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龍の根城 2

「三娘さま、この薄紅のものをお召しくださいませ」  侍女が差し出した薄物の上掛けを、三娘の側に控えていた別の侍女たちが手に取り彼女の華奢な肩に掛ける。  柔らかな布が白い肌に重ねられた。すると侍女たちが一斉に顔をほころばせ、甲高い声を上げる。 「やはり|濃紅《こいくれない》の着物の上掛けは薄紅がよろしいかと。かわいらしさが引き立ちまする」  薄紅の上掛けを差し出した侍女が嬉しそうな顔を見せた。だが別な侍女が三娘の足元に置いていた紫色の薄物を手に取り、しょんぼりとした顔をする。 「襟に桃の花が縫い取られたこちらの方が可愛らしいと思うのですが……」 「そのお色なら、お着物のお色をもう少し淡い色にするか、同じ紫の方がよろしいかと」 「でも、この桃の花のお色の着物なら……」 「そうね、ではそのお色の着物を探しましょう」  そう言って侍女たちはいそいそとその場を立ち去っていった。三娘はその様子をぼんやりとしながら見つめている。彼女にとって着物の色などどうでもよかった。それなのに侍女たちは盛り上がっている。侍女たちが色めき立っているのにはちゃんとした理由があるのだが、それは三娘は知る由もない。  三娘は色とりどりの衣装がひしめく部屋に立ち尽くしたまま、部屋を見渡した。部屋に揃え置かれた調度品はどれもみな豪華な装飾が施されている。贅を尽くした家具たちに囲まれていると、自身の居場所ではないような気がしてどうにも落ち着かなかった。  幾ら国の役人とはいえ、三娘の実家である宗家は経済的にさほど恵まれた家ではない。必要最低限の家具しか揃っていなかったけれど、それらは皆とても頑丈で実用的なものだった。家だってあちこち痛んでいたけれど、雨露を凌げる分には申し分がない。それになんといっても心優しい父親とともに暮らした毎日は、とても満ち足りたものだった。  だが今は豪奢な部屋で、芸術品とも思える調度品に囲まれて暮らしている。時間になると侍女が運んできてくれる食事も、国にいたときには口にしたことがない贅沢なものばかりだった。それに辺り一面に広げられている衣装だってそれはそれは見事なもので、まるでこの世の花々をかき集めたようになっている。だが三娘の心は重く沈んでいた。  |仙界《ここ》へ来てから、もう何日経ったか分からない。朝目覚めたときから侍女たちに囲まれているけれど、三娘は孤独を感じずにはいられなかった。自らが決めたこととはいえ、国からも父親からも離れた場所で生きていかなければならない事実は、どんなに豊かで恵まれた場所でさえもつまらないものに変えてしまうものらしい。  水盆を見ては涙ぐみ、それ以降はずっとふさぎ込んでしまう三娘を、侍女たちはどうにかしようとしているのだが、かなり厳しい状況だった。 「三娘さま。お待たせしました」  そう言って部屋にやってきた侍女たちは、三娘に似合いそうな華やかな着物を携えている。だが三娘はその着物を一瞥もせずに物憂げな表情を浮かべていた。 「そう言えば三娘さま。明日、こちらに|湖青《こせい》さまがいらっしゃるようです」  初めて聞く名前に、三娘は僅かに首を傾げて見せた。侍女たちは広げた着物を片付けながら、彼女に話しかける。 「湖青さまは火龍さまのすぐ下の妹姫で、とても明るいお方ですの」 「そう、ですか」 「ええ、とても快活な方で、火龍さまと同じくらい武芸に秀でた方ですの。ね、みんな」  侍女が誇らしげに話しているのを、三娘はぼんやりと聞いていた。すると違う侍女が付け加えるように話し始める。 「でも火龍さまよりも社交的な方ですし、きっといいお話し相手になると思いますわ。火龍さまは根っからの武人ゆえ女性の扱いには長けておらぬお方ですもの、ねえ」  そう言いながら侍女たちはくすくすと笑い始めた。このときふと先代の火龍の姿が頭に浮かび、三娘は一番側にいた侍女におずおずと問いかけた。 「あの、そう言えば、先代の火龍さまはいつお亡くなりに?」  するとそれまで笑みを浮かべていた侍女たちの顔が、みるみるうちに陰りだした。 「三娘さま。あの、実は申し上げにくいことなのですが、ここでは先代様のお話は禁じられておりまするゆえ、御容赦を……」  急に顔を曇らせながら、言いにくそうにしている侍女の姿に、三娘は疑念を感じずにはいられなかった。 「火龍殿。ぬしの番じゃ」  老師のしゃがれた声がして、火龍は碁盤を見つめたままハッとした顔をする。視線を感じそれを辿ってみると、老師が怪訝そうな顔で見上げていた。 「どうした、ぼうっとして」 「いえ、別に……」  そう言って火龍は無表情のまま、持っていた黒い碁石を盤上に乗せた。すると老師に厳しい一手を打たれてしまい、このままでは負けてしまうことに気が付いた。  囲碁は盤上の戦争だ。黒と白の碁石を用いて互いの領土を増やしていく。稀代の戦上手とうたわれている火龍ならば、そうやすやすと老師に負けることはないのだが、このときばかりは勝手が違っていた。 「なんじゃ、その手は。つまらんのう」  顎に蓄えた見事な白髭を撫でながら、老師は不満げに漏らした。だが碁盤を挟んで向かい側にいる火龍は、それに動じず粛々と盤上を見つめている。それが気に入らないのか、老師はとどめを刺すように問いかけた。 「大方、三娘さまのことでも考えておったのじゃろう。意気地のないやつじゃ」  火龍をにらみ付けながら、老師は白い碁石を盤上に乗せた。火龍は金と銀の双眸を細め、険しい顔をする。だがそれに全く動じもせずに、老師は畳みかけた。 「ぬしの気持ちさえ変わっておらねば、そのままそなたの妻にすればよいものを」 「しかし三娘は兄上と約束を交わしておる。あの赤い玉がそのしるし」 「じゃが、それは壊れた」  ひと際厳しいまなざしを向けられて、火龍は窮してしまう。確かに先代が贈った玉は木っ端みじんに砕け散ったからだ。それに――――。 「しかもその玉に込められた先代の想念が三娘さまとおぬしを呼んだ。それは間違いなく―――― 「老師よ。もうよい。この話は終わりだ」  老師が話し終えるのを待たず、火龍は言い捨てるように遮った。老師が何を言わんとしているのか分からないわけではない。確かにあの玉に込められた先代の念は、三娘を仙界へ呼び寄せた。それと同時に火龍をもそこへ向かわせたのは誤魔化しようもない事実で、それが何を意味しているのか分からない火龍ではない。だがそれは決して許されないことだった。  一見何を考えているのか分からぬ無表情の裏で、火龍は苦悩し続けていた。老師が勧めるように、三娘を己が花嫁にしたい気持ちがないわけではない。だが真実を伝えることなく花嫁に迎えても、ずっと罪悪感に捕らわれる。それに彼女が真実を知ってしまえば、間違いなく憎まれるだろう。それが分かっているだけに、火龍は三娘にどう接すればいいのか分からなかった。  何も仙界に連れ帰らずとも、あのままそっとしておけばよかったものをと火龍は心の中で自嘲した。そうすればこのように心が乱れることなどなかったのに。敗色が濃厚となっている様が見て取れる碁盤を見下ろすと、向かいから老師がため息交じりに話し始めた。 「お寂しいのやもしれませぬのう……」  何のことやらわからぬ呟きが聞こえてきて老師を見ると、碁盤を見下ろしていた。 「女官たちが申しておった。このままでは、身罷ってしまうやもしれぬと」 「は!?」 「食事もほとんどお召しにならんようじゃ。水菓子ならばと用意したが、これも見向きもせんときた。このままでは本当に身罷られてしまいかねない」  柳の枝から覗いていた三娘の姿を思い浮かべていると、ぱちんと小気味のいい音がした。 「それでのう。苦肉の策じゃ。明日にでも|湖青《こせい》姫がこちらへ来るよう手配したゆえ、よしなにの。ほれとどめじゃ」 「ろ、老師。あやつを呼んだのか!?」  火龍は驚いた顔で、勢いよく身を乗りだした。だが老師はのんきに茶を啜りだす。 「湖青姫ならば、三娘さまの良き話し相手にもなりましょう。ただ問題はおぬしじゃ。くれぐれも城内で兄妹喧嘩なぞされるなよ。城が壊れるでのう」  そう言いながら老師は、満足げな笑みを浮かべて見せた。

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