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第5話

「花總さんが、フラウで作品を書き始めたきっかけってなんだったんですか?」  田沢はメモを片手に、隣に座る彼女に尋ねた。田沢の向こうにいる彼女を見ると、緊張しているような表情で思案しているようだった。そして、遠慮がちに口を開く。 「もともと本を読むことが好きだったんですが、一人暮らししたときを機に電子書籍のほうを買うようにしたんです。それでたまたま目に留まったのが、ティーンズラブと呼ばれるジャンルの本でした。そしてその作品がフラウで連載されていた作品だったと知って、そちらで続きを読むようになったんです。そうしているうちに、自分も書いてみようかなと思ったんです」 「そういった方、フラウには多いんですよ。公開されている作品を読んでいるうちに、ぼんやりとしていた好みが輪郭を持つようになっていって、それを文字にしてみたくなるのかな」 「その通りだと思います。それに公開されている作品を読んでいるうちに、自分ならこういう感じにしたいなって出てくるものだと思いますし」 「ですよね。私も読んでいてそう感じることありますよ。とはいえ編集という仕事をしているので、こういうふうに書いたら、もっと面白くなるんじゃないかって思っちゃうけど」  和気あいあいと話し込んでいる田沢と彼女の姿を眺めながら、俺はひたすら紅茶を飲んでいた。いつになったら本題に入るのだ。前段が長すぎると思いつつ、はにかみながら話す彼女の姿から目が離せない。その姿は別れた恋人を彷彿とさせた。それと同時に悲しい記憶がよみがえりそうになっていて、それを理性で押しとどめ記憶の淵に押し込めようとする。 「女性が夢見る世界って言えばいいのかな。フラウに投稿されている作品を読んでいると、女って何歳になっても一筋に愛されたいんだなって感じますね。それと同時に男性向けの官能作品との温度差を感じちゃう。フラウに投稿されている作品の大半は、まず愛されていることが前提になっています。そして、その先の行為は、ほぼ一方的に快楽を与えられるケースが多いと思うの。男性を誘惑するとか積極的に行くケースって、最後の最後でないと出てこないような気がするんですよね。でも、男性向けはむしろそういった描写がドーンと最初に来ます。ジャンルで言えば誘惑ものっていうのがそれね」  田沢の話を聞いていると、男向けの官能作品と女性向けの官能作品の違いが分かる。どちらも両性の欲望をそのまま文字にしたから当たり前のことなのだが。こういう意見を耳にする度、思い知らされる。その二つの欲望が重なることなどありえないのだと。  だが、ただそうではないこともあるが、それを書いたらただの恋愛小説になってしまう可能性が高い。官能作品に求められているものとは異なるだろう。それを考えると、ついため息を漏らしそうになった。そのとき、急に田沢に尋ねられてしまう。 「そうですよね、先生」  何に対して同意を求められているのか分からず、曖昧に笑みで応えた。すると、質問を聞いていなかったのを見抜いたようで、田沢が不機嫌そうな顔をした。 「やだ、話聞いてます?」 「悪い。ちょっと考え事をしていた。それで何について同意を求められているのか教えてくれないか?」  こういうときは、素直に聞き返すに限る。田沢は呆れたような顔で、わざとらしくため息を吐いた。 「男と女がそれぞれセックスで望むものって決して重ならないような気がするんですがと申し上げたんです」 「それは必ずじゃないさ。例えば愛し合ってもいない二人ならば欲望をぶつけあっていると同じだ。欲望が満たされるだけで、何も重ならない。だが相手への愛情がある場合は欲望と気持ちは重なると思う。欲望のままに高め合って忘我の境地に達したあとそこに残っているのは、相手への愛情だと思うから」  過去の記憶をたぐり寄せながら答えると、田沢の表情が真面目なものに変わった。 「先生、たまにはまともなこと話すんですね。驚いた」 「田沢、いったい私をなんだと思ってるのか、いつかじっくり聞いてみたいところだ」  すると、急に彼女がぷっと吹き出した。 「あ、ごめんなさい。お二人のやり取りが面白くて、つい」 「いつもこんな調子なんですよ、この先生は。私が幾らまじめに話しても無駄なの」 「お前のまじめな話など、一度も聞いたことがないのだが。大体な、夜中にいきなり電話をかけてきたり、人が書いた作品をつまらんと言ったり。担当としてはいかがなものかと思うがな」 「あら、善は急げっていうでしょう? それに面白くもなんともない作品に、お世辞を言えるほど人間できていないんですもん。私」  いけしゃあしゃあと言い切る田沢に文句を言いたいところだが、心配そうな表情を浮かべている彼女の姿が目に入った。飛び出しそうになった言葉をぐっと飲みこみ、そのかわりとばかりに田沢をにらみ付ける。 「あ、あの……」  その声がした方へ目を向けると、彼女がはにかんだ笑みを浮かべて、遠慮がちに話し出した。 「お二人とも本当に仲がいいんですね」  控えめな笑みを浮かべている彼女。ここへ来たときは表情が硬かったけれど、いまでは柔らかなものになっていた。恐らく田沢との子供じみたやり取りのせいだろう。見せてはいけないものを見られてしまった情けなさを感じたが、同時にそれで彼女が打ち解けてくれているのなら悪くないと感じたものだった。  意見交換が終わり、それにほっとしたのか彼女は安堵したような顔で茶を飲んでいた。田沢はといえば、意見交換を終わらせた後、部屋の中を探索し始めたらしい。遮るものが何もなくなったはいいが、茶を飲んでいる彼女に話しかけるのも憚られた。盗み見るようにしていると、彼女が唇から白いティカップを離した。そのあと濡れた唇が目に留まり、そのとき急に体に異変を感じた。 (なぜ、いまなんだ?)  どくどくと脈打ちながら、血液がそこに急速に集まっていく。そしてみるみるうちに内側から膨らんでいった。根元が疼く。そして硬さを増すと同時に皮膚が張っていった。  あえてそこに意識を向けないようにしているのだが、男の本能は火が付いたら最後。幾ら四十を過ぎていてもなかなか鎮まることがない。  そもそもなぜ今、彼女に反応しているのか自分自身が分からなかった。焦れば焦るほど彼女を意識してしまう。そしてついには彼女の香りにさえ反応していた。  ソファに座っている間ならばジャケットでごまかすこともできよう。だがそれでごまかせても、立ち上がってしまえば隠しようがない。鎮まるまでこのまま座っていようと思っていると、茶を飲み終えたのか彼女がソファから立ち上がろうとした。 「花總さん」  そのとき思わず彼女の名を呼んだ。しかも無意識のうちに立ち上がりかけて。すると彼女がハッとした顔を向けてきた。 「なんでしょう、立花先生」  少し困ったような顔して彼女が問いかける。無意識に声をかけていたなどとてもじゃないが言えたものではない。なるべくゆっくりとジャケットの裾を押さえながら、もっともらしい誘い文句を口にした。 「もしよかったら食事でもどうかな。まだ夕食には早い時間だけど……」  声を潜めながらそう言うと、彼女は驚いた表情を浮かべていた。
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