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第5話「強がり」

 受話器越しに聞こえてきた声音に、ぞくりと身を震わせた。  息を飲みこんで、呼吸を整える。  彼が漏らした呟きを頭の中で繰り返す。 『……来週まで待てない。今すぐ会いたい』  平静を保つのに必死になった。  切羽詰まった声音が、心の琴線を掻きたてる。 『沙矢…… ? 』  どうやら、思案に暮れる時間が長かったようだ。  怪訝そうに聞き返す声に、 『私も会いたい……』  どうにか告げた。涙声になっているのは気づかれたかな。 『今から、迎えに行く』  ぷつり、途切れた電話。  ツー、ツーという音だけが響いている。  呆然と立ち尽くしていた。  あんな風に求められるなんて、これが現実かどうか分からなくなる。  この部屋で、抱かれてから、まだ日は経ってはいない。  再会してから、未来も見えないまま関係を重ねていた。  さっさと着替えることにした。  シフォン生地の白いワンピースをクローゼットから取り出し、鏡の前で体にあてる。  こんな私が白い服を着るなんてと苦笑する。  青への純潔を守っている証。何色にも染まらない意思表示だった。 スカートの部分にフリルがついていて可愛らしい服だ。  この間見せたら気に入ってくれたので、これにしようと思った。  ハンドバッグを手に、そわそわと部屋を歩き始めた。  約束は破らないと思うが、二人の関係のせいで、完全に信じきることはできなかった。  チャイムの音がし、慌てて開けると彼がいた。  どこか疲れた表情をしているが、衣服の乱れなどは何一つない。  すっきりとダークグレーのスーツを着こなし、同系色のネクタイをしめている。  童顔というわけではなく、年相応に大人びているのだが、  歳の差を意識させない人だと、今更ながら気づく。  会社にいる彼と同じ年齢くらいの男性と比べても、若々しい。独特の雰囲気を醸し出していた。 「……どうかしたのか。行くぞ」  手を差し出され、掴むと引っ張られるように外へ出た。  慌てて鍵をかけると、青の側に立つ。  掴まれた手首に少し力がこもっていた。  それでも歩幅は合わせてくれていて、ゆっくりと隣りを歩くことができた。  横顔はとても切なくて、見ていると胸がしめつけられる。  車に乗り込んで、一息つくと、青が唐突に話しかけてきた。 「……今日は、あまり気づかってやれないかもしれない」  どういう意味か分かってしまい、心臓が跳ねた。 「……いいよ」  余裕がない所を見せられて嬉しい以外の気持ちは浮かばない。 「……無防備すぎる」  じゃあ、どう言えばいいの?  口に出さず飲みこんだ言葉を噛みしめる。  何も言わずに乱暴に触れたらいいじゃない。  自棄になりかけた気持ちを抑えこんだ。  車は、高速の入口を突き進む。  それから、目的地まで一切会話はなかった。  外から、車を開けてくれた手を取り、外へ出る。  そびえ立つホテルを見上げていると、少し前にいた彼が名前を呼んだ。 「沙矢」  早足で歩を進める。  大人の女性は、子供のよう駆け出したりしないだろうから。  興奮して、辺りを見回すことを危うくしてしまいそうになるが、踏みとどまる。  一歩後ろから歩いて、中に入る。  予約していたようで、フロントに行くと青はすぐ鍵を受け取っていた。  差し出されたのは、腕。  一瞬目を泳がせたが、そっとその腕につかまった。 錯覚でも恋人のような夢を見させてくれる。  ぼんやりと、寄り添ってエレベータに乗りこむ。  ずいぶん上の階のようだ。 「……どうして会いたいって思ったの? 」 「理由がいるのか」 「……来週まで会えないと思ってたから」  ふう、と息をつかれて、どきっとした。  煙草の匂いが微かに香る。染みついてしまっているのだ。  車内では決して吸うことがないのは車を汚したくないからではないだろうか。  ボンネットが丸みを帯びたデザインが印象的な車は、かっこよくてそして目立つ。 「……俺も会わないつもりだった」 「青……っん」  いきなり荒々しく口づけられ目眩いがした。  舌が絡んで来て、解けないまま縺れあわせる。  壁際に追い詰められ、腕をつかんで拘束されている。緩やかな束縛。  性急な口づけに、唇がわなないていた。  がくん、と腰が砕けて、ずるずると壁を滑っていく背中を力強い腕が抱きとめる。  エレベーターが、目的の階に到着したのを告げ、抱きあげられて降りた。  首筋に腕を伸ばすと、ますます強く抱かれた。  誰も見てはいないのを確認しているからできるのだと思えば彼は冷静だ。  部屋の扉が開き、中へ入ると、すたすたと歩いていく。  揺れる視界が捉えたのは広いベッド。  すとん、と下されて、青が背中を向けた。 「……先にシャワー使わせてくれ」 「うん」  送り出して、息を吐き出す。  私が先に使わせてもらうことばかりだったが、今回は珍しい。  彼が取った部屋なのだから自由にすればいいのだけれど。  ぽす、んとベッドに寝転がる。柔らかくスプリングが弾んだ。  土曜日の夜を独りで過ごすことが減って、不思議だった。  好きも、愛しているも、いらない。それがお互いの自由を奪うことになるのなら。  うつぶせになってシーツに腕を伸ばした瞬間、大きな手が触れてきた。 「っ……」  重なった手のひらが熱い。驚いて声も出ない。 「シャワー、空いたぞ」  起き上がらせてくれる腕に甘えた。  歩いていけばいいのに、駆け出してしまう。  恥ずかしくていたたまれない。  急いで服を脱いで、浴室のドアを開ける。  こもった熱気のおかげで、体を震わせずにすんだ。 「……心臓に悪すぎるのよ」  熱い飛沫を浴びながら、髪をかきあげる。  ボディーソープを泡立て念入りに体を洗った。  首を反らせてシャンプーをする。  全部洗い流して、外に出る。  バスタオルで体を拭いていると、脱衣籠にバスローブがあるのに気づく。  着てみるとしっとり肌になじんだ。  髪を拭いて、急ぎ足で部屋に戻る。  照明は落とされていて、ベッドサイドのライトだけ点いていた。  光に照らし出されたベッド。  シーツの中に大きな塊があり、長い足がシーツの裾から覗いていた。  ぞく、とするほど綺麗な素足に見とれ、そわそわと近づいていく。  ベッドの側で足を止めた時、腕が伸びてきて引きずり込まれた。  どく、どくと音を立てる心臓。  気づけば、組み敷かれていて真上から、青が見下ろしていた。  キスが重なる。  息もつけないくらいの口づけは角度を変えて降り注ぎ、  誘われるまま背中に抱きついていた。吐息が、熱を増す。  舌が、掬いとるのは、私の舌と唾液。  零れ落ちるくらい、淫らに深く口づけて、世界を塗り替えていく。 「っ……は」  唇が離れた時、無意識で息を吐き出した。  バスローブが解かれる音。  シャワーで火照っている肌を見られている。  薄明りだが、完全な暗闇ではないのだ。  腕を交差し、胸を隠し、膝を立てて隠そうとしたが、押さえこまれて、呻く。 「……せっかくそんなに綺麗なんだから隠すなよ」  言葉は優しいのに行動は、半ば強引。  部屋に入った途端襲いかかったりしない彼は、理性を保っているのだろうけれど。 「綺麗だって思ってくれるの? 」 「……ああ、何でそんなに全部が綺麗なんだ? 」  苦笑い。 「……あなたの方がよほど綺麗じゃない」 「いつまで幻想に酔っているつもりだ」  え、と声をあげかけたところで、耳朶を噛まれた。  きつく、歯を立てられ、舌が滑る。  ぞわぞわ、と肌が粟立ち、足元から震えてきた。  踵が、シーツに擦れる音。 「あっ……っ」  耳の中に入ってきた舌。  左右の耳を行き来し、湿った音を響かせる。  手のひらに包まれたふくらみの先が尖っていた。  無造作に揉みしだかれ、声を上げる。  頂きを弾きながら、揉まれる胸。  指先が、肌の上を辿り下りてゆく。  太ももの辺りで円を描いてさすられている。  攻められ続けて、今にも屈服してしまいそうだ。   「ふ……う……っ」  つ、と宛がわれた歯。甘噛みの後、唇に含まれて吸われる。  腫れ上がった頂きは、固くもてあそばれてもしぼむことはない。  割れ目に沿って撫でる指。ぬるりと、湿った音が響いた。  薄く開いた唇からは、甘い吐息が紡がれ続ける。 「わ……たし」 「何だ? 」 「ひゃあ……っ」  侵入した指が、ごつごつとした場所を探る。  つぷ、とより生々しく音がしていて、目を瞑った。  赤らんだ顔もあられもない表情も、全部、彼がもたらしたもの。  行き来する長い指。  吸われたと同時に、指で奥を突きあげられ、低い声でうめいた。  もう、何を言おうとしていたかすら、どうでもいい。  彼が作り上げる世界で生きられて、リアルに生を感じられる。 「……確かな今があるじゃないか」  声がしたのは秘所のそば。息がかかって、身をくねらせる。  さら、と髪が茂みに触れた次の瞬間、蕾にキスを受けた。  小刻みに動く舌が蜜を舐めとる。  崩れ落ちていくまで、わずかな時間だった。  意識が白く濁り、現実から引き離される。  ぼうっと瞼を開ければ、髪を撫でられていた。  くすぐったい気持ちと泣きたい気持ちと半々だ。  ひどく優しい彼に、惑わされて惹きつけられる。 「青? 」  髪を撫でる動きが止まり、食い入るように見つめられる。  うつ伏せになっていて、彼が上になっている。  熱い昂ぶりが腰に触れて、呻く。薄い膜越しでも熱は感じるのだ。  欲しくて、しょうがない。我慢できない。 「……来て……」  ねだって、大胆に腰を突きだした。  入り込んできた彼が、奥を揺さぶる。  一度動きを止めた後縦横無尽に腰を繰り出してきた。  途切れ途切れに喘ぐ。  手首を掴まれ、視界が揺れる。 「はっ……あ……っ」  出這入りされて、蕾に擦れる。  過剰な刺激に、受け入れているそこが、疼く。腰を振ってしまう。  感じあえていると思えて、笑みが浮かぶ。  愛を置き去りにして交わって、汗も体液も交歓して、  けだものみたいなのに、もっと、されたくてたまらない。  青自身が跳ねて、注がれる熱い滴。  ぐったりと身を伏せて荒い息を吐き出す。  覆いかぶさってきた青が、手を強く握りしめた。 (好き……大好き……あなた以外いらないの)  腕の中に引き寄せられたのを感じ、安堵して眠りに落ちた。  目が覚めた時、案の定青はいなくて書き置きが残されていた。 『俺は先に帰るけど、ゆっくり休んでから帰るといい』  書き置きの上には、紙幣が置かれていて、びくっとした。  先に帰ることの罪滅ぼしとでも言うつもりだろうか。  置いて帰る罪悪感は、あるらしい。  忙しい合間に、私が少しでも彼の慰めになれているならいいんだ。 いつか、彼は自分のことを話してくれたらなと願う。 「……素直にありがとうと言っておくわ」  内心は複雑だけれど、別に愛人関係でも何でもない。  単なる交通費で、深い意味はないのだと判断した。  ベッドの中にいると愛されている気がする。  彼がほとんど自分のことを話さなくても、受け入れてもらえることは単純に嬉しい。  馬鹿な女になり下がっていることは自覚している。  シーツの温もりはすでに私一人のもの。それでも掻き抱いてしまう。  僅かに残った煙草の匂いを吸いこんで、うっとりと目を細める。  気持ちを伝えなければ、側にいられるのならこのまま続けよう。 「いいでしょ? 」  独り言は誰も聞くことはない。  気遣ってやれないと断りを入れながら、十分優しかったあの人は、  自分が離れられなくさせていることに無自覚なのだ。  藤城青は、傷口に優しさという毒を塗る恐ろしい男だ。  だから、またはまってしまう。  こうなったら、いくところまでいくしかないのだろう。
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