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第五話

「どうなさるおつもりじゃ。火龍殿」  しゃがれた声が背後から聞こえてきて、火龍は振り返った。そこには、見事な白髭を蓄えた老人が立っている。藍色の上衣の裾を引きずりながら、背の低い老人が柳の木の側に立っていた火龍に近づいてきた。白髪を高い位置で結わえた老人は笑みこそ浮かべてはいるが、火龍を見る目は鋭い光を放っている。  火龍は柳の木の向こう側に広がる光景を隠すように、老人に向かい合った。老人は火龍が幼き頃より守り役を務めてきた男である。そして火龍の一族の中で最高齢を誇っているため、皆からは尊敬を込めて老師と呼ばれていた。老師から尋ねられ、火龍はわずかに顔を顰めさせる。 「どう、とは?」 火龍からの返事が予想通りのものだったからだろう。老師はほくそ笑みながら、目の前に立っている火龍の背後に目をやった。柳の木の向こう側には、三娘が住まう清明殿が見えている。それを確かめた後、老師は自慢の白髭を撫でながら、厳しいまなざしを火龍に向けた。 「三娘さまじゃ。あのお方をどうなさるつもりじゃと聞いておる」  厳しい口調で問われてしまい、火龍は答えざるを得なくなった。 「このままにしておくしかあるまい。あのものはこうなることを承知したのだから」  言い捨てるようにしたあと、火龍はその場を立ち去ろうとした。それは、老師からこれ以上の詮索を受けたくないからだった。しかし老師は、それを見越していたのだろう。あえて火龍の前に立ち塞がってにらみ付けた。 「だからといって、あのままにさせておくつもりか? 答えよ、|甚《じん》」  甚とは火龍の真名である。それを呼ばれてしまい、火龍は立ち止まった。それまで無表情だったはずなのに、悔しそうな表情になっている。  三娘をこの城に住まわせたときから、いつかは老師に問い詰められることを覚悟はしていた。しかし、だからといって素直に答えるつもりはない。この胸の奥に秘めた思いは、誰にも知られたくないものだから。それに、何より火龍自身迷っていることがあるから、老師に何も答えられないのだ。火龍は口を閉ざしたまま、もう一度老師の方へ振り返る。 「では、どうしろと?」 「花嫁と定めし先代がおらぬ今、そのまま人界にいてもらった方がよかったのじゃ。なぜ、そうせなんだ」  確かに老師の言う通りだが、やむを得ない事情がある。それを老師に説明すれば、三娘をこの城に住まわせる理由も納得もしよう。そう判断した火龍は、三娘を仙界に連れてきた理由を説明することにしたのだが、全ての説明をし終える頃には老師から鋭い視線を向けられていた。それに居心地の悪さを感じてしまうのは、全て己の短慮から来ていることを分かっているからだった。もしもあのとき、兄の本意をくんでいたならば、三娘は火龍の花嫁として一族に迎え入れられていたであろう。それを思うとつらかった。 「あのものは兄を待ち続けた。その一途さに応えねばなるまい。その約束さえなければ、違う幸せを掴んでおったやも知れぬし、それに……」 「そなた、もしや悔いておるのではあるまいの?」  老師から言い当てられてしまい、火龍は言葉を詰まらせた。それに気づいたのか、老師は深いため息をついた後、低い声で話し出す。 「あのままであったらなら『火龍』の力は奪われておっただろうし、あのお方だって殺されておった。そなたがやったことは正しかったのじゃ。だから、そなたを責めるものはただの一人として一族の中にはおらぬ」  老師はそうは言うけれど、兄を手に掛けたことに変わりはない。火龍の名跡を継いだ兄を守ろうとして武勲を重ねてきた弟としては、その兄を殺して名跡を継いでしまったことがつらくて仕方がなかった。それに、三娘を悲しませてしまったこともつらかった。自分が兄を殺していなければ、彼女はずっと待ち望んでいたとおり兄の伴侶となっていたのだから。火龍は募る後悔に耐えきれず、顔を苦悶に歪ませる。 「ただ、そなたにつらい思いをさせてしまったことに変わりはないの……」  老師はつらそうな顔でまぶたを閉じた。そして、無言のまま物思いに耽りだした。  重苦しい沈黙が二人の間に広がって、それにも耐えきれなくなった火龍がそこから離れようとしたときだった。 「そろそろ御自分を許しなされ。そしてあの方を花嫁として迎えなされ」 「それはならぬ」 「ならば、何ゆえあのお方をここへ留めなさった」 「先ほども申したであろう。結婚の約束を反故にしたまま人界へ置けば、あのものは望まぬ縁で縛られる。それを避ける為じゃと」 「それを避ける為ならば、何もこの城でなくともいいではないか。そうさな、例えば瑶池(ようち)の王母さまに預けることもできたであろうに」  どこまでも問い詰めようとする老師に、火龍はうんざりした顔を向けた。 「いずれお預けするつもりじゃ」  瑶池の王母とは、すべての女仙たちを統率する立場にある西王母(さいおうぼ)のことである。火龍の一族は、仙界の貴人たちを守護する役目を東海龍王から仰せつかっている。王母は、その一人であった。  王母が暮らす地は、この城の奥にそびえ立つ崑崙山の頂上だ。そこならば、三娘の年に近い仙女たちも多いから、ここにいるより気も紛れるであろう。火龍はそう考えていた。しかし、そう頭では分かっていても、心が邪魔をした。三娘に対する思慕を振り切るように、火龍は事もなげに告げる。 「仙界(こちら)での暮らしに慣れるまでこの城に置くが、いずれは王母さまにお頼みするつもりじゃ。だから……」 「そういえば、そなたに言っておかねばならぬことがある。火焔の宮におわす湖青(こせい)姫をお呼び申し上げた」  言葉を遮るように老師が告げた言葉のせいで、火龍は言葉を詰まらせた。湖青とは、火龍のすぐ下の妹である。 「湖青を呼んだ?」 「御意。湖青姫ならば三娘さまともすぐに打ち解けるであろうし、何よりその御身を守ってくれるはずじゃ。龍はか弱きものを守る性分を持っているゆえの」  にやりと狡猾そうな笑みを向けられて、ようやく老師の企みに気がついた。火龍は苦虫をかみつぶしたような表情を老師に向ける。しかし、老師は全く動じていなかった。 「何を企んでおるのじゃ、老師よ。余計な真似はするでない。湖青を呼んだところで、何かが変わるわけでもない」 「そうかの。湖青姫ならば、良き話相手にもなろう。そなたと違って面倒見がよい姫じゃからの」  矍鑠たる老人は、たっぷりとした白髭を満足げに撫でながら話を続けた。 「ただ問題はおぬしじゃ。くれぐれも城内で兄妹喧嘩なぞされるなよ。城が壊れるでのう。もちろん城を壊したら、そなたがしっかり修理するのじゃぞ」  そう言いながら老師は、満足げな笑みを火龍に見せたのだった。
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