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第54話

 でも、武藤家のものたちばかりの屋敷では、近貞の兄君が私を求めて忍んでこようとすれば、きっと何の抵抗も出来ぬまま、簡単に部屋に上がられてしまう。阻止してくれそうな人をと考えて久嗣の顔が浮かんだけれど、彼も武藤家の者なのだから兄君が私を求めているのなら、押しとどめることは出来ないはず。だったら、屋敷に戻ったほうがいいんじゃないかしら。  ううん。  もし私が屋敷に戻ったとしても、久嗣が兄君の手引きをしてしまえば簡単に忍んでこられると考えると、戻ったとしても同じ事よね。だとすれば近貞と会えるここに、少しでも長く逗留しているほうが良いはず。  けれど、とさらに考える。  そうしたら、近貞はこちらに留め置かれたままで、身を立てる機会を逸することになるんじゃないかしら。息子がそのようになることを、武藤家の頭領様が許すはずは無いわよね。  とすれば、いつか近貞は戻されて、違う誰かが来るということに。  ぐるぐると、いろんなことが頭を巡る。朝餉の味もわからないくらいに考え続けているのに、妙案なんて何も浮かばない。だって、武藤家の頭領様はお顔を拝見したことはあるけれど、どんな方かわからないし、兄君にいたっては名前も人柄も知らないのだから。  もう少し、姫君たちの集まりにこまめに顔を出して、うわさ話に参加をしておけばよかったなんて、いまさら思っても仕方が無いとわかっていても、思ってしまう。  朝餉を終えて、ぐるぐると結論の出ない思考を続けたまま、萩に動きやすい姿に整えられ手を引かれ、廊下を歩いて進んだ先で、立派な馬と手綱を握る近貞の姿を目にして、思考が止まった。手を差し伸べられ、萩を見ればにっこりとされて、いってらっしゃいませと背中を押される。近貞へ手を伸ばし、指先が触れた瞬間に 「きゃ」  手を強く引かれて倒れ込みそうになるのを抱き止められ、抱き上げられる。そのまま馬に乗せられて、近貞も馬に上った。 「では、参りましょうか」  さわやかに手綱を握った近貞が、馬を進める。いってらっしゃいませと告げてくる武家の者たちに、いちいち声をかけて門を出た近貞は、とても楽しげに木々に目を向けている。 「馬は、初めてか?」 「――え、ああ……はい」  移動は徒歩か牛車、駕篭または輿のみで、馬に揺られる事など初めてだけれど、近貞のぬくもりが傍にあるからか、不安はかけらも感じなかった。上下しながら進む馬の背に揺られて、しっかりと腰を近貞に抱きしめられて、見たことの無い高さからの木々を眺める。
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