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第70話

「さぁ、姫。これに乗り、我が屋敷へ参りましょう。月の宮殿を、貴女の為にご用意いたしました」  断られることなんて、みじんも考えていない態度。右大臣家の長男で、家柄も財力も素晴らしく歌の才もある百戦錬磨の恋の達人。現代の光の君だなんて言われている人だけれど 「姫様は、月の宮殿では無く、月のかけらを望んでおります」  きっぱりと萩が告げて、引き込まれる力が大きかった分、引き返すものは強くなる。どっと笑いが沸き起こり、顔を真っ赤にして周囲を見回す和正様と、腰を担ぐ美男たちが笑いの渦に取り囲まれて、なんだかちょっと気の毒に思えるのだけれど、今まで泣かされた姫のことを思えば、当然の報いなんじゃないかしら。 「次の方が参れませぬので、場をお空けくださいませ」  萩が眉一つ動かさずに、追い打ちをかける。やり場のない羞恥と怒りを抱えたまま去った和正様の背中に、心の中で舌を出した。  その次に現れたのは、見たことも無い公達で 「お初に御目にかかります。武藤家の嫡男で検非違使別当を務めております、近盛と申します」  恭しく名乗られ、息をのんだ。  この方が、近貞の兄君。  まじまじと眺め、近貞と似通ったところを探す。きりりとした眉は同じだけれど、近盛の目は鋭利な刃物のように切れ長で、鋭い。輪郭も、ふっくらと丸みを帯びた少年のような近貞と違い、すらりと細い顎をしている。なよなよとした美男ではなく、男らしい美男とでも言えばいいのかしら。薄い唇にほんのりと乗せた笑みが、いかにも上品で先ほどの和正様と比べても遜色がないどころか、獣のような鋭さと危うさを包んで凄味のある分、美しさが際立っている。  近貞がウサギだとしたら、この方はキツネだわ。  気を引き締めて、どのような品を下さるのかと背筋を伸ばす。 「こちらへ」  近盛様が手を伸ばし、庭先に降りるように私を促した。彼の周囲に品を持つ従者らしき姿は見当たらない。どうしていいのかわからずにいる萩に、大丈夫よと目配せをして立ち上がり、庭に降りた。伸ばされた手の傍へ寄ると、その指先は舞うように庭の東屋へ向けられる。 「あの池に映る月を、取ることはできませんが」  音も無く池の傍に寄った近盛様は、水面に映る月を叩いて、しぶきを上げた。 「こうして、月のしずくを含んだものを舞わせましょう。――朔姫。これから幾夜もの月のしずくを、貴女の為に舞わせ続けます」
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