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第5話

「あ、いいえ」  我に返った八重子は、慌てて首を振った。まさか、見惚れていましたとは言えない。 「そっか。――で」 「え」 「迷子なのかな」  にっこりと言われ、八重子の頬は熱くなった。 「いいえ。その、全然……迷子とかじゃ、ないです」  顔の前で大きく手を振り否定してから、あわてた自分が情けなくなり、八重子の声は尻すぼみになった。ふうんと首を傾げた彼に見つめられ、八重子は逃げ出したくなる。けれど足は、地面に根を張ってしまったかのように動かない。 「じゃあ、新入生?」  こくりと頷けば「はいこれ」とビラを差し出された。おそるおそる受け取れば、美術サークルと書かれている。 「美術……サークル」 「そう、美術サークル。絵は好き?」  好きか嫌いかと言われれば、好きなほうだ。だがそれは、嫌いではないから、という理由でしかない。はっきりと胸を張っての「好き」ではない事に、八重子は返答を詰まらせた。 「嫌い?」  首を振れば、そっかと彼がやわらかな息を吐く。 「別に、高尚な美術論議をするとか、そういうんじゃないから。水彩でも油絵でも、クレヨンでも色鉛筆でもいいんだ。上手とか下手とかじゃなくて、描きたいものを描くっていうのが信念の……まあ、なんていうか、おままごとみたいなサークルだから、気負わずに来てくれるとうれしいな。絵じゃ無くて、写真とかでも平気だし」  返事が出来ないでいる八重子に、彼はビラを指差した。 「歓迎コンパの日付と場所は、ここね。来たら絶対に入らなくちゃいけない、なんて事はないから、気軽に顔を出して。どんな雰囲気かだけでも、味わってもらえるとうれしいな」  それじゃあと軽く手を振り、彼は八重子の前から去ってしまった。別の生徒に声をかけ、ビラを渡している。
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