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鳥は少しずつ巣をつくる

 彼の部屋へ行かなくなって二日目のこと。ようやく全ての準備が終わったので、仕事帰りに向かうと、何事も無かったかのように、彼は荷造りを始めていた。その姿を見て思った。別に私がいてもいなくても、この人にはなんの影響もないのだろうと。それと同時に開き直った。ならば、なんのためらいもなく計画を実行できると。  いくら女が強くなったとはいえ、積極的にセックスに誘うことは勇気がいるし躊躇われる。それは相手に誤解されてしまいかねないからだ。  ただ好きな人といちゃいちゃしたいから頑張ってるだけなのに、そんな行動を起こしたならばいとも簡単にビッチ認定だなんておかしいじゃない。  鳥は少しずつ巣をつくる。たとえ細い枝であっても、毎日毎日せっせと運べば、いずれは必ず巣ができあがる。亡くなった母は、そう教えてくれた。努力は決して裏切らないのだと。  ランジェリーショップで見かけた雑誌には、こんな記事があった。『どうしようもなくリビドーが溢れるとき』つまり男性が性的衝動を感じるときのシチュエーションを知るには、まず官能小説を読めと書かれていた。特にいわゆる「誘惑もの」というジャンルを読めば、男がどんなファンタジーを描いているか、それと興奮するか分かるからと。だから私が最初にしたことは、雑誌で紹介された人気官能作家・立花康生と、彼のパートナーである女性が書いた本を買うことだった。  男と女は、互いに幻想を抱いている。だが現実でそれを叶えられないから、官能小説や性愛小説は決してなくならない。ならば彼が抱いているかもしれないファンタジーの種を刺激すれば、その気になってくれるかもしれない。そう、あくまでも「かもしれない」というのが辛いところだけど。  これで駄目なら、そのときは彼に別れを告げよう。だが、その前にやるだけやろうと。荷造りを終えた彼が、メガネをかけてパソコンで書類を作っている姿を眺めながら、私は買い求めた本に書いてあったシチュエーションを思い出し、これからやるべきことを頭の中で確かめた。  彼が仕事をしている間夕食を作る。それができあがった頃合いを待って、彼が仕事を終えて、キッチンにやって来た。 「おいしそうな匂いだな。何作ってるんだ?」  サラダをガラスのボウルに盛り付けていると、彼が隣にやってきた。 「今日は野菜カレーだよ。夏野菜をいっぱいいれてあるから、とってもヘルシー。あと鶏のささみも入れてる」  すると、くつくつと音をたてながら煮立つ鍋の中を彼が覗き込む。そして嬉しそうな顔をした。 「鶏肉をミンチにしたり、野菜をみじん切りにすれば、キーマカレー風にもできるな」 「そっちも考えたんだけどね。フードカッター、持ってくれば良かったな」 「来月帰国したとき、一緒に買いに行こうか。みずきの料理はうまいから、そっちも食べたい」  端から見れば恋人や夫婦のような会話だけれど、数時間後にはどうなっているか分からない。嬉しい言葉を聞かされているのに、なんだかとても切ない気持ちになった。 「お皿、出してくれる?」 「ついでにメシもよそっとく」 「ありがと、うれしい」 「どういたしまして」  軽く頭を下げたあと、彼は一緒に買った食器棚から食器を取り出そうと背を向けた。  彼は食事の後必ず食器を洗ってくれる。それが終わるとお風呂の準備もしてくれる。浴室から彼がリビングへやって来て、ソファに座る私の隣に腰かけたとき、最初の行動を起こした。ソファの座面が沈み込んだタイミングに合わせて、体をもたれかける。短パンから覗くたくましい太ももに手を添えようとしたが、大きな手でしっかりと抱き留められてしまう。 「悪い。揺らしてしまって」 「ううん、大丈夫」  腕で胸を押しつぶし、胸の谷間が見えるようにした。だが彼の目線は下がらない。 「みずきは背が低いし、体も小さいからなあ……」 「あなたが大きすぎるから、そう見えてるだけだってば。身長だって160あるし、がっしり体型のあなたから見れば、だれだって小さく見えるわよ」  体を起こしながらそう言うと、彼は背もたれに体を預けたあと、不満げな顔をした。 「そうかなあ……」 「そうよ。きっと気のせい」  彼が私に触れようとしないのを、気のせいだと思っていたこともあった。だけど付き合って三か月が経った頃、彼が帰国している間一緒に過ごすようになって、気のせいでは無いことに気がついた。同じベッドで寝るようになっても、彼は私に触れようともしない。そればかりか、微妙な距離を取って寝てしまう。それが気になるようになってから、二人の間の空間に見えない壁があるような気がした。そしてそれからというもの、側にいることが辛くなってきて、でも側にいることをやめられなくて、今に至っている。座り直しながらそう言うと、彼は何事もなかったかのようにテレビを見始めた。  彼がロンドンへ行ってしまう前に、はっきりさせよう。そしてやるだけやって別れることになっても、後悔はしない。もしかしたらこんな時間を過ごすのも、これが最後になるかもしれない。そう思うと、なんてことない今の状況が、たまらなく愛おしく感じたものだった。
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