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第9話

 妖精の国から真彩の荷物を取り戻す算段をつけていたグラペウスの耳に、真彩の歌声がそっと触れる。空を見上げたグラペウスは、目を閉じてかすかな歌を味わった。 (心に灯がともったようだ)  しみじみと味わうグラペウスの周囲には、いくつかの影がうずくまっていた。彼等に命じて、荷物を取り戻すつもりでいるグラペウスの心は、歌声に惹かれて揺れた。 (このまま、荷物を取り戻せなくとも、この国から出なければ真彩は安全だ)  自分が守ってさえいれば、真彩に危険は及ばない。あの妖精のオモチャにされることなく、過ごしていられる。  首を振って、グラペウスは己の奥に潜む誘惑を否定した。 (真彩は人間だ。魔物の世界に閉じ込めていいはずがない)  それでは真彩を連れ去った妖精とおなじだと、グラペウスは気持ちを奮い立たせて影に命じた。妖精と魔物の国は、夕日の境界で区切られている。魔王であるグラペウスが侵入すれば、秩序が乱れる。向こうに行けるのは、魔物のなかでも力の弱いものか、妖精に近い資質を有しているもののみだ。  グラペウスの足元にうずくまっているのは、そういう魔物たちだった。命じられた魔物たちが夕日の下に入る。それらはウサギや犬、ネコなどの動物の姿に似ていた。違っているのは、それらが夕日を抜けて妖精の国に入ると、二足歩行をはじめたことだ。  彼等はまっすぐに妖精の国の奥へと進んでいく。それぞれの特技を生かして、うまく荷物を見つけてくれと、グラペウスは心中で告げて背を向けた。  真彩の歌はまだ続いている。  真彩のいる城は、この国の深層にある。いくら高い場所で歌っているとはいえ、国の端にまで歌が届くとは。 (真彩)  妖精の歌は想いの強さが反映される。それほどに想ってくれているのかと、グラペウスの心は震えた。 「俺は」  つぶやいて城の方角に手を伸ばし、指を握る。彼女の歌はグラペウスの魂を揺さぶる。はじめて聞いたときから、グラペウスは彼女の歌に――心に惹かれていた。  魔物の国と妖精の国の先に、天界と呼ばれる領域がある。魔物の国が夜、妖精の国が昼だとすれば、朝の国といったところか。いつでもまばゆい光が満ちて、色とりどりの花が咲き、水晶でできた神殿や、翡翠の屋敷、瑠璃の家などが並んでいた。  うつくしいが、どこか冷たい印象のある自国が、グラペウスはあまり好きではなかった。それよりも、さまざまなものが生き生きと混在している地上――人の世界のほうが興味深く、うつくしいと感じていた。  それぞれの国は近くて遠い。隣にあるのに、あまり干渉をしない位置を保っている。いや……人間の世界に科学というものが生まれて、発展していくごとに遠ざかっていった。  それでも人の世界に遊びにいくものはいた。グラペウスもそのうちのひとりだった。  人に姿を見られないよう気をつけながら、空の高い位置を飛んでいると歌が聞こえた。  妖精の歌だが、なにかが違う。気になったグラペウスは地上に降りて、妖精に連れさらわれそうになっている人の子どもを見つけた。  妖精が気に入ったものを、自分の国に連れていくことは、グラペウスにとっては珍しくもないことだった。はるか昔から、妖精は気まぐれに気に入ったものを自国に連れていく。妖精だけでなく、魔物もおなじことをした。  放っておけばいいものに、グラペウスは手を出した。天界の人間が人に干渉するなど、めったとない。  もう歌うなと人間の子どもに言いながら、グラペウスは彼女の歌声を惜しがった。彼女はグラペウスがいれば、歌ってもいいかと問うた。グラペウスはつい、かまわないと答えてしまった。 (あれが、間違いのもとだった)  グラペウスは真彩のもとに通い、彼女の歌を味わった。彼女の歌は心地よく、グラペウスの心をなぐさめてくれた。天界のものたちの、超然とした態度になじめなかったグラペウスにとって、人の心の揺らぎは居心地のいいものだった。  天界の同族よりも、妖精や魔物、人間の在り方のほうが「存在している」感覚を味わえると思っていた。  そんなグラペウスを、同族たちは異端視していた。魔物の国を統べるものが命を終えようとするころ、グラペウスは後任に選ばれた。天界のものが魔物の王になることは、秩序を保つために有用な方法だった。  魔物たちを嫌悪しているものが行くよりはいいと、グラペウスは了承した。心残りは、真彩のことだった。魔物の王位を継げば、真彩に会いにこられなくなる。 (だが、大人になれば人は俺たちを信じなくなる)  まれに信じ続けているものもいるが、大半はいるはずがないと思う。真彩もきっとそうなるはずと、グラペウスは彼女と別れることに決めた。  そんなとき、真彩はグラペウスのいない場所で妖精の歌を口ずさんだ。真彩に歌を教えた妖精が、真彩に手を伸ばす気配を察知したグラペウスは、もう二度と彼女が歌わないように、妖精の影に引きずられないように、自分に関する記憶を封印した。 (それで終わるはずだった)  魔王としてなじんだころに、グラペウスはふと真彩を思い出してしまった。彼女はどうしているだろうと気になって、水鏡に彼女の姿を映してしまった。妖精の歌を歌える真彩が、こちらの気配に親しむ体質であるとわかっていたのに。 (真彩は、夢を渡って俺に会いに来た)  夢のなかであればと、グラペウスは彼女の訪問を受け入れた。久しぶりに聞く彼女の歌は、たまらなくうつくしかった。夢の彼女は背中まで髪を伸ばし、グラペウスと結婚をすると言った約束を覚えていた。  うれしかった。  真彩の魂は、グラペウスの心に熱く切なく沁み込んだ。とりこになったグラペウスは、あと一回、もう一度……と、夢を渡って真彩と会い続けた。記憶の封印がゆるんでいくと、わかっていたのに。 (俺のせいで、真彩を危険にさらしてしまった)  妖精のオモチャになる寸前で、彼女を取り戻せてよかったと、あらためて胸をなでおろす。完全に契約を終えてしまえば、いくらグラペウスでも手出しはできなくなる。あとは、荷物を取り戻し、次はきっちりと記憶を封印して、人の世界に戻せばいい。 (歌わなければ、妖精は真彩を見つけられない)  そして真彩は人間として、人間らしい人生を送る。二度と、グラペウスのことなど思い出さずに。  ズキリと心が痛んで、グラペウスは胸に手を当てた。真彩の笑顔が息づいている心は、いままで以上に冷たく凍えることだろう。 (だが、それでいい)  魔王にふさわしい魂の在り方だと、グラペウスは口の端を片方だけ持ち上げた。紫の瞳に悲哀が揺れる。 (愛してはいけない)  愛しているはずがない。彼女はただの人間で、魔王にふさわしい相手ではない。  力が衰え、この国を治めることができなくなるまで、あの城のあの部屋でひとり過ごすと決めたはずだと、グラペウスは先王から王座を引き継ぎ、羽を漆黒に染めた日を思い出した。 (真彩には、平穏な日々を過ごせる人間の男こそが、ふさわしい)  漆黒の羽を広げたグラペウスは、それでも恋しさに震える胸を抱えて、真彩の歌声に向かって飛んだ。  * * *  クッションにもたれかかって、ベッドに座るグラペウスの膝の上で、真彩は歌を紡いでいた。グラペウスといれば、いくらでも旋律が湧き上がってくる。彼に対する思いは、滾々と泉のごとく湧いて枯れることがない。  余韻を残して旋律を止めた真彩は、想いを乗せた唇でグラペウスの頬を撫でた。そのままキスをして、紫の瞳に笑いかける。 「ねえ、グラペウス。私、散歩がしたい」 「散歩?」 「だめ?」  小首をかしげた真彩は、グラペウスがうなずくはずはないと思っていた。だから、身を起こした彼の言葉に目をまるくした。 「わかった。行こう」 「え」 「どうした」 「ううん……ええと、なにか準備は必要?」 「いや。そのままでいい」  ベッドから下りたグラペウスに手を差し伸べられて、手を握った真彩は抱き上げられた。 「ただし、すこし空を飛ぶだけだ。地上は、危ない」 「魔物の国だから?」 「そうだ」 「グラペウスも、魔物なの?」 「俺は、この国の王だ」 「つまり、魔王様ってこと」 「そうだ」 「それじゃあ、大丈夫なんじゃないの?」 「なぜだ」 「魔王と一緒にいるんだから、襲われたりしないでしょう。私、歩いてみたい。上からの景色は、バルコニーからずっと見ていたから」  ねだる目をすると、グラペウスは渋い顔になった。 「もっと、ここのことが知りたいの」 「人間がうろついていい場所じゃない」 「だから、あなたと一緒にいるなら、ここから出られなくなるって言ったの?」 「そんなことを、言ったか?」 「言ったわ。夢のなかで、そんな会話をしたはずよ。私がグラペウスとずっと一緒にいたいって言ったら、ここに閉じ込めることになるって」  あっと思い出して、真彩はグラペウスの腕を強く引いた。 「そうよ! 夢のなかで、グラペウスは私に名前を教えてくれたわ。私を閉じ込めていいかどうか、迷っているって言ってくれた!! それって、私と結婚をするつもりがあるってことよね」 「いや、それは」 「夢のなかの話だからって、ごまかすつもり?」  逸れた視線を追いかけて、胸をそらす。 「あれは、夢を渡って会っていたんでしょう? つまり、ちゃんと会って話をしたってことよね。夢として忘れるはずだからって、本心を言ってくれていたんじゃないの? ねえ、そうよね」  言いながら、真彩はムクムクと勇気を湧かせた。夢のなかで終わらせるつもりだったからこそ、あのときの会話はすべてグラペウスの素直な気持ちだったはず。 (グラペウスは、私といたいと思ってくれているんだわ) 「私、あなたの国が知りたい。あなたと結婚したら、私は王妃様になるのよね。王妃様だなんて、なんだかロマンチックだわ。だって、普通に暮らしていたら、なれるわけがないものだもの」  ニコニコとグラペウスに腕を絡めてしなだれかかり、心を浮き立たせた。彼に想われているという根拠を見つけて、自信をつける。 「真彩、俺は」 「私、ちゃんと覚えているのよ」  グッと喉を詰まらせたグラペウスに、真彩は心中でペロリと舌を出した。 (ほんとうは、うろ覚えだけど……でも、グラペウスはきちんと覚えているみたいね)  あやふやな記憶でも、ウソは言っていないのだから問題ない。片思いではないのだからと、強引に迫ることにした。 「いいでしょう? グラペウス」 「だが……やはり、危険だ。魔物を甘く見るな」 「それじゃあ、ポチに包まれていけばいい?」 「ポチ?」  グラペウスが怪訝な顔をする。真彩は「ポチ」と声をかけた。スライムがベッドの下から現れて、真彩が手のひらを出して「お手」と言うと、伸びあがってお手をした。 「契約をしたのか」 「契約? 名前をつけただけよ。なんて呼べばいいのかわからなかったから」  ねぇ、とポチに声をかけると、ポチはブルブルと震えた。よろこんでいるのだと、真彩にはわかった。表情のないブニブニとしたゼリー状の生き物だが、感情豊かだ。よしよしと撫でた真彩は振り返った。 「妖精の国からここまで、ポチに包まれて来たでしょう? 危なくなったら、ポチに包んでもらって、この部屋まで運んでもらえばいいわ。それとも、用心のためにポチに乗っていったほうがいい? ポチがいても危険だなんて、言わないわよね」  断定的に言葉を閉めた真彩は、グラペウスの苦笑に許可を感じた。 「わかっ……」 「ありがとう!」  グラペウスの言葉が終わる前に礼を言って、グイグイと扉に彼を引っ張った。彼の過ごしている世界をはやく見たい。もっともっとグラペウスのことを知りたい。 「真彩」  抱き上げられた真彩は、「やはりダメだ」と言われるのではと不安になった。 「この部屋は高い。下までは飛んで降りよう」 「え」 「ポチ、おまえも来い」  呼ばれたポチが、ポインと弾んで真彩の腹に乗った。バルコニーに出たグラペウスの背中に漆黒の羽が生える。艶やかな羽は夜空によく映える。 「しっかり掴まっていろ」  グラペウスの首に腕をまわした真彩は、彼が生み出す風に歓声を上げた。  * * *  藍色にかがやく湖のほとりで、真彩はグラペウスの指に指を絡めて妖精の歌を歌っていた。湖面には星々の明かりが映っている。空が地上に降りたみたいで、たのしくなってしまったのだ。  湧き上がる感情を抑えきれずに、それを彼と共有したくて、真彩は歌った。静かな森に真彩の歌声が広がる。グラペウスの視線は真彩の横顔に注がれ、ポチは真彩の足元で旋律にあわせて揺れていた。  歌いながら、真彩はいくつかの気配が集まってくるのを感じた。姿は見えないが、真彩の歌を聞きに来ている魔物がいる。真彩の歌を好ましく受け入れてくれている。 (グラペウスの世界に、私を受け入れて)  彼等に向けて、真彩は歌った。この夜の世界のうつくしさに震える気持ちと、グラペウスへの愛しさを。  細く長く余韻を響かせて、真彩はフウッと唇を閉じた。聞こえない拍手に向けて、軽く会釈をする。体がふわふわして、とてもいい気分だ。 「ねえ、もっと歩いてみたい。いいでしょう?」  白いドレスに黒髪の真彩は、白銀の髪に漆黒のローブをまとったグラペウスに手を取られて、闇に沈む森を進んだ。湖から離れれば、視界は暗くなる。けれど、なにも見えないわけではない。やわらかな星の光が薄いヴェールとなって、木や草の姿を浮かび上がらせていた。  境界のあいまいな……と言えばいいのだろうか。そっと息づいているものたちを、やさしく包み込む闇は安らぎに満ちている。  弱さも苦しみもかなしみも、すべてをあるがままに認めてくれる包容力が、森に満ちていた。  ふたりのあとを、なにかが追いかけてくる。姿の見えない視線が、真彩に注がれている。警戒を含んだものや、好奇心に満ちたもの。さまざまな感情を織り交ぜた視線に、真彩は笑いかけた。  こちらから声をかけてもいいが、おびえさせたくはない。まるで野良猫がこちらの様子をうかがっているみたいだと、真彩はクスクス笑った。 「どうした」  立ち止まったグラペウスに、なんでもないと真彩は答える。 「なにもないのに笑うのか」 「あたりまえって感じで、あなたと散歩ができているから、うれしくて笑ったのよ、グラペウス」  虚をつかれたグラペウスの表情に、真彩はほがらかな笑い声を立てた。彼と過ごせることが、こんなにもうれしいなんて。自分でもおどろくほどに、心が浮き立っている。ただ彼と森を歩いているだけなのに、とてもしあわせだ。このままずっと、彼といたい。これを日常にしてしまいたい。  足元では、ポチがムニムニと動いている。名前をつけてから、とてもかわいらしく身近な存在になった魔物は、真彩によくなついていた。魔物のポチが人間である真彩を慕ってくれるのは、希望になっている。ほかの魔物たちも、人間の真彩を認めてくれるはず。そのために、妖精の歌をもっと聞いてもらおう。魔物もきっと、妖精の歌が好きなはずだから。  ポチは歌えば体を揺らしたり、ふくらんだり縮んだりして、踊っているような動きをする。それはとてもたのしそうで、魔物もきっと妖精の歌が好きだと真彩に思わせてくれた。 (私ができるのは、歌うことだけ)  しかしそれは特別なこと。妖精の歌を歌える人間は珍しい。だからゼーロテュピアーは、真彩に執着していた。 (きっとそうよ)  魔物の国で生活していくことに、不安がないわけではない。それよりもグラペウスへの想いが強いだけ。自分には武器があると思うのは、手元に真彩を置くことを迷うグラペウスを説得するための自信に変わる。 「私の歌、たくさんの人が聞きにきてくれているみたい」 「わかるのか」
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