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第15話

 21:47、定刻どおり新幹線は仙台駅に到着した。週末の遅い時間の新幹線は、出張帰りのビジネスマンの姿であふれていて、彼らとともに降り口へと向かう。  新幹線から一歩外に出ると、東京より冷たい風が吹いていた。肌に突き刺さるほど冷たい空気に触れたとたん体がぶるりと震えた。辺りを見回すと降り立った旅人たちは、皆そこから足早に立ち去っていく。それを眺めているうちに、いつの間にか一人きりになっていて、人の気配が消えつつあるホームで一人佇んでいた。 「来ちゃった……」  心の中で思っていたことが、そのまま口から漏れた。吐く息は東京よりも白く、どんどん体の熱が奪われてしまいそうだった。いや、体だけではなく心の熱さえ奪われてしまいそうで、気づけば彼から掛けられた言葉を繰り返し思い出していた。その言葉を思い出すたび胸がじんと温かくなってきて、体の芯がほんのり温かくなってくる。だが一人ポツンとホームにいると寒さも手伝って心細くなってくる。それを振り払うようにその場から立ち去った。  新幹線のホームを出て、仙山線(せんざんせん)の表示を目で追いながら、乗り換えのホームへと向かった。こぢんまりしたホームには、東京の地下鉄でよく見るような列車が既に到着していて乗客たちを待っていた。  列車の中に入ると遅い時間だからか閑散としていた。空いている席に腰掛け、寒さをしのぐためにストールを肩に掛ける。車窓からホームを見ると、この列車に乗り込もうとする人間達の姿が見えた。  そして発車のベルが鳴り響いた瞬間、急に不安が湧いてきた。車内に数人いたはずの乗客たちの気配が一斉に消えて、まるで私一人だけ取り残されたような孤独感に襲われた。空気がどんどん冷たくなってきて、容赦なく私の体と心から熱を奪い取っていく。そして冷たい空気が触れる肌から滲むようにして入り込んできた。どんどん体が冷えてきて、勝手にぶるぶると震え始める。とっさに体を抱きしめてみるが、その震えはなかなか収まってくれそうにない。  土壇場で怖じ気づいてしまい、それをどうにか追い払おうとするけれど、振り払ったはずの心細さが不安となって押し寄せる。今ならまだ間に合う。今すぐここから飛び出して、新幹線に乗り込み東京へ戻れば、きっと――――。 『待ってる』  そのとき彼の声が聞こえた気がした。 『早く、会いたい』  震えが止まった。冷え冷えとしていた心に熱が戻ってくる。  息をゆっくりと吐きだすと、それまで感じていた冷たさが遠のいていく。もしも不安のままに東京に戻ってしまったら、もう二度と彼には会えないような気がした。それに仮にそうしてしまえば、私を待っていてくれている彼を裏切ってしまうことになる。  そのときガタンと車内が揺れて、列車がゆっくりと動き出した。窓の外へ目を向けると、外の景色がゆっくりと流れていたのが、少しずつ速度を増していく。  暗闇に浮かぶ小さな明かりが、尾を引きながら後ろへと流れていく。その様はまるで流星のように見える。闇の中を次々と流れる星たちを眺め、私はため息をついていた。  仙台駅を出発した列車は、二十三時になる少し前に作並駅に到着した。列車を降りると、煌々と照らされた明かりがまぶしくて思わず目を細めてしまう。冷たい空気とともに駅舎に入り、改札口に向かうと見知った人が見えた。その瞬間心臓が大きく脈打つ。そこから先はまるでスローモーションのように、時間も周りの光景もゆっくりと動いていった。 (彼だ)  彼はカジュアルなジーンズにオリーブ色のダウンジャケットを羽織った姿で、改札の向こう側に立っていた。髪は無造作に流されていて、全体的に若々しく見える。  その姿を見つめていると、視線に気づいた彼がほっとしたような顔で私を見つめている。すると体が勝手に動き、気づけば彼の元へ向かっていた。そして彼も私の方へと近づいてきて、そのままぎゅっと抱きしめられた。 「よかった。来てくれたんだね」  安堵のため息にも似た彼の言葉に、胸がじんと熱くなる。彼のぬくもりと匂いに包まれて、それまでずっとこわ張っていた私の体と心が、ゆっくりと緩んでいく。 「寒いだろう。さあ宿に行こう」  彼の腕の中でじっとしていると、何かを促すように背中を軽く叩かれた。それが子供をあやす仕草のように思えて、気恥ずかしくなってくる。 「子供扱いしないでください」  顔を上げてわずかににらみ返す。 「俺からすれば、まだまだ子供だよ」  彼が苦笑しながら、からかうように話す。優しいまなざしを向けられ、やるせない気持ちにさせられた。子供扱いされたことが悔しくて口を尖らせると、いきなり手を握られた。 「小さい手だな。手袋くらいしてこいよ。もうこんなに冷たいじゃないか」  彼が私の手を口元まで持ち上げ、暖かい息を吹きかける。するとその息が白いもやとなって浮かび上がった。手を摩られているうちに、すっかり冷え切った指先が温かくなってくる。私の手を温めてくれる彼の姿に、胸がじんと熱くなった。それを眺めていると、彼が私の手をぎゅっと握り締めた。 「さあ、行こう。ここでこうしていても冷えるだけだ」  優しい瞳を向けられてそれに頷くと、彼は私の手を握り締めたまま歩き出した。  駅舎を出たところに大きな車が停まっていて、それに乗るよう指示された。助手席に乗り込んだ瞬間、ほのかにタバコの匂いがした。それからすぐに彼が運転席に乗り込んで、ゆっくりと車を走らせる。 「目的地までは十分かからないよ。はい、コーヒー」  運転している彼から、温かい缶コーヒーを手渡された。 「結構奥まった場所なんですね、ここ」  缶コーヒーを両手で持って、それで暖を取り始めた。 「ひとつ山を越えたらすぐ山形だからね。もう少し行けば有名な山寺もあるし、日曜でも行ってみようか?」 「先生のお時間に合わせます。邪魔をしたら悪いから」  彼から突然言われた日曜の予定に、その間ずっと彼と一緒にいられることに喜びを感じた。 「先生はやめてくれ。恥ずかしいから」 「だってプロの作家さんだもの」  ちらと彼を見ると、前を向いたまま黙り込んでいた。 「ところで、君のことをなんて呼べばいい? 花總はペンネームなんだろう?」  一瞬それを教えていいものか迷ったけれど、名前だけなら問題ないと考え直した。 「悠里(ゆうり)、です」 「俺は立花 浩正(たちばな ひろまさ)。好きな呼び方で呼んでいいが、先生だけは禁止だ。恥ずかしくてかなわん」 「じゃあ、遠慮なく。立花、さんでいいですか?」  するとそれまで饒舌だった彼が言葉を詰まらせ、狭い車内にしばらく沈黙が流れた。 「駄目だ。それだと作家の名前と同じだな。仕事のとき「たちばなさん」って呼ばれるからなあ」 「じゃあ、浩正、さんは?」  彼の名前を呼んだとき妙に照れくさくて仕方がなかった。余りに恥ずかしくて、彼の顔を見られない。 「なら俺も悠里ちゃんって呼んでもいいかい?」  彼から名前を呼ばれ、心臓がどくんと大きく脈打つ。 「「ちゃん」はやめてください。三十近いのに「ちゃん」はちょっと……」  確かに彼から見れば小娘にしか見えないだろうが、それはかなり恥ずかしい。すると彼が軽快に笑い出す。 「俺から見たら悠里ちゃんは女の子だよ。それに三十はただの数字だ。そこまでこだわらない方がいい」  それまで三十という年齢がひとつの区切りのようなものに感じていたのだが、彼にとってはただの通過点でしかないらしい。二十代後半に差し掛かると、私だけでなく大半の女性たちは根拠のない焦りや不安を感じるものだと思う。その数字に縛られて、閉塞感を抱いているのは事実だ。だが、彼の言うようにただの数字だと思えば、少しは気が楽になる。そんなことを考えているうちに、目的の場所が近づいていた。 「そろそろ着くよ。ほら、前を見て」  彼から掛けられた言葉を頼りに、前に視線を向けると明かりが見えた。 「結構古い旅館だけど、居心地はいいし、温泉もなかなかだと思うよ」  ゆっくり近づく建物を見ているうちに、知らず知らずのうちに緊張し始めていた。
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