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行けるところまで行き、死ぬべきところで死ね

 嬉しい報告を受けたのは、友人の背中を力一杯押した翌日だった。 「連休にロンドンに行くの。子猫たちは龍之介さんのお母様が預かってくれるって」  そう言って、彼女はテーブルの向こうでにっこりほほ笑んだ。まぶしいほどの笑顔を向けられ、嫌な気分になんかなるわけない。しかし自分の悩みが暗礁に乗り上げているから、心からの笑顔を作れなかった。すると案の定不安げなまなざしを向けられる。 「ねえ、みずき。昨日から感じていたけど、何かあったの?」 「う、ううん。何もないわよ。それより、良かったじゃない。新婚旅行に行けるんだし」  どうにか無理して作った笑顔で応えるが、彼女は不安げな表情で私をじっと見つめている。彼女は自分自身のことには鈍感だけど、他人のことには敏感だ。胸の裡に隠した不安を見透かされないためにも、どうにか話題を変えようとした。 「そ、そうだ、今日仕事が終わったら買い物行こうよ!」 「えっ?」 「ハネムーン用に、ちょっぴりセクシーなナイトドレス、用意したら?」  とっさに言った割には、我ながらいいアイデアだ。周囲に聞こえないように声を潜めてそう言うと、彼女の顔がみるみるうちに赤くなっていく。うん、本当に分かりやすい。優しすぎて忙しい二人に、新婚旅行のときくらい思い切り甘い時間を過ごしてほしかった。 「きっと喜ぶんじゃないかなあ。いつもと違った麻音子の姿を見れて」 「えっ!?」 「いつも忙しい先生への御褒美にいかがですか? 麻音子さん」  おどけてそう言うと、彼女は恥ずかしそうに顔を赤くさせたまま、もごもごとつぶやいた。 「そ、そうね。たまには、いいわよ、ね」 「そうよ。こういうときくらい、いいわよ。なんたって新婚旅行だもの」  こうやって、無事に話題をそらせただけでなく、仕事帰りのショッピングが決まったのだった。  フランス生まれの母親は、ランジェリーにはうるさい人だった。母のチェストには、繊細なレースがあしらわれた色とりどりのランジェリーが仕舞われていて、その美しさに目を奪われたものだった。そして胸が膨らみ始めたとき、かわいいピンクのブラとショーツを贈られてからというもの、母に劣らぬほど、ランジェリーにこだわりはじめた。  麻音子の為に選んだのは、薄いシフォンがあしらわれた白いランジェリーだった。ブラのカップとショーツのバックに柔らかいシフォンが重なって、セクシーでありながらもかわいらしいデザインになっている。行きつけのランジェリーショップのスタッフたちも、これならハネムーナーにぴったりだと褒めていた。  それと同じデザインのナイトドレスは、胸元のリボンを解くと、はらりと開くデザインになっている。それを見せたとき、麻音子は顔を真っ赤にしていたが、スタッフたちや私が背中を押したから、それも一緒に買い求めていた。  麻音子が会計をしているあいだ、陳列されているランジェリーを眺めていると、急に苦い記憶が突然蘇ってきた。彼はラベンダーやミントといった寒色系の淡い色を好んでいる。それを知っているから、淡い期待を抱きつつ、彼の部屋に泊まる準備をするのだが、それらは日の目を見ることなく、再びチェストに仕舞われることになる。  やるせない思いを抱きつつ店内を歩いていると、あるものが目にとまった。ランジェリーが並べられているガラスケースの上に置かれていた雑誌には、たった一言だけ書かれている。 『二人を繋ぐセックス』  真っ白い表紙にある赤い文字を見たとき思った。セックスが二人を繋ぐって、どんな意味だろうと。  そして母から聞かされた言葉が急に蘇ってきた。 『セックスはね、言葉にできないものを伝え合う行為であり、愛する喜びと愛される喜びを得られるものなの。だからね――』  その先に続く言葉を思い出そうとしたけれど、いくら考えても思い出せなかった。もしも母親に聞くことができたなら、今すぐにでも電話をかけてでも聞いていたと思う。しかし母親は、もういない。私が成人した直後天に召され、今となってはそのあとに続く言葉を確かめるすべがない。  しかし、その言葉のヒントになりそうなものが、その雑誌の中にあるような気がした。そのあとは必死だった。お店のスタッフに頼み込み、その雑誌をもらってきて、隅から隅まで読みあさった。だけど結局母親が教えてくれた言葉の続きは思い出せなかった。しかしその代わり、私はあるものを見つけた。そしてそれをやってみたいと思った。  もしもそれが失敗したなら、そのときはいつまで経っても進展しない二人の関係を終わらせることができる。どうせ無駄なあがきにしかならないだろうけど、やらずに辛い思いをし続けるより、うんといい。そしてこの日から彼の部屋にも行かず、私は一世一代の勝負をするための準備をしていたのだった。
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