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第3話

 クリスマスイブが間近に迫り、華やかなイルミネーションで飾られた街並みは、きらきらと輝いていた。それらを眺めながら歩道を歩いているうちに、自然と心が華やいでくる。だけど、心が躍っても冬の寒さは和らぐことはない。冷たく乾いた風のせいで、頬に突き刺すような痛みを感じ、思わずコートの襟を立てた。  約束の時間は十三時だ。念のためスマホに転送したメールを見てみるが、その時間で間違いない。待ち合わせ場所に指定されたホテルまで電車と地下鉄を乗り継げば約三十分。その時間を頭に入れてアパートを出たから、トラブルに巻き込まれなければ待ち合わせした時間より少し早いくらいに着くだろう。一歩一歩足その場所に近づくとともに、今まで経験したことがない緊張と興奮、そして不安が高まってくる。  私は自分以外の人間に、気持ちを伝えることが得意な方ではない。特に面と向かって相手に伝えることが大の苦手だ。仕事であれば割り切って面と向かって話せるけれど、それ以外では避けていた。だから初めて会う編集の方や作家さんを相手に、言いたいことをちゃんと話せるか自信が無い。だからいつものように、相手の話をただ聞くだけになりそうな気がした。そのようなことを考えているうちに、自分自身が滑稽なもののように見えてきた。ただ話を聞くだけのために、ワンピースとヒールを思い切って新調した自分が。  六十年代のハリウッド女優が着ていたようなツイードのワンピースと、同じモスグリーンのハイヒール。それだけじゃなく身に着けている深紅のランジェリーは、クリスマスシーズン限定のものだった。  それは、店の扉を開いてすぐの目立つ場所に飾られていた。スポットライトに照らされていて、ちりばめられたスワロフスキーがまばゆい光を放っていた。まるで美術品のように飾られたものを見つめているうちに、それが急に欲しくなり買い求めたのだった。  上下のセットだけで終わればよかったのに、つい勢いづいてガーターまで買いそろえたが、ガーター用のタイツを持っていないせいで、薄手のストッキングをはいている。そのせいで冷たい風に晒されてとても寒い。しかも履き慣れないヒールのせいで、つま先が痛かった。  お洒落とは我慢することだと言うけれど、寒い上に痛いのが重なると我慢も限界になってくる。たった一度しか会わない相手のために、どうして我慢をしなければならないのだとついに自問し始めた。  幾ら着飾ってみたところで、たかが知れている。幾ら男性向けの官能作品を書いている人とはいえ、出版業界という華やかな世界で生きる人間たちだ。私のような人間なんて。一度会ったくらいでは印象になど残らないだろう。それに今日の意見交換会だって、仕事の一環だろうから。だから何かを期待しちゃいけない。私は私が知りたいことを聞ければいいのだから。  つらつら考えながら歩いているうちに、待ち合わせ場所であるホテルのエントランスが見えてきた。入り口の周りにはもみの木とともに赤や青のライトが飾られていた。クリスマス用に飾られているのだろう。静かに点滅している光を見ているうちに、それまで卑屈になっていた気持ちが消えうせて、そのかわり何か予感めいたものを感じ始めた。  息を吐きだすと、白いもやがふわりと浮かんだ。空を見上げると鉛色した雪雲が天を覆い尽くしている。しばらくすると顔に冷たいものが触れた。雪だ。空からゆっくりと落ちてくる雪を眺めているうちに、浮き足立ちそうになっていた気持ちが落ち着いてきた。  ホテルのロビーに入ると、正面には大きなもみの木が飾られていた。金縁の赤いリボンを巻かれている木には、たくさんのオーナメントやライトが飾られている。その周りを子供たちが取り囲み、夢中になって見上げていた。静かにクリスマスソングが流れているなか。ロビーにいる人たちの幸せそうな姿を見ているだけで、こちらも幸せな気持ちになってくる。  もみの木の向こう側はラウンジになっているようだった。幾つかソファが置かれていて、そのひとつに座っているショートカットの女性の姿に目が留まった。  彼女は誰かを探しているのか、ちらちらと辺りを窺っていた。偶然見えた横顔は、目がくりんと大きく可愛らしい顔立ちだった。予感めいたものを感じながら近づいてみると、マニッシュな黒いスーツ姿に、目にも鮮やかな赤いヒールを履いている。するとこちらの視線に気付いたらしく、振り返った彼女と目が合った。彼女はすぐにその場から立ち上がり、控えめに頭を下げる。 「あの。もしかして……」 「田沢さん、ですか?」  彼女が恐る恐る声を掛けてきたのと、私が話しかけたタイミングが合ってしまう。彼女はすぐさま顔をほころばせ、うれしそうに頷いている。私より年上だと思われる女性の笑顔が、とても可愛らしく感じた。 「初めまして、花總(はなふさ)と申します」  本名かペンネームかどちらで名乗ろうか迷ったけれど、考えてみればペンネームでしかやり取りをしていない。だからペンネームである「花總るい」で通すことにした。すると田沢さんが名刺を差し出し、よく通る声で自己紹介し始めた。 「初めまして。エヴァの田沢と申します。よろしくね」  エヴァは、はやりのティーンズラブではなく、より濃厚な女性向けの官能作品を扱うレーベルだ。女性向けの官能作品というものがどこまで需要があるのか分からないけれど、近年そのようなものを取り扱うレーベルが増えている。実際私自身少女漫画のその先のようなティーンズラブよりも、歩みこそ遅いが互いの感情を重ねていくような官能作品が好きなこともあり、エヴァの作品は欠かさず買って読んでいた。  だから、そこから書籍化の打診が来たときは驚いたけれど、それよりも嬉しさの方が勝っていた。そのとき声をかけてくれたのが田沢さんで、挨拶を交わしたあとしばらく見つめあっていると、二人でほぼ同時にぷっと吹き出した。 「メールでは知り合いなんだけど、お会いするのは初めてだし緊張しちゃう」 「その節はせっかく頂戴したお話をこちらの都合でお断りしてしまって、すみません……」 「いーの、いーの。作家さんにもいろいろな事情があるのだし。私としては残念だけれど仕方がないことだから、気にしないでくださいね」  彼女の人懐こい笑顔は、心を和ませる力を持っているのかもしれない。持ち掛けられた話を断ってしまった罪悪感が、いつの間にか薄れていた。 「それで今日の意見交換なのですが、花總さんは立花先生のこと……」 「大変申し訳ないのですが、全く存じ上げません……」  今回の件があったから、先生の作品を一冊だけ読んでいた。しかし、それだけだ。全く知らない訳ではないけれど、かといって知っている訳ではない。少し胸が痛んだけれど、そう答えることにした。すると、気まずい空気が私達のあいだに流れ始めた。 「……ですよねえ」 「ごめんなさい……」 「いーの、いーの。女性が手にしづらいエロ小説だもん。私も仕事ではなければ読まないし」 「仕事、ですか?」  すると彼女は、苦笑いしながら小さく頷いた。 「私、元の担当なの。その先生の」 「えっ」 「だから安心して、変な方向へ行かないようにしますから」 「変な方向」という言葉が引っかかるけれど、それは俗にいう「下ネタ」と同じ意味だろう。多分。セックスのことについて話をすると、彼女が心配するような方向へ行ってしまうことが多い。場を取り仕切るであろう彼女の言葉を耳にして不安を抱いてしまい、それが表情に出てしまったようだった。田沢さんはすぐに話を切り替えて、対談相手である立花先生のことを紹介し始めたのだが、問題はその第一声だ。このとき、不安は頂点に達したと言っていい。 「立花先生は、ただのおっさんだと思っていいわよ」 「お、おっさん、ですか……」  すると、彼女はうんうんと勢いよく首を縦に振る。それにどう返したらいいか分からずにいると、彼女はにっこりとほほ笑んだ。 「ああ、でもね、脂ぎっているおっさんと一緒にしないであげてね。あと加齢臭もしないから!」 「は、はあ……」 「あとね、あとね。ああ、そうだ。女性の扱いは下手くそよ」  褒めているのか貶しているのかよく分からない。田沢さんの話を聞いていると、どんどん不安ばかりが募ってくる。 「一応イケメンだって本人は言っているけれど、ふざけるなっていう話よ。あ、でも見た目は確かに良いのよ。だけど、認めたら天狗になるから認めてあげないだけ」 「はあ……」  恐らく田沢さんは、立花先生を一生懸命フォローしているのだろう。それはしっかり伝わってくるのだが、彼女の言葉からは不安しか感じられなかった。だけど田沢さんは精一杯立花先生をフォローし続けている。 「とにかく。変な人ではないから安心して、ね」 「え、ええ……」  田沢さんが念押しするようにそう言うから、逆にどんな人なのか気になって仕方がない。どうか立花先生が変な人ではありませんようにと、心の中で願わずにはいられなかった。
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