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第32話
静かな潮騒のような、穏やかだけれど確かにそこに存在するものが、不快なものであるとの認識はある。けれどどうして、自分がそう感じているのか、八重子はわからなかった。
義英はとても親切に、自分を気遣ってくれている。この店に連れてきてくれたのも、突然泣き出した八重子のためを思ってのことだろう。
それなのに、とても居心地が悪い。
そっと吐き出した八重子の息が、カップの中身を揺らした。するとそのタイミングを待っていたかのように、義英がカップを包む八重子の両手を左右から挟みこむ。
ビクリと八重子が固まると、義英は人なつこい笑みを浮かべて口を開いた。
「この爪は、あれ? 戸辺さんに言われて、付き合ったの」
八重子は首を振りながら、義英が美優を苗字で呼んだことが気になった。自分の事は「八重ちゃん」と親しげに呼ぶのに、どうして美優は「戸辺さん」なんだろう。
「私が、してみたいって言ったら、美優ちゃんが連れていってくれたんです」
「ふうん。なんで」
「え」
「なんで、してみたくなったの」
「それは……」
八重子は体を縮めるように、腰を丸めて肩をすくめた。その動きと共に腕を引くのに、義英の手から抜け出せない。義英は親切にしてくれているんだからと思うと、強引に手を抜くのがためらわれた。
義英は八重子の返事を、興味深そうに唇をゆがめて待っている。何か言わなければ、抜けだせそうに無い。
どうして私は、こんなに必死に抜け出そうとしているんだろう。
八重子は、ちょっとした恐怖を感じている自分に疑念を浮かべた。
「先輩が、努力してる子はかわいいって、言ってたから」
ぽつりと八重子が答えると、義英の指に力が加わった。より抜け出しにくくなって、八重子の心臓が不穏にざわめく。
「その努力を見てもらいたい相手は、礼司?」
義英が前にのめる。逃れるように八重子は身を引き、背もたれにべったりと背中をつけた。
「俺にしときなよ」
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