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龍の真意

「どうなさるおつもりじゃ。火龍殿」  しゃがれた声が背後から聞こえてきて、振り返ると長い白髭(しろひげ)を蓄えた老人が立っていた。藍色の上衣の裾を引きずらせ、背の低い老人が柳の木の側に立っている火龍へと近づいてくる。白髪を高い位置で結わえた老人は笑みこそ浮かべてはいるが、火龍を見る目は鋭い光を放っていた。  老人は火龍が幼き頃より、彼の面倒を見てきた男である。そして炎龍の一族の中で最高齢を誇っており、皆からは老師と呼ばれていた。老師から尋ねられ、火龍はわずかに顔を顰めさせる。 「どう、とは?」  火龍に聞き返されたが、老師はそれに何も答えようともせずに、彼の隣で柳の枝から見える光景を眺め始めた。老師とともにそちらへ目をやると、長く垂れた枝の間から、水色の衣を身に着けた女の姿が見えた。三娘である。  三娘は腰掛けていた岩に突っ伏してしまい、小さな体をふるふると震わせていた。先ほどの突風のせいで、水盆が用をなさなくなってしまったからだろう。泣き出してしまった彼女のもとへ、侍女たちがわらわらと集まってくる。それを眺めていると、侍女たちが彼女の体を支えながら、建物へと向かっていた。火龍とともにその姿を見ていた老師が、表情を曇らせながら咎めるような目で火龍をにらみ上げる。 「三娘さまじゃ。あのお方をどうなさるつもりじゃと聞いておる」  厳しい口調で問われたが、火龍はそれを無視しその場から立ち去ろうとした。だがそれをやすやすと許す老師ではない。呆れたような表情で火龍の背中を眺めながら強い口調で問いかけた。 「あのままにさせておくつもりか? 答えよ、(じん)」  真名を呼ばれてしまい、火龍は立ち止まった。真名を口にできるものは目上の者に限られているし、特に火龍となってからその名を口にする者はいなかった。老師はそれを許されている一人ではあるけれど、それを口にするときはかなり感情的になっているときだ。それが分かっているので、火龍は心の中でため息を漏らしながら老師へと振り返る。 「ではどうしろと?」  そう聞き返すが、老師は何も答えてくれなかった。 「花嫁と定めし先代がおらぬ今、そのまま人界にいてもらった方がよかったのじゃ。なぜ、そうせなんだ」 「先代が花嫁と定めたばかりに、あの娘は迎えをずっと待っておったのだぞ? その一途さに応えてやらねばなるまい。迎えに行けなかった事情がどのようであろうともだ」  火龍は険しい顔でそう言い放った。三娘を迎えに行けなかった事情に、思い当たるものがあるのだろう。老師はそれ以上何も言わずに、柳の枝の間から三娘が腰掛けていた岩を眺めていた。 「火龍殿。ぬしの番じゃ」  老師のしゃがれた声がして、火龍は碁盤を見つめたままハッとした顔をする。視線を感じそれを辿ってみると、老師が怪訝そうな顔で見上げていた。 「どうした、ぼうっとして」 「いえ、別に……」  そう言って火龍は無表情のまま、持っていた黒い碁石を盤上に乗せた。すると老師に厳しい一手を打たれてしまい、このままでは負けてしまうことに気が付いた。  囲碁は盤上の戦争だ。黒と白の碁石を用いて互いの領土を増やしていく。稀代の戦上手とうたわれている火龍ならば、そうやすやすと老師に負けることはないのだが、このときばかりは勝手が違っていた。 「なんじゃ、その手は。つまらんのう」  顎に蓄えた見事な白髭を撫でながら、老師は不満げに漏らした。だが碁盤を挟んで向かい側にいる火龍は、それに動じず粛々と盤上を見つめている。それが気に入らないのか、老師はとどめを刺すように問いかけた。 「大方、三娘さまのことでも考えておったのじゃろう。意気地のないやつじゃ」  火龍をにらみ付けながら、老師は白い碁石を盤上に乗せた。火龍は金と銀の双眸を細め、険しい顔をする。だがそれに全く動じもせずに、老師は畳みかけた。 「ぬしの気持ちさえ変わっておらねば、そのままそなたの妻にすればよいものを」 「しかし三娘は兄上と約束を交わしておる。あの赤い玉がそのしるし」 「じゃが、それは壊れた」  ひと際厳しいまなざしを向けられて、火龍は窮してしまう。確かに先代が贈った玉は木っ端みじんに砕け散ったからだ。それに――――。 「しかもその玉に込められた先代の想念が三娘さまとおぬしを呼んだ。それは間違いなく―――― 「老師よ。もうよい。この話は終わりだ」  老師が話し終えるのを待たず、火龍は言い捨てるように遮った。老師が何を言わんとしているのか分からないわけではない。確かにあの玉に込められた先代の念は、三娘を仙界へ呼び寄せた。それと同時に火龍をもそこへ向かわせたのは誤魔化しようもない事実で、それが何を意味しているのか分からない火龍ではない。だがそれは決して許されないことだった。  一見何を考えているのか分からぬ無表情の裏で、火龍は苦悩し続けていた。老師が勧めるように、三娘を己が花嫁にしたい気持ちがないわけではない。だが真実を伝えることなく花嫁に迎えても、ずっと罪悪感に捕らわれる。それに彼女が真実を知ってしまえば、間違いなく憎まれるだろう。それが分かっているだけに、火龍は三娘にどう接すればいいのか分からなかった。  何も仙界に連れ帰らずとも、あのままそっとしておけばよかったものをと火龍は心の中で自嘲した。そうすればこのように心が乱れることなどなかったのに。敗色が濃厚となっている様が見て取れる碁盤を見下ろすと、向かいから老師がため息交じりに話し始めた。 「お寂しいのやもしれませぬのう……」  何のことやらわからぬ呟きが聞こえてきて老師を見ると、碁盤を見下ろしていた。 「女官たちが申しておった。このままでは、身罷ってしまうやもしれぬと」 「は!?」 「食事もほとんどお召しにならんようじゃ。水菓子ならばと用意したが、これも見向きもせんときた。このままでは本当に身罷られてしまいかねない」  柳の枝から覗いていた三娘の姿を思い浮かべていると、ぱちんと小気味のいい音がした。 「それでのう。苦肉の策じゃ。明日にでも湖青(こせい)姫がこちらへ来るよう手配したゆえ、よしなにの。ほれとどめじゃ」 「ろ、老師。あやつを呼んだのか!?」  火龍は驚いた顔で、勢いよく身を乗りだした。だが老師はのんきに茶を啜りだす。 「湖青姫ならば、三娘さまの良き話し相手にもなりましょう。ただ問題はおぬしじゃ。くれぐれも城内で兄妹喧嘩なぞされるなよ。城が壊れるでのう」  そう言いながら老師は、満足げな笑みを浮かべて見せた。
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