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第8話

「だれか、いますよね。お茶、おいしいです。ありがとうございます。あの、それで……私、昔、グラペウスと会ったことがあるみたいなんですけど、いつ会ったのか、思い出せないんです。それを思い出す方法というか、ヒントみたいなものをもらえたら、うれしいんですけど」  耳を澄ませてみるが、なんの反応もなかった。 (ダメかぁ)  扉を閉めてベッドに戻り、お茶を飲む。ほんのりと甘いお茶は、気持ちをなだめてくれた。おかわりをしようとポットを手にしたら、カタリと物音がした。ワゴンに目を向けると、純白の金平糖みたいなものを乗せた小皿が増えていた。  周囲を見まわしても、だれもいない。 「これ……もしかして、思い出すヒントになるもの?」  見えないだれかに問いかけて、金平糖みたいなものをつまむ。口に入れてもいいのだろうか。 (聞いたあと、これが出てきたんだから、きっとそうよね)  よしっと決めて、口に入れた。ハチミツに似た味がして、目の奥がクラクラする。座っていられなくなって横になると、体が浮き上がる感覚にみまわれた。  * * *  見たことのある山の景色に、真彩はまばたきをした。 (ここって……裏山?)  実家の畑を抜けた先にある山のなかだと気づいた真彩は、人の気配に気がついた。視線を向けると、ふらふらと山道を行く子どもがいる。 (あれ、私だ)  小学生のころだとわかった真彩は、子どもの自分がポニーテールであることに首をかしげた。肩より長く髪を伸ばしたことは、ないはずなのに。  小学生の真彩は、なにかに導かれるように山の奥を目指している。視線の先を見ても、なにもない。耳をすませば、かすかに音楽が聞こえてきた。  真彩も子どもの自分に続いた。音楽にどんどん近づいて、奏でているものの姿が見える場所にたどり着く。 (あれって)  町川紳――ゼーロテュピアーがちいさな竪琴をつま弾いている。彼の姿は大人だった。子どもの真彩が興味に目をかがやかせて、竪琴を鳴らす彼を見つめていると、ゼーロテュピアーは膝に真彩を呼び寄せて、竪琴を鳴らした。 (あ……私)  子どもの真彩が唇を開き、気持ちよさそうに歌いはじめる。ゼーロテュピアーはたのしげに、真彩の内側から音楽を引き出していた。  そうしていると、日が沈みはじめた。 「もっと俺と遊ぼう」  ゼーロテュピアーの誘いに、子どもの真彩はためらう。 「でも、もう帰らなきゃいけない時間だから」 「ずっとお昼なら、たくさん遊んでいられるよね?」 「そんなの、ないよ」 「あるよ。俺の住んでいる場所は、ずうっと昼間なんだ。とってもキレイで、たのしい世界だよ。ねぇ、俺と一緒に行こう。ずっとずっと、俺と遊んでいようよ」  ニッコリしたゼーロテュピアーに、子どもの真彩は渋い顔をした。 (行っちゃダメ!)  ハラハラしながら、子どもの自分に声をかけるが聞こえているふうはない。真彩は胸の前で指を組み、自分がどう返事をするのか見守った。 「やっぱり、よくないから」  断った自分に「よしっ」とうなずいた真彩は、ゼーロテュピアーの目が剣呑に光るのを見た。 「ふうん、そう。まあ、いいや。それじゃあ、また俺と遊んでくれる?」 「それは、うん。いいよ」  ホッとした子どもの真彩に、ゼーロテュピアーは「よかった」と胸に手を当てた。 「それじゃあ、また山のなかで歌ってくれるかな。そうしたら俺は、君を見つけられるから。ねえ、名前を教えて」 「真彩。白川真彩だよ」 「真彩か……うん、いい名前だね。それじゃあ、また会おうね、真彩」  夕暮れが近づいている。ゼーロテュピアーはまっすぐ先を指さして、真彩に帰路を示すと姿を消した。 (これが、私とゼーロテュピアーの出会い)  家まで連れて行ってもらった記憶は、ただ道を示されただけだった。歌を教えたという彼の言葉は、本当だった。 (それで、私はいつ、グラペウスと出会うの?)  疑問とともに視界が歪んで、景色が変わった。木々に囲まれた場所で、子どもの真彩が妖精の歌を歌っている。ゼーロテュピアーが現れて、竪琴をつま弾いていた。 「俺と一緒に来る決心はついた?」  問われて、子どもの真彩は首を振った。顔を曇らせたゼーロテュピアーに、ごめんなさいと頭を下げる。 「こんなところにいるよりも、ずっとずっとたのしいんだけどな。ずうっと子どものままで、好きなだけ歌って、遊んで暮らせるんだから」 「そんなの、ないよ」 「あるよ。俺が住んでいる場所なんだから。ちょっとだけ、どんなところか見てみない?」 「でも」 「すぐに戻ってこればいいよ。夕方になったら、送るから」  それなら、と手を伸ばした子どもの自分に、真彩は「ダメ!」と叫んだ。妖精の国は昼の世界だ。夕方になることはない。子どもの真彩は永遠に戻れなくなる。  子どもの真彩の両手を掴んで、ゼーロテュピアーは声をはずませた。 「それじゃあ、行こうか」  足元の空間が歪む。子どもの真彩は息を呑み、目を見開いてゼーロテュピアーを見た。 「大丈夫だよ」  ふたりを呑み込む穴が開いて、落ちる直前、白い羽がゼーロテュピアーの視界を遮り、子どもの真彩の手を奪った。  ゼーロテュピアーだけが落ちていく。子どもの真彩は呆然として、突然現れた白い羽の青年に抱かれていた。 (グラペウス)  見つめる真彩は胸が苦しくなった。彼はゼーロテュピアーにさらわれそうになった真彩を、助けてくれていたのか。 「危なかった」  つぶやいたグラペウスは、子どもの真彩を下ろして頭を撫でた。 「向こうに行ったら、ずっと昼間だ。戻ってはこられない」 「そうなの?」 「そうだ。怖い思いをしたくなければ、もう歌わないことだ」 「どうして」 「あの歌は、怖いものを引き寄せる」 「あの人は、怖い人?」 「そうだ」 「でも、歌を教えてくれた人よ」 「おまえをさらうために、歌を教えたんだ」  よくわからないと表情で示した子どもの真彩は、グラペウスをじっと見つめた。 「あなたは、天狗様?」  グラペウスは目をまるくし、真彩は自分の発言に吹き出した。 (天狗……か。そうね。高い鼻と羽があるから、子どもの私なら天狗だと思うかな)  天使よりも天狗のほうが、子どもの真彩にとっては身近だった。祖母や近所の大人たちから聞かされる話は、妖怪の物語が多かったから。 「うん……まあ、そのようなところだ」 「へえ!」  子どもの真彩はグラペウスの羽を触りたがり、グラペウスは快諾した。好きなだけ羽を触りながら、子どもの真彩は歌っていた。 「真彩」 「なぁに?」 「もう、歌ってはいけない」 「天狗様がいたら、怖いものを追い払ってくれるんでしょう? だったら、歌っても大丈夫だよね」  笑った真彩に、グラペウスは苦笑した。 「それにね、天狗様といたら、なんだかとっても歌いたくなるの。いっぱいいっぱい、歌いたくてしかたがなくなるの」 「そうか」 「天狗様は、真彩の歌は嫌い?」 「いいや。とても、気持ちがいい」 「それじゃあ、真彩が歌うとき、天狗様はずっといて! そうしたら、大丈夫でしょう?」  そうだな、とグラペウスはちいさくうなずいて、子どもの真彩の手を取って家の近くまで連れて行ってくれた。  そこでまた景色が歪み、真彩が畑仕事をしている両親をながめながら、歌を口ずさんでいるシーンに変わった。 「やあ、真彩」  ゼーロテュピアーが姿を現し、子どもの真彩に手を伸ばす。 「迎えに来たよ。今度こそ、俺と一緒に来てもらう。ねえ、真彩……君をもう、俺のものにするって決めたんだから」  子どもの真彩は、ぼんやりとした目でゼーロテュピアーに誘われるまま、山へと向かった。お茶を運んできた祖母が気づいて、追いかけてくる。真彩は自分を止めようと手を伸ばしたが、記憶に干渉できるはずもなかった。 (大丈夫。私は助かるわ。だって、大人になるまでゼーロテュピアーとは会わなかったもの)  きっとグラペウスが助けに来てくれると、胸の前で指を組んだ。 「さあ、真彩」  大木の根元の空間が歪んでいる。そこに向かう子どもの真彩の手を、純白の羽を広げたグラペウスが掴んだ。 「あきらめろ」  鋭く言ったグラペウスが、ゼーロテュピアーを空間の歪みへ落とし、そこをふさいだ。ゼーロテュピアーの恨みがましい叫びが遠ざかる。ハッと正気に戻った子どもの真彩に、グラペウスは「間に合ってよかった」とほほえんだ。 「私……約束を破ってしまって、ごめんなさい。とても気持ちがよくって」  うん、とグラペウスはうなずき、子どもの真彩の両肩に手を置いてしゃがんだ。 「真彩。もう二度と、歌を歌ってはいけない」 「これからは、天狗様がいるときにしか、歌わないようにする」 「そうじゃない。俺はもう真彩とは会えなくなるんだ」 「どうして?」 「役目がある」 「お仕事のこと?」 「そう、お仕事だ。俺はもう、真彩とは会えなくなる」 「遠くに行っちゃうの?」 「うんと遠い場所だ。だから、もう歌ってはいけない。さらわれてしまうからな」  納得できない子どもの真彩を、グラペウスはやさしく撫でた。 「真彩の歌は、とても気持ちがよかった。聞けなくなるのは、俺も残念だ」 「もっと、聞きたい?」 「ああ、聞きたい」 「それじゃあ、天狗様と一緒に行く! そうしたら、ずっと歌っていられるよ」 「ダメだ。そうしたら、真彩の家族がかなしむだろう」 「でも」 「もう、歌わないように。いいな?」 「歌いたくても?」 「俺はもう、守ってやれない」 「じゃあ、大人になったら、天狗様のところに行く」 「えっ」 「大人は、自分で行きたいところを決められるでしょう? だから真彩、大人になったら天狗様のところに行って、天狗様にいっぱい歌を聞いてもらうね」 「いや、それは」 「約束!」  子どもの真彩は強引に、グラペウスの小指に自分の小指を重ねて誓った。 「真彩は大人になったら、天狗様と結婚します。そして、いっぱい天狗様に歌を聞いてもらいます!」 「ま、真彩……それは」 「指切った!」  うろたえるグラペウスに、子どもの真彩は満面の笑みを向けた。祖母が真彩を呼ぶ声がして、子どもの真彩はグラペウスの手に甘えながら振り向いた。 「ああ……真彩、真彩」  蒼白になっておびえる祖母に、真彩は「天狗様が助けてくれたよ」と元気よく言った。グラペウスはちいさく会釈し、子どもの真彩の額を撫でた。コトンと意識を失った子どもの真彩が、祖母の手に託される。 「もう二度と、歌わせてはならない。髪も、短く……長い髪は絡めとられやすいからな。真彩を連れて行こうとしたものの名残が、毛先に残っている。短く切ったら、火にくべて燃やすように」  震える祖母は返事もできないで、グラペウスを見上げていた。グラペウスはさみしい目をして、子どもの真彩の頬を撫でると羽ばたいてどこかに消えてしまった。 (だから、おばあちゃんは私の髪をずっと短くしていたのね)  謎が解けた。断片的だけれど、ゼーロテュピアーやグラペウスとの関係がわかった。 (私に歌を教えてくれたのは、ゼーロテュピアー。妖精の国に連れていかれそうになったところを、助けてくれたのがグラペウス)  細かな謎はたくさんあるけれど、それはこれから知ればいい。なぜグラペウスは、さらわれそうになった真彩を助けてくれたのか。どうしてグラペウスの羽が黒くなったのか。 (グラペウスと、たくさん話がしたい)  景色がまた歪んで、真彩の体が浮上する。祖母の腕に抱かれた子どもの自分に別れを告げて、真彩は現在に戻っていった。  * * *  目を開けた真彩は、グラペウスが戻っていない部屋を見まわし、息をついた。 「グラペウス」  夢のなかの真彩が、彼に対して大胆になれていたのは子どものころの気持ちが、そのまま表れていたからだ。祖母に託すときに、グラペウスは真彩の記憶に蓋をした。それは完全なものではなく、断片的に意識に残ってしまった。そのくらいであれば、大人になるうちに忘れると考えたのか、生活のつじつまを取るために、わざとすこしだけ残したのか。  消されたわけではない記憶は、無意識の領域で眠っていた。 (初恋だったんだわ)  子どもの真彩はグラペウスに恋をして、気持ちは消えることなく育っていった。それが夢の形をとって、素直な気持ちとして現れたのだ。 (夢を渡って……って言ったけど、無意識の私はそれがどういうものなのか、知っているのかな)  きっと知っている、という確信が湧き上がる。 (なんか、ずるい)  自分のことなのに、自分に内緒にされているなんておかしい。グラペウスは夢を通して会ったことを、夢の出来事として真彩の記憶に残さないつもりでいたのだ。連続して見ていた夢の、覚えていない部分でグラペウスから説明を聞いたりしたに違いない。 (そのあたり、きちんと確認しなくちゃね)  彼は真彩の荷物を取り戻したら、記憶に蓋をして戻すつもりのはず。そんなこと、させるもんですかと気合を入れた。 (仲間が欲しいわ)  グラペウスの正体が天使だろうが魔物だろうが天狗だろうが、まったくもって気にしない。けれども、ただの人間が太刀打ちできる相手ではないことは大問題だ。 (記憶に蓋をされても思い出せるようにしておく方法とか、なにか……そういうものってないのかな)  だれかが出してくれた、金平糖みたいなもの。あれがあれば、また記憶を旅することができるのではないか。  真彩は扉に近づいて、すこし開くと「あの、すみません」と声をかけた。 「さっきは、ありがとうございました。まだわからないこともありますけど、知りたいことはだいたいわかりました」  すこし待ってみても、なんの反応もなかったので言葉を続ける。 「それで、あの……相談というか、お願いなんですけど……私の荷物を取り返したら、きっとグラペウスは私の記憶を消すかなんかして、ここから追い出すと思うんです」  ちょっと待って、耳を澄ます。かすかな音すら聞こえない。それでもだれか聞いているはずだと、口元を引き締めた。 「私、グラペウスといたいんです。ええと、ここは魔物の国だって聞きました。魔物さんたちからすると、私みたいな人間がいるの、迷惑だって思われるかもしれません。でも私、グラペウスといたいんです。グラペウスが好きなんです。ずっと、彼のために歌っていたいんです。だから、協力してください。具体的に、どうすればいいのかはわからないんですけど、でも……なにか、こう、相談に乗ってもらうとか、そういうことをしていただければ、うれしいなぁって」  だんだん不安になって、語尾を濁した真彩は「とにかく、よろしくお願いします」と頭を下げて、扉を閉めた。  ふうっと緊張を解いてバルコニーに向かい、手すりから身を乗り出して景色をながめる。 「夜の国……なんだよね」  遠い場所にオレンジの帯があって、その先に青空が見える。グラペウスの住んでいるここは、永遠に星空のままなのか。 (魔物は夜に出るってイメージが強いし)  きっとそうなのだろう。 (どうして、グラペウスの羽は黒くなっちゃったのかな)  白い羽のままだと、ここでは目立つからだろうか。  ふと目を落とした真彩は、足元の水たまりに気がついた。雨も降っていないのにと考えて、ハッとする。しゃがんだ真彩は、水たまりに話しかけた。 「ねえ、あなた……もしかして、スライムとかいうやつ?」  真彩を妖精の国から運んでくれた魔物ではないか。水のようなゼリーのような魔物といえば、ゲームの序盤で出てくるスライムだ。  呼びかけられたスライムは、そうだというふうに一部を持ち上げた。手のひらを差し出すと、ポンッとその上に持ち上がった部分が乗った。 (お手をしているみたい)  クスッと笑った真彩は、握手をするようにスライムを握った。 「ねえ、私の味方になってくれる? 私、ここで歌っていたいの」  スライムの表面がザワザワと揺れた。なんとなく歓迎されている気がして、笑いかけて「よろしくね」と言った。 「スライムって呼ぶのもなんだから、勝手に名前をつけていい? そうね……うーんと、ポチでどう?」  安直な名前だが、ほかに思いつかなかった。スライムの体が、半透明の水色から紫になり、桜色に変化した。 「照れてるの?」  なんだかかわいく思えて撫でると、スライムのポチはボールみたいにまるくなって、ポーンと跳ねた。  手すりに乗ったポチを撫でながら、真彩は湧き上がる感情を歌に変えた。  これからここで暮らすのだという決意と、あらたな友達を得たよろこび、グラペウスへの愛おしさを織り込んだ旋律は、あざやかな織物のように夜の世界に広がった。
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