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第十夜(4)

 御堂に全てを打ち明けると、彼は手で顔を覆い尽くした。恐らく自分の表情を見せたくなかったからだと思う。高見とのこと。不倫のことを話したせいで、心は確かに幾分軽くはなったけれど、その代わり御堂に何かを背負わせたような気にさせられた。  時間が経つにつれて重苦しい空気が漂いだした。話したことが話したことだけに、そうなるのは分かっていたけれど、実際は思った以上に深刻な空気になっていて、どんどん息苦しくなってくる。グラスに水を注ぎ入れ、それが溢れるかどうかのギリギリに達したときのような緊張感が心に広がり始めたとき、突然御堂が深いため息を吐き出した。 「そういうことだったのか。俺はまたてっきり……」  御堂からの告白をはね付けたことなのか、それとも高見とのことなのか。どちらのことについて漏らしたのかは分からない。彼の様子からはどちらについてなのか覗えないけれど、これだけははっきりと分かった。いずれのことにせよ、彼は全てを聞いて安堵したのだと。 「高見は、離婚したことを悔やんでいた。リンコとやり直したい気持ちがあるのに、どうしてお前と、その、関係を持ったのか理解できなかった。いや、お前とだけじゃなく、そのほかにも色々、な」  覆い隠した手で、両頬を押さえながら、御堂は苦笑した。その瞳は過去を振り返っているのか、どことも着かない場所を眺めている。 「そう、だったんですか」 「ああ。俺は単純な男なんでね、もしかして、ようやく吹っ切れたんじゃないかと思っていたが、違っていたんだな」  高見が恋愛感情を挟まない関係を求めたのは、ずっと思い続けてる相手()がいるからだ。望んだ家庭を持った男が、幾らすれ違いの末に離婚したとはいえ、独りの虚しさに耐えきれる訳がない。だからそれを埋めるように、高見は女を抱いていたのだ。  高見と初めて関係を持った夜、彼が何かを抱えていることにすぐに気がついた。私を見つめる目がさめていたから。その瞳に宿る冷たい光に、私は何かを期待したし、そしてそれは叶えられた。抱き合っている間そこに恋愛感情はない。お互い孤独と虚しさを埋めるように快楽をむさぼり合う、そして誰かの体温に触れて独りではないことを確かめたかった。  だが、そうしているうちに、二人とも感情が変化し始めた。こんなことをしていても、ますます虚しさは募るだけだと。そして本当に欲しい物へ対する希求の念もまた募っていった。  しかし、別れた妻から再婚の話を切り出されたことで、高見は前に進まざるを得なくなった。彼女と、もう二度とやり直すことができないと分かったからだ。そして私自身も、御堂に対する思いから、もう目をそらせなくなっていたし、高見の痛々しい姿を見ていられず、この関係を終わらせようとした。  御堂の言動から推し量るに、彼は高見のことをずっと案じていたのだろう。だが、彼が抱えていた孤独と虚しさは、御堂が思っていた以上に深かった。そして、できることなら見知った人間に見せたくなかっただろうし、気づかれないように独りでどうにかしようとした結果、本当に愛する女性以外の人間を抱くことで折り合いをつけていたのだ。そんな彼を誰が責められるだろう。だが、御堂は安堵しながらも自分を責めているように見えた。 「高見さんは、自分の弱い部分を他人に見せない人間だと、御堂さんなら分かっていると思います。だから、自分を責めないでください。ただ隠し方が上手だっただけなんだから」  慰めにもならない言葉を掛けている自覚はあったけれど、それでも何もしないよりかはいい。すると向かいに座っている御堂が、自嘲しているかのような笑みを私に向けた。 「気を遣わせてしまったな。俺よりもお前の方が、今参ってるはずなのに」 「え?」 「不倫していたことを俺に話すのは、きつかっただろ?」  そう言いながら御堂は私の隣に腰を下ろし、抱きしめた。たくましい腕が、望んだ腕が私を抱きしめる。それが御堂が出した答えだと分かったとき、ずっと心の奥に残ったままだった古傷が、熱を帯びながら薄れていった。 「御堂さんから昨日言われた言葉が嬉しいはずなのに、それを心から嬉しいと思えないばかりか、怖くなったんです」  私の体を抱く手の力が強くなり、自然と彼のたくましい胸に顔を埋めていた。体温を感じたとき、体の深いところから、ずっと抑え込んでいた感情が、泉に水が湧くように滾々とあふれ出してくる。 「でも、高見さんが背中を押してくれた。だから全てを打ち明けようと思ったんです」 「そうか。なら高見に感謝しないとな。あいつも今はきついはずなのに、自分のことより水琴の背中を押してくれたんだから。もしもそれがなかったら、俺も水琴も、多分高見もずっと前に進めないままだっただろうな」  ずっと別れた妻とやり直したいと思い続けていた高見。  ずっと不倫していた過去に縛られていた私。  そして過去の恋愛で負った傷を抱えたままだった御堂。  みんな過去に縛られて、このままじゃないけないと分かってはいるのに、前に進めなかった三人だ。その三人が出会い、前を向いて歩き始めた。この出会いがなかったら、私も彼らもただ流されるように生きたと思う。それを考えると、この出会いは偶然ではなく必然のように感じられた。 「俺は両親の離婚を目の当たりにして、幾ら愛し合っている夫婦であっても、いつか壊れるものだと思わされた。でも、誰かを好きになるのは本能だ。抗えない。そして付き合った女性がいたが、傷つき合って別れてしまった。それからだな、誰かを好きになるのが怖くなった」 「誰かを好きになるのが怖いと思ったのは、私もです。自分に対して掛けられる好意的な言葉が怖くなった。その裏に何か隠れているんじゃないかと」 「水琴の場合は相手が悪かっただけだ。男全員そういうのばかりじゃない。と言っても、散々遊んできた俺が言えたことではないが、こんな俺でも簡単につかって良い言葉じゃないことくらい分かってたぞ?」  少しおどけた風に言ったあと、御堂は私の背中を優しく撫でた。 「だから、水琴がその言葉をまだ信じられないというなら、俺は誓う。水琴がその言葉を信じてくれるようになるまで、一切触れない」  思いがけない方向に話がいってしまい、驚いて顔を上げると、御堂が何かに気づいたようで、はっとした顔をした。 「でも、キスだけは許してくれ」  勢いよく向けられた顔は、笑ってしまいたくなるほど必死なものだった。思わず噴き出しそうになったけれど、それをぐっと押し込んで、私は御堂にくちづける。唇同士を重ねるだけのキスをしたあと、彼を見つめながら告げた。 「いいわよ。キス好きだから」  にっこりとほほ笑んでみせると、御堂は嬉しそうな顔をして、そして私を更に強い力で抱きしめたのだった。
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