七つあるらしく、一日掛かりの予定になるなと心の中で独り言ちた。  早速二人で地蔵に湯をかけて、手を合わす。願い、それはたったひとつ。彼女がこれから出会う良き縁に恵まれること。そしてその縁が素晴らしいものになることだ。  ふいに隣にいる彼女に目をやると、唇をかみ締めながら熱心に祈りを捧げている。その姿は祠に向かって祈りを捧げる姿と重なって見えた。あのとき悲壮感さえ感じられるほど、彼女は必死になって祈りを捧げていた。その姿を目にしたとき、どのようなことを祈っていたのか気になって仕方がなかった。それを眺めていると、彼女の体が小刻みに震えだし、洟を啜る音がかすかに聞こえていた。何が彼女の心を煩わせているのだろう。聞けば教えてくれるかもしれないが、無遠慮に尋ねるのも気が引けた。  祈りを捧げ終えた彼女が顔を上げたとき、涙ぐんでいるように見えてしまい、心がかき乱れたものだった。彼女にとって自分はどういう存在なのだろう。ただの初めての男だけというなら、それ以上何も聞かない方がいい。だけどもっと頼ってほしいし、もっと甘えてほしい。  頼りにされたい?  甘えてほしい?  彼女に?  欲望のままに求めた相手。しかも勃たなかったものが、反応したという理由だけで誘った相手だ。そこに恋愛感情など生まれていたわけではないし、あるはずがないと今でも思っている。  もしあったとしても、それは彼女に伝えられない。偶然が重なって彼女を抱ける状態になっただけで、その先も彼女を喜ばせてやる自信がない。それにこんな男に思われても、彼女にとって迷惑なだけだ。  俺の人生はもう先が見えている。それに一人で生活することにも慣れてきた。ずっと埋められぬ空洞に目を向けなければいいだけのこと。だけど彼女は違う。まだ彼女は若いし、魅力的な女性だ。彼女の初めての男になれただけ幸せなのだ。  彼女の願い、俺の願い。どうかもし本当に願いが叶うなら、二人の願いが叶うことを願わずにはいられなかった。  七つの地蔵を巡り終えると、すっかり夕闇が迫っていた。冬の夕暮れ時は、あっという間に静かな闇が全てを覆い尽くしていく。暗くならないうちに宿へ戻らなければならないのに、もう少し彼女と一緒に歩いていたい。願わくばずっと、こうして手を握りしめて。彼女の手を握りしめると、握り返された。  田沢はどんな思いで地蔵を巡ったのか。茜色に染まる空を、寝床に帰る鳥たちが翔けている。それをぼんやりと眺めながら、そんなことを考えていた。  二年前、作並に酒を持って来た田沢。彼女は思いつめた顔でそれを飲みながら話していた。好きな人がいるのに、彼は女性と関わりを持ちたくないと言い切っていたと。その相手がまさか横沢とは思わずに、ダメで元々玉砕覚悟で行けと励ました。そしてたまたま耳にした地蔵巡りで願掛けをしたのだが、そのあと二人は恋人同士になって、ついに同棲までし始めた。  田沢が勃起障害であることを知ったのは、横沢と交際を開始する少し前だった。彼もまた俺と同じように苦しみ悩んだ末に、女を遠ざけていたらしい。だから横沢とくっついたのが不思議でたまらなかった。そして彼の障害を打ち明けられたとき、横沢は何を考えていたのかも気に掛かる。それにそんな二人がどんな歩みで抱き合えるようになったのかも気にはなるが、そういうことは幾ら気心が知れた相手であっても聞きにくいものがある。 『だって彼女に欲情したんでしょう? それが一度ならず二度なら、それは衝動的な欲情じゃない。好意から派生した欲情だという可能性も否定できないということです』  二人のことを考えていると、あの日横沢から告げられた言葉が頭に浮かんだ。彼の言葉を借りるならば、恋愛感情の果てに欲情したということになる。相手が欲しい、それも確かに愛だ。だけど俺はかつての恋人に欲情は――――。  いや、あれは欲情じゃない。愛しているから、どうにか繋ぎとめようと焦っていただけだ。焦る余りに自らのエゴをぶつけていただけで、それは愛情から派生する欲情ではなくむしろ執着に近い。 (そういう、ことか……)  不調の始まりは、仕事のストレスからだったと思う。だけど、恋人と肌を重ねても勃起しない焦りやいら立ちに苛まれ、それが障害の要因の一つになっていた。そしてついには、それが大半を占めるようになっていたと考えると合点がいく。それらから解放された今、彼女を求めたのは、恐らくきっと……。  心の奥底に抑え込んだ思いがまたも浮上しようとしていて、それをまた押し込める。遠くに白い山並みが見えて、夕日の光を浴びて稜線がオレンジ色に染まっていた。それを眺めていると、彼女が手を握ってきた。 「明日、早い時間で帰ります」  隣にいる彼女へ目を向けると、寂しげな笑みを浮かべて僅かに顔を俯かせていた。それを眺めていると、視線に気づいたのか、彼女がほほ笑みながら振り向いた。彼女を見つめているうちに、見えない力で引き寄せられそうになっていて、それをどうにか理性で抑えつけた。まだ彼女の手は俺の手を握りしめている。 「ああ、そうだね。明後日から仕事だったね。いい気晴らしになったよ。ありがとう」 「私も良い気晴らしになりました。お忙しい中、ありがとうございます」 「いや、俺も楽しかった。こんなに楽しかったのは本当に久しぶりだ」  すると彼女の表情がかすかに陰りを帯びた。その表情が胸に突き刺さる。その痛みは、じくじくと疼くようなものに変わっていく。その痛みに耐えながら、彼女とともに宿へと向かっていた。
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