17 / 25

母親の気持ち、のようなもの

 仕事を終えてクリニックに立ち寄ると、龍之介さんは待合室のソファに座って雑誌を読んでいた。その膝の上では、リンダとアンナがかわいらしい声を上げながらじゃれ合っている。それを眺めていると心がほっこりと温かくなってきて、ついつい頬が緩んだ。 「ただいま帰りました」  そう言って彼の隣に腰掛けると、子猫たちが甘えた声を出す。彼の膝の上から私の膝へとやって来て、頭を擦り付けながら甘え始めた。 「おなか、減ってるのね」  子猫たちにおやつをあげようと、鞄に手を伸ばしたときだった。 「ご飯なら、さっきたっぷりあげましたよ。だからゴロゴロしているのは、純粋に甘えたいからです」 「あら……」  鞄に伸ばした手を引っ込めたついでに子猫たちを撫でると、おやつにありつけなかったことが悲しいのか、残念そうな声をあげた。 「でも半分だけなら許します」 「ホント?」 「ええ。そうしないと恨まれそうだから」  そう言いながら先生は苦笑して猫たちに目線を向けた。その視線をたどると、それまで甘えていた子猫たちが、すっくと立ち上がり先生を見つめ返している。どうやら子猫たちからの無言の圧力を感じ取ったのかもしれない。 「じゃあ、半分こ、ね」  再び鞄に手を伸ばし、ゼリー状のおやつを取り出した。 「急で申し訳ないんですが、今週やることにしました」  夕食を食べ終えたあと、食器をキッチンへ運ぼうとしたとき、急に切り出された。何のことか分からず、剥いた林檎を食べている彼を見ると、困ったような表情を浮かべている。 「パーティです。友人の一人がね、急な仕事が入ったようで来週海外へ行ってしまうようなんです。それで」 「そう、ですか。仕事なら仕方がないです。結婚式のほうは?」 「結婚式には帰国すると言ってました。どうも半年はロンドンにいないとならないらしい」 「そんなに?」  驚いてみせると龍之介さんは頷いた。甘い林檎の匂いにつられてか、アンナとリンダがリビングから駆け寄ってきた。そして彼の足によじ登ろうとしている。 「また食べるんですか? さっきママからおやつをもらったでしょう?」  ママという言葉を耳にしたとき、心臓がどきんと大きく脈打った。思わず彼に目を向けると、にゃあにゃあ鳴いている子猫たちを抱き上げて、そこから立ち去ろうとしている。甘い果実を食べさせてもらえるとばかり思っていたのに、それから遠ざけられてしまい、子猫たちが悲痛な声で鳴きはじめた。その声を聞くと、まるで彼女たちの母親になったみたいな気持ちになってきて、胸の奥がつきんと痛くなる。 「林檎は植物繊維が多いから、へたするとおなかを下してしまうんです。痛いのは嫌でしょう?」  確かに彼の言うとおりだ。たかが林檎ぐらいと思っていても、基本肉食の猫たちはそれに含まれている植物繊維のせいでおなかを下してしまうこともある。それを知らなかった頃、何も考えずに子猫たちに果物をあげようとしたとき、そう教えられ止められた。だがだからといって、悲痛な声で鳴いている猫たちを放っておくこともできない。猫たちを抱いている彼の背中を眺めているうちに、あることを思いついた。 「林檎は駄目だけど、ミルクを飲ませましょう。といってもちょっとだけど……」  すると彼が立ち止まった。子猫たちはまだか細い声で何かを訴えている。ゆっくりと振り返いた彼は、やれやれといったあきらめ顔で。そして猫たちを抱いたまま、こっちへ戻ってきた。 「そうだね。そろそろ寝る時間だから、ちょっとだけだよ」  猫が人間の言葉をどこまで理解できているか分からない。でも先生を見上げている二匹の子猫たちには、伝わったのだろう。耳をピンと立てて、大きな目をきらきらと輝かせている。私は早速冷蔵庫から牛乳を取り出して、子猫たち用の容器にいれたあと、床に置いた。  すると待ちきれなかったのか子猫たちが、彼の腕の中からぴょんと飛び降りて、ミルクの匂いに吸い寄せられるように一目散に駆け寄ってくる。よほど嬉しかったのだろう。猫たちはぴちゃぴちゃ音を立てながらミルクを飲み始め、その様子を彼と一緒に眺めていた。
いいね
ドキドキ
胸キュン
エロい
切ない
かわいい

ともだちとシェアしよう!