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1.田舎に住んでる王子様

 ほぼ十年ぶりに再会した初恋の王子様は、いまでもやっぱり王子様のままでした。  なんて、ロマンチックな衝撃を受けた田倉頼子は、王子様こと加賀弘毅の母親、多美子に連れられて階段を上り、これから生活していく部屋へ通された。 「ぼろっちいけど、広いでしょ? ベッドはないし、クローゼットじゃなく押入れだけど、我慢してね」 「我慢だなんて、そんな」  ふるふると首を横に動かした頼子の、ひっつめにした髪が後頭部で揺れている。ふだんはコテをあてて毛先でふわりとカールをさせるのだが、今日は校則に従順な女学生みたいに、後れ毛の一本も残さないくらい丁寧に撫でつけて、飾りのないゴムでまとめていた。  服装も着慣れた明るめの、ふうわりとしたものではなく、ジーンズにシンプルなカットソーという恰好にしている。 (田舎に行くんだから、おしゃれをしたら浮いちゃいそう)  そう考えてのファッションだったが、玄関前で車を降りたところで頼子の心の王子様、弘毅とすれ違ってしまったことで、後悔が芽生えた。 (今日ぐらいはおしゃれしておけばよかったな)  弘毅は自転車に乗って、どこかへ出かける途中だった。軽いあいさつを交わしはしたが、ちゃんと頼子を見ていなかった。いまから着替えておしゃれをすればと、ふと考えた頼子は自分に苦笑した。 「それじゃあ、荷物を解いたら下りていらっしゃいね。お茶を淹れて待っているから」 「はい」  廊下を踏む多美子の足音が遠ざかっていく。頼子は窓の外に顔を向けた。 (空って、こんなに広かったっけ)  のびのびと頭上に広がっている空は、山に遮られてもその向こうに続いているのだと告げてくる。それぞれの領域を犯さずに、互いに互いを尊重し合っているようだ。都会では、ビルに空が切り取られていると感じていたのに。  建てつけの悪くなっている窓を開けて、深く肺に空気を吸い込む。透き通った風が体の中に入ってきて、草木の香りや命のかけらで体の中のよどみが洗われた。  それがとても気持ちよくて、何度が深呼吸を繰り返してさっぱりしてから、大きなボストンバッグを開く。  荷解きというほど荷物はない。一週間分の着替えと化粧品、スマホと充電器のほかは持ってきていなかった。 (足りないものがあったら、おかあさんが送ってくれるって言ってたし)  忘れ物があっても買えばいいと思っていたが、多美子の車に乗ってここに来る間に見たのは、道の駅とその周辺に散らばっている飲食店だけだった。そこを過ぎてここに到着するまで、コンビニどころかスーパーすらも見当たらなかった。 (想像以上の田舎に来ちゃったんだなぁ)  やっぱり地味な格好をしてきてよかったかもと思い直した頼子は、化粧品を部屋の隅にある折り畳み式のちゃぶ台に乗せて階段を下りた。 「おばさん」 「あ。荷物、片付いた?」 「いえ、ええと」 「押入れの中、どうしていいのかわかんなかったんでしょ。クローゼットとは違うものね。ちょっと休憩したら、衣装ケースとか買いに行きましょう。お茶を淹れるから、適当に座って」  てきぱきと動きながらしゃべる多美子に、変わっていないなと頼子は安堵する。母親から、多美子のところへ行ってみなさいと言われたときは、おどろいたし緊張もしたけれど、昔とちっとも変わらない。  イスを引いてテーブルに着いた頼子は、台所をぐるりと見回した。  四人掛けのテーブルと、古めかしい重厚な食器棚。ちいさなテレビがチェストの上に乗っている。窓は大きく、緑に埋め尽くされた土地と空が見えた。頼子が入ってきたドアとは別の、開け放たれたガラスの障子の先には廊下があり、土間があって勝手口になっていた。土間の端には段ボールが置かれていて、葉野菜の先がチラリと姿を見せている。勝手口の向こうには、離れ屋の縁側が見えていた。 「あんまり田舎なんで、びっくりしたんじゃない?」 「はい、いえ、あの……ちょっとだけ」  アハハと多美子は快活に笑った。 「気を使わなくてもいいのよ。コンビニも外灯もない、買い物をするには車が必須な田舎町なんて、都会育ちの頼子ちゃんにとったら、キャンプに来る場所みたいな感覚なんじゃない?」  ぎこちない笑顔になった頼子に、ほらねと多美子は得意そうに鼻を鳴らした。 「まあでも、だからこそ路子は私に預けようって考えたのかもね。不便だけど、のんびりしている土地だから。たっぷりと羽を伸ばして過ごしてちょうだい。遠慮なんて、しなくていいからね」 「はい。ありがとうございます」  出された紅茶に口をつけ、はつらつとした多美子の様子をじっとながめる。母の親友の多美子は十一年前に離婚をした後、いろいろあって田舎の一軒家を購入して移住をはじめた。どういう理由でここを選んだのか、母に聞いたら「町おこしの一環で、母子家庭を誘致する政策をしていたのよ」と答えられた。そのときは、ただ「ふうん」となんの感慨もなく受け止めたのだが――。 (それだけで、こんな田舎に引っ越しするかな?)  なんにもない場所に引っ越して、不便はないのだろうか。 (キッチンは、新しいけど)  いかにも農家の家といったたたずまいに驚いたが、システムキッチンがあるのならトイレも水洗だろうとホッとする。 (汲み取り式だったらって、ちょっと心配しちゃったけど平気そう)  お店が近所にないだけで、それ以外に不自由はないのかもしれない。 (スマホの電波もきていたし、欲しいものは通販で頼めばいいし)  そう考えると、民家の密集していない田舎の一軒家を、離婚してシングルマザーとなった多美子が選んだのも納得できる。 (きっと、いろいろ言われたはずだから)  近所の人たちにあれこれ詮索されて、親切ごかして同情という名の優越感をにじみだされたら、だれも自分を知らない遠い場所へ行きたいと望むのも無理はない。 (いまの私みたいに)  自分よりもずっとつらかっただろうなと想像しながら、頼子はかつての多美子に親近感を抱いた。  ちっとも内定が取れなくて、がんばって入社した会社に頼子はなじめなかった。仕事ができなかったわけではない。コミュニケーションも取ろうと、がんばってきた。けれど先輩事務員たちが共有している、強固な仲間意識の中に入っていけなかった。  仕事はそつなくこなしていた。優秀とはいえないが、新人としては申し分ない勤務態度だったと思う。言われた仕事だけでなく、気づいたものも率先してとりかかった。わからないところは先輩に教えてもらえたし、ミスも「新人だからしかたない」とカバーをしてくれた後で、きちんと説明もされた。  仕事に関してだけは、とても理想的な職場だった。ただ、それが女子事務員たちのなかでは、おもしろくないと判断された。男性社員に取り入ろうとして、無駄に張り切っている鼻持ちならない新人と決めつけられてしまった。 (わけわかんない)  思い出した頼子の口から漏れた、重たい息が紅茶を揺らす。さざ波を立てた紅茶の赤が、自分の心に帰ってきて憂鬱さが増した。 「クッキー、食べる?」 「えっ」 「おいしいわよ」  立ち上がった多美子が戸棚からクッキーの缶を出して、テーブルに置いた。ふたを開ければ、いくつか減っている。多美子はその中からチョコのかかっているものをつまんで、口に入れた。ニコッとした多美子につられた頼子の指が、シンプルなクッキーに触れる。 (気を遣わせちゃったな)  暗い顔をしていたのだと、頼子は多美子の様子をうかがう。気の毒がっている気配はない。 (きっと、おかあさんから理由を聞いて、自分も似た感じだったなって思い出して、それで私を引き受けてくれたんだ)  申し訳なさと感謝をクッキーに乗せてかじれば、やさしい甘みに泣きたくなった。 (情けないな)  頼子の態度を、上司や先輩に媚びを売っていると判断した女子社員は、男性社員がいないときを見計らって、ちょっとしたいやがらせをしてくるようになった。はじめは気にしていなかったが、それが続くと心が疲弊してくる。男性社員にやさしくされると、いやがらせをされる理由ができるから、迷惑だと考えるようにもなった。それなのに男性社員が事務所からいなくなるのが怖くて、引き止めたくなる。そんな気持ちを乗せた視線が、ますます媚びていると思われて、ささいないやがらせの数が増えていった。  あの人は嫉妬をしているだけだからと、ある日、上司になぐさめられた。気づいていたのかと、頼子はおどろいた。わかっていて、だれもが静観をしていたのかと知った瞬間、ドッと心の張りが崩れた。家に帰ってボロボロ泣いて、どうしたのかと母親に問われるままに、うまく要点をまとめられないながらも、入社からいままでの経緯を語った。 「それって、頼子ひとりがガマンをすればいいって、言っているようなものじゃない」  だれも止めなければ、いやがらせはエスカレートするだけだと、母親はすぐに頼子に辞表を書かせた。頭の中がグシャグシャになっていた頼子は、母に言われるままに辞表を書いて、ハンコを押した。  大きな衝撃がなくても、じわじわと心を削られていたんだなと理解したのは、辞表を出して三週間が過ぎたころだ。ぼんやりと部屋で過ごしていたときに、ふと目に留まった見慣れない置物に気がついた。自分が買ったものだと思い出した頼子は、机に並んでいるふだんの自分なら買わない異国情緒をまとった木彫りのネコの置物に、やっと心が疲弊していたのだと自覚した。  壊れる前に、母に助けられたのだとわかった頼子は、母に感謝を述べて、これからどうしようと不安を告げた。  やっと内定をもらえた会社なのに、一年も経たずに辞めてしまった。そんな人間を、雇ってくれる会社があるだろうか。  母親はニッコリ笑って、とりあえず田舎に行って、のんびり働いていらっしゃいと答えた。資格がなくてもできる、人手の足りない職場があるのと言った母親の明るい顔に、頼子は幼子みたいにコックリとうなずいて了承した。  そしていま、ここにいる。 「あの、おばさん」 「なあに」 「仕事って、なんですか」 「あらっ、聞いていないの?」  きょとんとした多美子の声に「ただいま」と男の声が重なった。 「おかえりなさい」  立ち上がった多美子がガラス障子の向こうに行く。勝手口から入ってきたのは、多美子の息子、弘毅だった。泥のついた長靴姿の弘毅に、頼子の心がドキリと跳ねる。 「いま、頼子ちゃんとお茶をしていたところよ。弘毅もクッキー食べる?」 「ん」  短く答えて顔を上げた弘毅の視線と、頼子の視線がぶつかった。ギュッと頼子の心臓が絞られる。ときめく頼子に、弘毅はなつかし気に目を細めると、長靴を脱いで台所に入った。 「入り口で会ったけど、ちゃんとあいさつできなかったね。ひさしぶり、頼子ちゃん」 「あっ、はい」  思わず立ち上がった頼子は、よろしくお願いしますと頭を下げた。クスクスと多美子が笑う。 「そう緊張しなくってもいいわよ。さ、お茶を淹れるから、弘毅は手を洗って座ってなさい。頼子ちゃんも、座ってクッキー食べてて」 「はい」  座り直した頼子は、手を洗う弘毅の広い背中をぼんやりとながめた。すらりと長い首。スッキリとしたショートヘアは、わずかなクセに跳ねている。健康的に日焼けした肌。ひきしまった腕は、服の下に隠れている肉体のたくましさを連想させる。振り向いて腰かけた弘毅は、はにかみながら頼子に声をかけた。 「入り口では、ろくにあいさつできなくて、ごめんね」 「いえ!」  ブンブンと首を振った頼子の心臓が、ドキドキと高鳴る。やわらかな口調と柔和な瞳に、頼子の背筋がピンと伸びた。 「私こそ、ちゃんとあいさつできなくて、すみません」 「車の中だったから、しかたないよ」 「それだったら、ええと、その……こ、弘毅さんだってそうです」 「弘毅さん、ねぇ」  からかいを含んだ多美子が、弘毅の前にカップを置いて息子の隣に座る。 「もう、こう兄ちゃんじゃないのねぇ」  しみじみとつぶやいた多美子に「そりゃあ、そうだよ」と弘毅がクッキーに手を伸ばす。 「頼子ちゃんも、もう頼子ちゃんって呼ばないほうが、いいのかな」 「いえ、その……そのままでいいです」  むしろ、そのままがいいと頼子は真っ赤になった。あらあらと多美子が笑う。 「そうだ、かあさん。明日は俺、深山さんの手伝いをするから」 「あら、そう? それじゃあ、お昼はあちらでいただくのね」 「あ! あの……私は、明日はどうするんですか」  ん? と多美子と弘毅がおなじ顔をする。 「母から、人手が足りないから手伝いをしてくるようにって」 「しばらく、のんびりしてからでもいいのよ」 「いえ。大丈夫です」 「やることがあったほうが、安心するのかもしれないな」  そのとおりだと頼子はうなずく。 「それなら、さっそく来てもらおうかしらね。なにも難しいことじゃないのよ。お年寄りの話し相手になったり、食事やお散歩の手伝いをするだけだから」 「それは、老人ホームの仕事ということですか?」 「まあ、そんなかんじね。こんな場所だから、若い人が少なくって。話し相手ができるだけでも、心に張りが出るのよ。だから、なにかをしなきゃなんて気負わずに、ただ話の聞き手として、いてくれるだけでも助かるの。資格を持っている職員は、やることがいっぱいあるから。その間に、おじいちゃんおばあちゃんの相手をしてくれる人がいると、ありがたいわ」 「私で、いいのなら」 「頼子ちゃんは、昔から年配の人にモテモテだったから、大丈夫だよ」  弘毅に信頼の言葉をかけられて、頼子はムクムク勇気を湧かせた。 「がんばります!」 「がんばらなくっていいのよ。のんびり、ゆったりが助かるわ。気負うと、お年寄りも緊張してしまうから」 「……はい」  恥ずかしくなった頼子は、チラリと弘毅の笑顔に目を向けて、心を熱く震わせた。
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