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ペナルティ

「じゃあホームパーティでもしますか」  そう言って婚約者はくすくすと楽しげに笑い出した。仕事を終えて彼のクリニックへ立ち寄るのが日課になっていて、今日もこうして待合室で一緒にいる。診療時間を終えたばかりの彼は藍色のスクラブ姿で缶コーヒーを飲んでいた。 「結婚まで三ヶ月ないですからね。その前に友人たちを集めてホームパーティでもしようかなとは思っていたんですけど。独身の友人たちにとっては出会いの場にもなるし、ちょうどいいかもしれないな」 「あ、あの、龍之介先生……」  いきなりホームパーティの話が飛び出してきたものだから焦ってしまう。ちょっとこじゃれた居酒屋で数人集まり、そこで酒を飲みながらわいわいやるのとでは次元が違う。そちらの方に軌道修正しようと恐る恐る呼びかけると、彼が苦笑した。 「麻音子さん、先生がついてますよ」 「あっ……」  龍之介先生は「先生」と呼ばれることが苦手らしい。お付き合いを始めてすぐの頃、「先生」をつけないでほしいと頼まれていた。だけどつい先生をつけてしまい、そのたびに彼は苦笑するばかり。そして最近ではそれをつけると、ペナルティが待っているのだ。それはそれは甘いペナルティが。 「ペナルティ、いただきますよ。目を閉じて」  彼が体を起こし顔を近づけさせてきた。どきどきしながら瞼を閉じると、彼の匂いも近づいてきた。腕を軽く掴まれ無意識のうちに顔を上向かせると、唇を重ねられた。唇の表面をなぞるように乾いた唇が動いていく。それが終わると、唇を食むようにされて軽く引っ張られた。そして音を立てながら唇にキスされているうちに、酒に酔ったようにぼうっとなってくる。そればかりでなくくらくらとしはじめ、気づけば彼の腕を掴んでいた。  ひとしきり唇を味わって満足したのか、彼がゆっくりと唇を離していく。唇に彼のあたたかな息が掛かり、離れていくのを実感させられた。それと同時に寂しさを感じてしまい、無意識のうちに彼の唇を追いかける。するとちゅっと音を立てて吸い付かれてしまい、唇の表面がわずかに濡れた。頬が熱い。肌がじんじんと火照る。今まで何度も同じことをしてきているはずなのに、未だに慣れないし恥ずかしい。龍之介先生は唇は離したけれど、私の腕を掴んだままじっとしている。どんな表情を浮かべているのか気にはなるけれど、恥ずかしくて目を上げられなかった。 「そういえば、お父さんの出張は来週まででしたよね」  龍之介先生が低い声で尋ねてきた。薄く目を開いたはいいけれど、伏し目がちになってしまう。 「は、はい……」 「そう、ですか。じゃあお父さんが帰ってくるまで、ここで一緒に……」  ココデイッショニ? 龍之介先生から聞かされた言葉の意味が分からず、それを聞こうとして目を開く。するとそれに気付いた先生が、笑みを浮かべ私を抱き寄せた。スクラブ越しに体温が伝わってくる。消毒薬と薬のにおいがした。私は何が起きているのか分からず、ただ瞬きばかり繰り返している。 「せ、先生?」  顔だけではなく全身が一気に熱くなり、早くここから逃げ出したかったけれど、こんなときに限って体が動かなかった。それに先生の大きな手が背中をしっかり押さえつけている。そのままじっとしていると、先生が私の背中をぽんぽんと軽くたたき始めた。 「こら。また先生って言ったね」 「だ、だって……」 「だってじゃないです。一年前にお願いしたはずです。先生はつけないでと。それなのに……」  落胆が滲んだ声を耳にして、胸が痛む。 「すみません。つい……」  私たち以外誰もいない待合室はしんと静まり返っていた。そんななかで抱き合っているのだが、先生の体が先ほどよりも熱を帯び始めていることに気が付いた。 (えっと……。どうしよう……)  もう二十六だし、男性がこのような反応を示している理由を知らないわけじゃない。とはいえその気になってしまった男がそのような状態になることを教えてくれたのは、今抱き合っている先生なのだけれど。どうにも居たたまれない気持ちで、じっとしていると先生が少し掠れた声で呟いた。 「二度目のペナルティ、いただいていい、かな?」  言いにくそうに話したあと、先生が少しずつ体を離し始めた。向かい合った形になってすぐ、彼の顔が再び近づいてくる。私はこの間ずっと瞼を閉じたままで、彼の気配が近付くのを、ドキドキしながら待っていた。  するとそのとき勢いよくドアが開いた音がして、驚きの余り瞼を開くと、先生と目がかち合った。 「先生! 大変! シンディが!」  子供の泣き叫ぶ声がして、先生と私はその声がした方へ目を向けた。すると小学生くらいの男の子が泣きながら、入り口でへたり込んでいる。どこからどう見てもただならぬ気配がして、それに気付いた先生は、すぐさまその子の側へ駆け寄った。 「翔平くん、どうした。シンディが大変って……」 「急に動かなくなって、苦しそうにしてるんだよ……」 「そうか、分かった。ほら立って。一緒に行こう。麻音子さん、受け付けのところにある往診カバン持ってきてくれますか?」  先生は泣きじゃくる翔平くんを宥めながら、私に問いかけた。私はすぐに受け付けの側に置いてある大きなカバンを手に持って、先生に手渡した。 「これから往診に行ってきますので、二階で待っててください」 「はい、分かりました」  そう応えると、声を潜めて彼が告げる。 「あと、それから。帰ってきたらお医者さんごっこしましょうね」  オイシャサンゴッコ? 何のことやら分からず、私は先生を見つめたまま瞬きを繰り返した。すると先生は笑みを浮かべた後そのまま翔平くんとともにクリニックをあとにした。
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