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第4話

「もうすこし髪が長くなってくれたら、逃げられても絡めとれるのになぁ」  ポツリとこぼれた紳の言葉の意味がわからない。 「ねえ、真彩。いまから髪を伸ばしてよ」 「ええっ?」 「きっと似合うよ。手入れが大変なら、俺がするから。毎日、丁寧に櫛を入れてサラサラにしてあげる。ね、いいでしょう?」  顎を引いた紳が、ねだる顔で上目遣いをする。憎めない表情に、真彩はなぜか笑ってしまった。 「あっ、なんで笑うのさ。俺はめちゃくちゃ真剣なんだけど」 「ごめん……うん、別に伸ばしても、いいかなぁ」  祖母の顔がちらつきはしたけれど、真彩の心は髪を伸ばすことにかたむいていた。夢のなかのロングヘアーの自分は、悪くなかった。あそこまで伸ばすには、どのくらいの月日がかかるのだろう。  ふっと紫の瞳を思い出して、真彩は「あっ」と声を出した。 「ん?」  紳が首をかしげる。 「紳さん、もしかして昔……私におなじことを言ったりした?」  紳はほんの一拍、真顔になってから、顔中クシャクシャになるくらいの笑顔になった。 「うん、言ったよ。もっと髪を伸ばせばいいのにって。そうしたら、おばあちゃんが切っちゃうんだって答えられた」 (やっぱり)  あの夢の展開が進んだのは、紳との再会がきっかけだったのだ。歌うことと髪を伸ばすことを禁止したのは、祖母だった。 (てことは私……紳さんと、あんなことをしたいと思ったっていうか、そういうこと?!)  羞恥に見舞われて紳の顔が見られなくなった真彩は、あわてて立ち上がった。 「私、明日も仕事だし、もう帰るね」 「駅まで送るよ」 「大丈夫。そんなに遠くないし」 「暗いから。それに、送りたいし」  そっと指に指を絡められて、真彩はドキリとした。 「いいでしょう? 真彩」  ねだるような甘えた声に、照れくさくなった真彩はうつむいたまま、ちいさく首を縦に動かした。 「それじゃあ、行こう」  紳が先に立って歩きだす。真彩はドキドキする心臓を抑えながら、足元を見て歩いた。 (私、もしかして紳さんのことが好きだったのかな。それで、結婚したいとか思っていて……歌のことと髪のことと、紳さんへの気持ちとが知らないうちに育っていって、爆発して夢になっちゃったのかも)  連続しておなじ夢を見ていたのは、再開の予感があったからなのか。そうと気づかず人込みのなかで紳の姿をいつのまにか視界に捉えていて、無意識に抱えていたものが夢という形で表層に現れたのかもしれない。 「あーあ、もう駅についちゃった」  自分の気持ちに意識を向けていた真彩は、紳の声に顔を上げた。目の前に改札がある。 「それじゃあ、また明日」 「あ、明日?」 「うん。また、明日も歌を聞かせてよ。ここで待ってるから」  絡めた指を強く握られて、真彩はコクリと首を動かした。ニコッと歯を見せた紳の指が外れる。 「たのしみにしてるね! おやすみ、真彩」  うん、と答えた真彩は改札を抜けて振り向いた。紳が右手をおおきく振っている。真彩は狐につままれた気分で、右手を胸の高さに上げて軽く振り返した。 (私、このまま紳さんとつき合っちゃうのかな)  ホームにつながる階段を上りながら、真彩は紳の強引なキスを思い出して唇に指をあてた。 「グラペウス」  夢のキスとは違った感触に、みぞおちのあたりが重たくなった。  * * *  広すぎるベッドに腰かけて、真彩はバルコニーの向こうを見ていた。石造りのおおきな掃出し窓の形に、星空が切り取られている。そこに待ち人が現れるのを、心待ちにしていた。  来ないかもしれない、という不安はない。彼はかならず現れる。ここで真彩が待っているからだ。  バサリと羽音が聞こえて、立ち上がった。星明りに影が差す。バルコニーに駆けだして、降り立った人の胸に飛び込んだ。 「グラペウス」  声を弾ませた真彩の体が、彼の腕に包まれる。見上げると、グラペウスはおだやかな表情で真彩を見ていた。心がよろこびと恋しさにムズムズする。くすぐったくなって、はにかみながら彼の頬に手を伸ばした。 「待たせてしまったな」 「グラペウスが帰ってくるって、わかっていたから平気よ」  元気よく答えた真彩に、グラペウスは目元を曇らせた。 「どうしたの?」 「もっと長く、真彩を待たせることになるかもしれない」 「どういうこと?」 「ここに住むことになれば、ひとりで過ごす時間ができる。俺が出ているあいだ、真彩はひとりきりになるんだ」 「それが、なに?」 「きっと真彩はさみしくなる」 「グラペウスは、私と会えなくてさみしかった?」 「それは……ああ、そうだ。真彩の歌が聞けなくなってから、ずっと真彩に会いたくてしかたがなかった」 「よかった」  ニッコリした真彩は背伸びをして、グラペウスの瞳をのぞき込んだ。 「こうして、またグラペウスと会うことができて。だってずっと、さみしかったんでしょう?」  面食らったグラペウスに、真彩はクスクスと喉を震わせた。困った顔になったグラペウスに抱き上げられて、ベッドに運ばれる。 「ねえ、グラペウス」 「うん?」 「いつのまに羽が黒くなっちゃったの?」  ベッドに下ろされた真彩は、グラペウスの背に生えている羽を見た。子どものころに出会ったときは、まばゆいほどに白い羽だった。それがいまは、つややかな漆黒になっている。 「それは」  眉根を寄せて、グラペウスが言いよどむ。悪いことを聞いてしまったのかと、不安になった。 「グラペウス」  愁眉のままでほほえんだグラペウスに頭を撫でられ、真彩は不安を募らせた。なにか、彼にとってよくないことがあったのだ。 「私には、言えないことなの?」 「真彩は、この羽の色をどう思う」  離れたグラペウスが羽を広げた。彼の肩越しに見えていた星空が翼にさえぎられる。すこし考えて、素直な感想を口にした。 「とてもキレイね」  意外そうに、グラペウスが目を開いた。 「羽が白かったときは、髪も肌もなにもかも真っ白だったから、まぶしくて見るのが大変だったけど、羽が黒いから目にやさしいわ」  羽が真っ白だったとき、太陽の光を浴びたグラペウスは淡くかがやいていた。きちんと姿を見たいのに、目がチカチカしてまぶしさに涙がにじんだ。だけどいまは、グラペウスをはっきりと見ることができる。それがとてもうれしかった。 「星明りくらいが、グラペウスを見るのにちょうどいいわ。じっと見たって目が痛くならないもの。それに、黒い羽になってくれたの、ちょっとうれしい」 「どうして?」 「私の髪とおなじ色よ。グラペウスに私の色が移ったみたいじゃない」  絶句したグラペウスが、顔に片手を当てて笑い出す。うれしくなって、真彩も一緒に笑った。 「そうか。黒は真彩の髪とおなじ色だったな……俺の羽に、真彩の髪色が移ったのか」  笑いながら、グラペウスは真彩のそばに戻ってひざまずいた。 「真彩は、この羽が恐ろしくはないんだな」 「グラペウスなら、なんにも怖くないわ」  どうして彼が黒い羽を気にしているのか、真彩にはわからなかった。純白の羽も素敵だったけれど、漆黒の羽だってすばらしい。 「ずっと、夜に閉じ込められてしまったら、息苦しくはならないか?」  キョトンとした真彩は、バルコニーの先に目を向けた。星々がキラキラとまたたいている。 「こんなに広くて明るい夜なのに、息苦しくなんてならないわ。すごくやさしい夜じゃない? 静かで、おだやかで、やさしくて……まるで、グラペウスみたい」  フフッと肩をすぼめた真彩の頬に、グラペウスの指が触れる。 「俺が、怖くはないのか?」 「怖いはずないでしょう。怖い人に会いに来たりなんてしないわよ」 「ああ、真彩。そうか……そうだな、真彩」  想いのこもった吐息に、真彩は唇を寄せた。グラペウスが身を起こし、真彩をベッドに押し倒す。真彩はグラペウスの首に腕を絡めて、彼のキスを受け止めた。 「んっ、ん……んんっ、ん……ふ、ぅん」  角度を変えて繰り返されるキスに、真彩の心がジワリと濡れる。あたたかな湿度を感じた胸先が淡く疼いた。真彩はキスを返しながら、乳房をグラペウスの胸筋にこすりつけた。 「ふはっ、ぁ……グラペウス」  キスに濡れた瞳で見上げれば、紫の瞳は照れくさそうに揺れていた。自分の返答が彼をよろこばせたのだと知った真彩は、それでも消えない瞳の奥のさみしさに唇をよせた。 「グラペウス」  ささやけば、ちいさくうなずいたグラペウスの唇が喉に落ちた。手のひらが乳房に乗って、真彩は彼のローブの留め具を外した。シャツのボタンに手をかけると、グラペウスが目を細める。 「自分で脱ごう」  羽を消したグラペウスが身を起こす。真彩は首を振った。 「私が脱がせたいの」  どういうことだと目顔で問われて、真彩は「したいの」と繰り返した。グラペウスにまかせていたら、彼はいつまでも深い場所に押し込めているさみしさを、真彩の手の届く場所に出してはくれなさそうだから。  ちょっと考えてから、グラペウスはベッドに横になった。どうぞと言いたげに両腕を開いたグラペウスの腰をまたいで彼の胸に倒れると、ギュッと抱きしめられた。  彼はとてもおおきくて、あたたかくて落ち着く。直に彼の肌に触れたくて、真彩はシャツのボタン外しにとりかかった。白くなめらかなグラペウスの肌があらわれる。漆器みたいな彼の肌に手のひらを乗せた真彩は、ぬくもりを感じてホッとした。 「真彩?」 「なんだか、つくりものみたいにキレイだったから」  耳を寄せて心臓のあたりに押しつける。グラペウスの指に髪を梳かれて、目を閉じた。鼓動が聞こえる。真彩の心音とグラペウスの命の音が重なって、おなじ時間を過ごしているのだと実感できた。  グラペウスの手が背中に乗る。しばらくじっとしていた真彩は、ふと思いついてグラペウスの肌を強く吸った。 「っ……真彩?」  白い肌にうっ血の跡がついて、真彩は満足げに口の端を持ち上げた。 「マーキングしたの」 「どうして」 「だれにもグラペウスを取られたくないからよ」  目をパチクリさせたグラペウスが、声を立てて笑った。今日はよく笑ってくれる。自分が彼を笑顔にしているのだと、真彩はほこらしくなった。やっぱり、彼のさみしさを消せるのは、自分しかいないと確信を固める。  もっと彼に印をつけたくて、真彩はたくましい胸筋に唇をすべらせた。グラペウスのなめらかな肌の質感は気持ちいい。いくつかマークをつけると、ひっくり返された。 「きゃっ」 「次は、俺の番だ」  いたずらめいた表情のグラペウスに首筋を吸われて、真彩は子どもみたいにはしゃいだ。ドレスの胸元がはだけられ、乳房にグラペウスのキスが落ちる。胸の谷を強く吸われて、彼の頭を抱きしめた。 「真彩」 「っあ……っ、ん……ふ、ぅ」  乳頭に移動した唇にくすぐられて、悩ましく息を乱した。グラペウスの舌に尖りを弾かれ、軽く歯を立てられる。 「あっ、ん……ふ、ぅうっ、あっ、あ」  乳房の根元を支えられ、思うさま吸いつかれると、下腹部が彼への想いにあたたまった。溶けた蜜が女の谷にジワリと滲む。 「ああ……グラペウス……っ、は、ああ」  彼を感じているのだと伝えたくて、真彩は腰を持ち上げてグラペウスの体に押しつけた。太ももの隙間に硬いものを感じて、興奮に胸がとどろく。 「は、ぁ……グラペウス、ああ……っ、ん……はぁ」 「真彩」  たっぷりと味わわれた真彩の胸は、彼の唾液に濡れてあざやかな赤に染まっていた。肌のそこここに彼の印がついている。もっともっとグラペウスのマークをつけてほしくて、真彩は身をくねらせた。  おおきな手のひらが腰を滑って、グラペウスの唇が下がっていく。うやうやしくヘソにキスをされると、くすぐったくて身を震わせた。 「私もしたい」  厚い胸筋を手で押せば、グラペウスは笑顔であおむけになった。中途半端に開かれている彼のシャツを完全に開いて、彼の腹筋に顔を寄せた。舌をヘソに差し込んでくすぐれは、フッフッと笑いの息に連動して、腹筋が上下する。それがおもしろくて、真彩はクスクス笑った。首を横に向ければ、彼のズボンのふくらみが視界に入った。隠されているものが見たくて、手を伸ばす。 「っ、真彩」  慌てたグラペウスが上体を起こす。とっさに硬いものを握ると、グラペウスは低くうめいた。その声があまりにも色っぽくて、真彩の心臓は興奮に苦しくなった。 「手を、放すんだ」 「どうして?」 「触っていいものではないだろう」 「私じゃダメなの?」 「そういう意味ではない」 「グラペウスは、私と結婚をするつもりなんでしょう? だったら私は、どうせコレを知るんだから。いま、見せてもらってもかまわないわよね」 「真彩」  とがめる声に、真彩は不機嫌になった。 「ずるい」 「なにがだ」 「私と結婚したいから、純白のドレスをいつも着せるんでしょう? それなのに、ちっとも私を信用してくれていないじゃない」 「信用していなくはない」 「していないでしょう! 私はずっと、ここで、グラペウスと、過ごしたいって言っているの。それなのに、グラペウスは中途半端な許可しかくれない。はじめは私を招待して、歌を聞くだけだった。だけどキスをしてくれるようになった。それって、私と結婚をする気になったからじゃないの?」  重要な部分を細かく区切って強調した真彩は、鼻息荒くグラペウスをにらんだ。 「これも、私が欲しいからこんなふうになっているんでしょう? 私と結婚したいから、私とずっといたいから、硬くしているのよね」 「真彩、それは」 「違うの? これは私がもらうものでしょう。体の深いところにくれるものを、見たがったっていいじゃない。触ってもかまわないはずよ」  口をつぐんだグラペウスに、もう一押しだと真彩は言った。 「ねえ、グラペウス。ひどいことなんてしないわ。もっと知りたいだけなのよ。うれしいの……グラペウスが、私をこんなに想ってくれているんだって。だから、ね? 見てもいいでしょう」 「真彩」  あきらめを含んだ声音に、真彩は期待をふくらませた。けれどグラペウスは真彩を抱き上げ、自分の膝に乗せると首を振った。 「たしかに、俺は真彩が欲しい。真彩の深い場所に俺の印をつけたいと望んでいる」  うなずいて、真彩は彼の胸につけたマークを指で撫でた。白い肌に、鮮やかに浮かぶうっ血はとても目立つ。 「だが、真彩はまだ理解できていないんだ」 「なにを?」 「ここで、俺とずっと過ごすということが、どういうことなのかを……だ」  真彩はじっとグラペウスを見た。 「わかっていないと思っているのなら、きちんと説明をして」  紫の瞳をしっかりと見つめて、真彩は彼が口を開くのを待った。グラペウスは唇を迷わせ、重い吐息をこぼすとまつ毛を伏せて、なにもかもをあきらめた人のように首を左右に振った。 「グラペウス」  そんな顔は見たくなくて、なぐさめるために両手で彼の頬をつつんだ。そっと持ち上げると、紫の目にはかなしい色が揺れていた。 「私のせい?」 「違う」 「じゃあ、どうして泣きそうな顔をしているの」 「真彩が大切だからだ」 「私も、グラペウスが大切よ」 「真彩が恋しくてたまらない」 「私だって、グラペウスが大好きだわ」 「だから、これからのおまえの、人としての人生を奪ってしまいたくはないんだ」 「え?」 「真彩の大切なものを取りあげたくはない……真彩を大切に思う人たちから、おまえを奪うのが怖いんだ。おまえが大切にしているものから、遠ざけたくはない」 「どういうこと?」  かなしい瞳のままグラペウスがほほえむと、真彩の意識は突風に吹き飛ばされて――――気がつくと、見慣れた部屋のなじんだベッドのなかにいた。 「なんなの、いったい」  つぶやいた真彩は、鈍い痛みに疼く胸を抑えて体をまるめた。 「夢なのに」  たかが夢のやりとりなのに、どうしてこれほど心が苦しくなるのだろう。 「グラペウス」  そっと名前をつぶやいて、真彩は硬く目を閉じた。意識にはクッキリと、彼のかなしげなやさしい瞳がこびりついていた。
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