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第23話

「腹ごなしに散歩でも行こうか」  部屋で朝食を食べ終えたあと、初詣を兼ねて旅館の向かいにある神社へお参りに行くことにした。着替えを済ませ外に出てみると、辺り一面真っ白な雪が積もっていた。朝日を浴びてその雪の表面がきらきら光っている。吸い込む空気はとても冷たくて、体の内側から冷えてしまいそうだった。  だけど繋いでいる手はとても温かい。指を絡めて繋いだ手から温かいものが伝ってくる。それは冬の冷たい空気で冷えた体だけでなく、心をも温めてくれた。  冬の柔らかな日の光が差す中横断歩道を渡ると、すぐに古い木で作られた鳥居があって、それをくぐろうとしたとき彼が話しかけてきた。 「そういえば聞いたことがあるな」  隣にいる彼を見上げると、肩を竦ませている。オリーブ色のダウンコートの襟から覗く首が寒そうだった。白い息を吐きながら、何かを思い出そうとしている。 「この辺りにある五つの温泉には、それぞれ地蔵が祭られていて、それらを巡って湯をかけると願いごとがかなうらしい。前に田沢がうれしそうに話していて、しかもそれら全部まわったんだよ」 「田沢さんが?」  彼に聞き返すと、こちらを向いて頷いた。 「ちょうどその頃片思いしている男がいてね、それでその願掛けをしていたんだよ」 「それで、その願い事は叶ったんですか?」 「ああ、まあ、叶った、な」  苦笑しながら話す言葉は、随分歯切れが悪かった。願い事が叶ったというならば、思う相手と結ばれたはずなのに、どうして彼は言い難そうにしているのだろう。それが気になるところだが、敢えて言いたくないなら聞かない方がいい。 「回ってみるかい?」 「え?」 「まだ一日が始まったばかりだし、5軒の宿もそう遠くない場所にある。車で回るほどでもない距離だ」 「でも……」  田沢さんのことを考えていたら、地蔵巡りに誘われた。しかし彼がここに来ている目的は仕事だ。それを邪魔するわけにはいかないし、でも。彼と一緒に入れることが嬉しかった。そのとき繋いだ手をぎゅっと強く握られる。それに気が付き彼の顔を見上げると、困ったような顔をしていた。 「ここにいて俺と一緒にいるうちは、「でも」「だって」は禁止、いいね」 「でも」と言いかけたが、その言葉を飲み込んだ。私はそれに頷いて、彼の手を握り返す。すると彼が優しくほほ笑んで、再び雪が積もる境内へと向かい歩き始めた。 「じゃ、まずは御神体に祈りをささげよう。互いの願いが叶うことを祈るとするか」 「……はい」  きゅっと強く手を握られた瞬間、心臓が締め付けられるような痛みを感じた。そしてその痛みは波のように全身へと広がっていく。隣にいる彼と繋いだ手が熱くなり、そこからも熱が広がっていった。痛みと熱が混ざり合い、胸の奥へと吸い込まれていく。そして吸い込まれたものは温かなものに変わっていった。それはこんこんと湧き出る泉の水のように、あとからあとから溢れてくる。その温かいものが全身を満たしたとき、今まで感じたことがないほど幸せな気分になっていた。  本堂へ続く石畳は雪で覆われていて、そこをゆっくり歩いていくうちに、不思議な感情が湧いてきた。それは彼と二人で歩いているこの時間が、とても大切なもののように思えてきて、胸が熱くなる。恐らく時間にすれば、ほんの数秒のことだと思う。でももっと長い時間のように感じた。そしてもうひとつ。それは彼と手を繋いだまま、どこまでも一緒に歩いていけるような気がしたものだった。  そのときすぐに分かった。好きなんだ。私、この人が好きなんだ。そう感じたとき、胸が急に痛くなり涙がこみ上げてきた。振り返れば初めて出会ったときから、彼に恋していたのだろう。あのとき感じた心臓の痛み、そして時間が止まった感覚は今でもはっきりと思い出せる。  でも、それは私だけ抱いている感情だ。彼はそんな感情など抱いていない。それなのに、まるで恋人のように接してくれるのは、ここまで来てしまった私への気遣いだ。そう思ったとき、嬉しかった優しさが辛いものへと変わった。  こんな思いをするのなら、ここに来なければよかった。抱かれなければよかった。そうすれば平穏無事な毎日を送っていたはずなのに。そう思うと胸が痛い。その痛みは胸の中に溜まっていって、ついには張り裂けてしまいそう痛みへと変わっていった。  でもそれは勝手な言い分だ。だからといって昨日までの時間を、全部無かったことになんてできそうにない。どうせ叶わぬ恋だ。ならば限られた時間を、彼と一緒に過ごして思い出にすればいい。そう思ったとき、やり切れない思いが広がった。みるみるうちに視界が歪み、涙が溢れてきて今にも落ちそうになった。それを顔を俯かせ誤魔化して、彼の手を握りしめる。するとそこからまた温かいものが流れてきたけれど、胸の痛みを無くしてはくれなかった。  本堂へ向かう途中にしめ縄で囲まれた屋根が付いた御手洗(みたらし)があって、そこで口と手を清めたあと小さな祠(ほこら)へたどり着いた。  古式にのっとり鈴を鳴らしたあと、おじぎをしてから拍手を打って、最後にもう一度おじきをした。手を合わせ願ったこと。それはたったひとつだけ。  もし願いが叶うなら、この思いを消してください。どうせ叶うことのない恋なら、この胸の痛みを抱えていても辛くなるだけ。  それを心の中で願うと、涙がこぼれてきた。彼に見られないように、顔を俯かせたまま涙をぬぐう。こんな姿、絶対彼には見られたくない。どうにか落ち着きを取り戻したあと、沈んだ気持ちを奮い立たせ、彼の手を握りしめた。すると彼は照れくさそうにほほ笑んでいる。 「さて、旅館に戻って御籤(みくじ)を引こう」 「え?」 「初詣といったら御籤だろう? だがここには御籤が置かれていない。さっきの宿に御籤の自販機があるから、そこで引くんだよ」 「そうなんですか……」 「そう、だから一旦宿へ戻ろう。その後地蔵めぐりをしよう」  そう言ったあと彼は私の手をぎゅっと握り締め、宿へ向かい歩き始めた。
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