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第11話

 横沢に原稿を渡した翌日、旅支度を終えて北へと向かう。東北道を北に進むうちに、車内の空気がどんどん冷たくなってきた。  休憩のため立ち寄ったパーキングエリアで空を見上げると、徐々に雪雲が厚さを増し始めていた。やがて白いものがふわふわと舞い落ちてきて、アスファルトの地面を白く覆い尽くしていく。  息を吐くと白いもやとなり、冷たい空気に溶けるように消えていく。肌を突き刺すような寒さを感じ、いよいよ人恋しさが募ってきた。そのとき彼女の姿がふいに頭の中に浮かびあがる。  触れ合った場所から伝う熱。肌から立ち上がった彼女の香り。重ねた唇の柔らかさや、絡めあった舌の感触。そして体に巻きつけられた彼女の脚の感触と、布越しに伝ってきた女の部分の熱さ。それらを思い出すと自然に体の芯が熱くなってきて、無性に彼女に会いたくなって仕方がない。  だけどその一方で、二度と会ってはならないと自分自身に言い聞かせてもいる。もしも再び彼女と会ってしまったら、必然的に自分の弱さに向き合うことになると分かっているからだ。  あのときは欲望に身を任せて激しく求めることができたのに、次はそれができない可能性が高い。そうなってしまったら、別れた恋人と同じ思いをさせてしまうかもしれない。  そして俺自身も再び男としての自信ばかりか人間としての自信を失ってしまうだろう。そう、十年前と同じように。その当時のことを振り返れば、暗闇に引きずり込まれてしまいそうになる。どこまでも深く暗い闇の中に。足元に暗闇が近づいてきているような気がして、それから逃げるように車に乗り込んだ。  たとえ人生を共に過ごす存在がいなくとも、そのかわりに心の平安を得られた今は幸せだ。暗闇の気配を打ち消すようにそう言い聞かせキーを回した。すぐに振動が体に伝い、ゆっくりとハンドルを切りながらアクセルを踏んで車を走らせた。 「さて、と。もう少しがんばるか……」  蔵王パーキングエリアを出てしばらく行けば山形道との分岐点にさしかかる。そこを通り越し仙台宮城で降りた後、あとは国道四十八号線に抜ければ作並(さくなみ)だ。仙台の奥座敷と呼ばれている秋保(あきう)もいいが、落ち着いた風情漂う作並の方が俺にはあっているような気がする。古くから続いているそこの温泉宿で年末年始を過ごすことが、いつの間にか習慣のようになっていた。  あの日からもう一週間が過ぎている。本業を抱えている彼女が師走の忙しさに紛れ、俺のことを忘れてくれることを願っているが、心のどこかで忘れてほしくない気持ちが沸き起こってきて、そんな自分自身にいら立ちを感じてしまう。  恐らく彼女は来ない。いや、来てほしくない。その先を与えてやれない俺のような男よりもっと彼女にふさわしい男がいるだろうし、そういった男と幸せになってほしかった。  だがあのとき見せた艶めかしい姿を他の男が見ることを思うと、胸に鋭い痛みが走る。しかしそれは仕方のないことだ。そう自分自身に言い聞かせ、彼女の面影を頭から追い出し作並に向かうことにした。  毎年来ている宿は、変わらぬもてなしで迎えてくれた。もう十年以上の付き合いになるが、何度訪れても飽きることはない。落ち着いた佇まいの本館を通り、予約してある離れの宿へ向かうと、見慣れた景色が窓の外に広がっていた。雪化粧が施された景色は心を落ち着かせる効果でもあるのか、それを眺めているうちに心に静寂が広がっていく。  窓の外に積もる雪は何人の足跡も残されておらず、それを見ているうちに彼女の姿が浮かんだ。楚々として慎ましい彼女の姿は、窓の外に積もっている処女雪のようだった。それなのに、ひとたび火がつけば燃え盛る欲望を隠そうともせずに俺を誘う。その姿に煽られ欲望に身を任せていた自分自身を振り返ると、ただただ気恥ずかしい。あの濡れた唇を舐める小さな舌を見たとき、それまですっかり手放した欲望に火がついて、気がつけば彼女を誘っていた。  ふと窓の外を見ると、白い綿雪が羽のように空からゆっくりと舞い落ちていた。また冷え込みが厳しくなってきたようで、部屋の空気がひんやりとし始める。窓の外に目を向けると、夕闇が迫っているのか、白い雪がぼんやりと明るくなり始めていた。その様子を眺めながら、あのとき触れた彼女の熱を、俺は無意識のうちに思い出そうとしていた。  しんと静まり返った部屋でラップトップと向き合い原稿を書いていると、時間の感覚が希薄になってくる。疲れたら横になって、起きたらまた原稿を書いての繰り返しのような日々は、東京でも作並でも変わらないはずなのになぜかそわそわと落ち着かない。  原稿を書いているときは集中しているから、それ以外のことは考えなくてすむのだが、ひとたびそれから離れたとたんに、彼女の姿が頭に浮かぶ。それでついスマホで曜日を確かめてしまい、ほっとしているような有様だ。 (これじゃ、落ち着くわけないよな……)  なんだかんだ言いながらも、彼女がこちらに来ることを待ちわびている。そんな自分に呆れながらも、期待していることが情けなかった。幾ら自分に言い聞かせるように彼女がここに来るわけがないと思っていても、心がそれを待ちわびているのだから厄介極まりない。  ふと彼女の作品を読んでみようと思い立ち、ネットに繋いで彼女の名前を探し始めると、それはあっけないほど簡単に見つかった。サイトでプロフィールを見てみるが、期待したような情報は書かれておらず、取りあえず彼女の作品を読み始めることにする。 『さほど恋愛経験がないのか、どこか硬くて。もう少し柔らかさが欲しいといいますか』  田沢が話していたとおり、その文章は硬さが残る文章だった。女性が書く官能小説は、第一に恋愛があってその先に行為がある。流れとしては順当だが、これを男性向けの官能作品でやっても売れるわけがない。男が官能作品に求めるものは、ありていに言えば「刺激」だからだ。  確かに彼女の作品の中にも刺激的なものもあるが、その程度で男は勃起などしないし当然自慰にも及ばない。むしろ悶々とするばかりだろうし、そんな官能小説など男は誰も手を伸ばさない。  男のセックスには愛情も確かにあるが、独占欲や支配欲の方が勝っているような気がする。腕の中で、快楽に打ち震えている女の姿ほど興奮するものはないからだ。  それじゃあ女はどうかといえば、愛されているという実感を求めているような気がする。もしかしたらこのあたりが男と女の間にある「決して埋まらぬ溝」の正体なのかもしれない。  いずれにせよ、彼女の人となりがなんとなく分かってきた気がした。もちろんセックスに関することも。なぜなら作品には必ずといっていいほど、自分自身の価値観が滲むものだからだ。どんなに言葉で飾ってみてもそれを書いた人間が出てしまうし、それまで生きてきた中で感じたものや考えてきたことが如実に文章に表れるといっていいだろう。  セックスのことに関しては、経験がなくとも巷にあふれる刺激的な映像を見れば、一連の動作は誰だって書ける。問題はその先で、その動きの描写の合間にいかに書き手の個性を埋め込むかにかかっているといっていい。  彼女の作品にはそれが足りないような気がする。セックスは原始の昔から基本的な部分は変わっていないし、その快感を得るためのプロセスの中で感じる何かがあるはずだ。  欲情した女が発する雌のにおい。汗ばんだ肌のしっとりとした感触。堪えきれず漏らす声。溢れるものを口に含んだときの濃厚な味わい。そして全身で悦びを受け止めようとする艶かしい姿。それらをどう描くかが官能小説では一番大事なことだと思うのだが、そういったものが彼女には足りていないような気がした。 (まあ、処女だからな……)  動きは書けても、感覚の描写はなかなか書くのが難しい。だからといって使い古された言葉の羅列だと新鮮みに欠けるし、奇抜なものだと理解されにくい。正にさじ加減が難しいところだ。  田沢はどう思っているかわからないが、彼女の文章の硬さが処女であるからだということに気づけば、もう少しフォローもできるかもしれない。だけど妄想だからこそいろいろな言葉が浮かんできて、それがいい結果につながることも事実だった。  田沢は彼女とどう関わろうとしているのだろう。もともと人なつっこいタイプではあるが、それにしたって彼女に肩入れが過ぎるような気がする。  だが、それを考えるより先に自分の原稿を何とかしなければならない。俺はネットを閉じて、再び原稿書きに精を出すことにした。
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