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第五話

「こら、なにを馬鹿なことを言っている!」  クレアの声が思いのほか響くことに、ボードンは焦った様子を見せる。親密さを装うためか、クレアの細腰をぐっと引き寄せ耳元に唇を寄せてきた。 「いけない子だ、そんなふうに声を上げて。いくら舞踏会に退屈したからと言って、そんなやり方で他の男の気を引こうなんて褒められた行いではないよ」  男性が足を止め、こちらをじっと注視してきたので、ボードンはわざと猫なで声を出した。臍を曲げた恋人をなだめるような仕草だが、クレアからしたら気持ち悪いことこの上ない。  彼女は必死に身をよじり、冷や汗の滲む顔を男性に向けた。 「違います、そんなんじゃなくて……! 本当にいやなの! 手を離してッ!」  その瞬間、目の前の男が素早く動き出す。  クレアの腕を取り、細い身体を自分の胸に引き寄せると、ボードンの腹を思い切り足蹴にした。 「うげっ!」  硬い長靴の底ででっぷりとしたお腹を蹴られ、ボードンは無様に床に倒れる。乱暴なやり方にクレアは息を呑むが、男はそれだけでは止まらず、なんと腰に佩いた剣を抜き放った。  磨き込まれた銀の刃が、ボードンの喉にまっすぐ向けられる。白人の輝きを前に、ボードンは首を絞められた鶏じみた声を出した。 「国王陛下主催の舞踏会で、いたいけな婦女子に乱暴を働くなど無礼千万。すぐに退場するがいい」 「な、なにを……! わしは乱暴などしておりませんぞ! その娘は婚約者で、聞き分けがないのを咎めていただけで……」  ボードンの反論は次第に尻すぼみになる。男が鋭い眼光でボードンを睨みつけたからだ。 「いずれにせよ、騒ぎを起こそうとしたのは確かだ。早々に立ち去るがいい」 「ぐっ……」  ボードンは悔しげに顔をゆがめたが、ここで騒いではよけいに立場が悪くなると踏んだのだろう。這々の体で立ち上がり、そそくさと出口へ走って行った。 「――怪我はないか?」  ボードンの姿見えなくなったところで、男が声をかけてくる。  ずっと彼の腕の中に閉じ込められていたクレアは、ハッと我に返った。 「あ、だ、大丈夫です。お手数を……あっ」  慌てて男の腕の中から抜け出すと、腰が抜けてその場にへたり込んでしまった。  ふわりと広がったドレスのスカートの中で、両足がガクガク震えている。同じように震える手を握り込み、クレアはぎゅっと目を閉じた。  恐ろしかった。叔父夫婦からもつらく当たられてきたクレアだが、直接的な暴力や、強引な力にさらされたことがなかったので、男のひとの力があれほど強いと知らなかった。  あのまま引きずられていったらどうなっていたかと思うと、恐ろしさに涙まで込み上げてくる。  それでも無様に泣き出すわけにはいかない。目尻に浮かんだ涙を急いで拭いて、クレアはおずおずと顔を上げた。 「助けていただきありがとうございました。わたしは――」  名乗ろうとしたクレアは、とっさに言葉を呑み込んでしまった。  こちらをじっと見下ろす青い瞳に、目だけでなく、心も惹きつけられたせいだ。 (なんて澄んだ瞳の色……)  回廊のあちこちには明かりが灯されているが、それでも昼よりは薄暗い中だ。その中にあっても、なお宝石のごとく輝く瞳。クレアはつい、ぼうっと魅入ってしまった。 「……立てるか?」  そんなクレアにどう思ったのだろう。少しの沈黙と見つめ合いののち、男がぽつりと呟いた。  クレアはハッと我に返る。 「は、はい! ご迷惑をおかけして……っ」  いつも着ているシンプルなドレスと違い、幾重にも襞を持たせたスカートは、へたり込んだ状態で捌くのは難しい。まごまごするクレアを見かねてか、男は大きな手をクレアの細腰に添え、彼女をぐっと引き起こした。 「わっ……!」  勢いよく持ち上げられて、両足が宙に浮く。その状態でふわりと立たされると、スカートの柔らかく広がって、クレアはたちまち赤面してしまった。 「す、すみません、お見苦しい姿を……。お手数をおかけいたしました」  スカートをしっかり抑えて、クレアは深々と頭を下げる。そして改めて男を正面から見つめた。  今になって気づくが、男が着ているのはきらびやかな夜会服ではない。白を基調とした軍服だ。  入り口に立っていた衛兵より格段に立派な装いから、彼が騎士であることが察せられる。  王宮内では騎士でも基本的に剣は持てないはずだが、帯刀しているということは、きっと王族の新編を護る近衛騎士なのだろう。  騎士の中でも近衛騎士を名乗れるのは、身分も高く血筋が確かな者ばかりだ。  成り行きとは言え、普段であればとうてい言葉を交わすこともない高貴な方に助けていただいたのだと気づいて、クレアはたちまち恐縮した。 「あの、舞踏会なのに騒ぎを起こしてしまってすみませんでした。わたしもすぐに立ち去りますので……」 「……そうは言うが、帰りの足はあるのか?」 「あ……」  当然ながら、ボードンは自分の馬車に乗って帰ってしまっただろう。そうなるとクレアは歩いて帰るしかなくなる。普段の装いならともかく、こんな格好で夜遅い中を伯爵邸まで帰るなど、不用心にもほどがあった。  それでもここに泊まり込むわけにはいかないのだから、そうするしかないだろう。  だが……クレアは思わず顔を曇らせた。  無事に屋敷に帰り着いたところで、ボードンを怒らせたことを、叔父夫婦にどれほど責められることか。責められるならまだいい。仮に婚約が破談になったりすれば、これまで以上につらい仕打ちが待っているはずだ。  そう考えると気持ちは沈むが、いずれにせよ、帰って事情を説明しなければならない。  肩がずっしり重たくなるのを感じつつ、クレアは努めて笑顔になった。 「はい、大丈夫です。申し訳ないのですが、出口がどちらかだけ教えていただけますか?」 「……それならば、こちらだ。案内しよう」
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