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第5話 スティンガー

「それは絶対、気があるでしょうねぇ」 「……ですかね」  夕方の給湯室。  ぼんやりしながらコーヒーを淹れていると、三浦先輩がタイミングよく来たので、二人分を用意しながらなんとなくりっくんとのことを話していた。ちびちびとコーヒーをすすりながら、先輩はうんうんと聞いてくれた。 「気にしてるわけじゃないんですけど」と口では言いながら、ふと気を抜いたときや眠りにつく前に、ぐるぐると彼のことが頭の中をめぐり出すのだった。「引っかかりますよね」 「まあ……こっちは眼中にありません、な感じでいいんじゃないかな? そもそも傷ついたばかりですよって顔でさ。というか、まだ求めてないでしょ、新しい出会いは」 「求めていませんけど……なんというか、白々しい……」  ため息をついたところで、会議だという先輩とは別れ、自分も仕事に戻った。  仕事をしている間は、全部忘れられた。そこそこ好きな仕事に集中していれば、悲しいことも、もやもやとした気分も、一切なくなる。  立ち直りかけている証拠なのかな、とそのときは考えながら、帰り支度を始めるとまた、悶々としてしまうのだった。 (……あー、だめだ。やっぱり今日も寄っていこう)  りっくんはいるかもしれないけれど、私は客としてあのバーに行くだけなのだから、気にすることはない。 (まあ、ただ他のバーを知らないだけなんだけどね……)  カララン――  明るい音を控えめに響かせ、足を踏み入れる。ふわっと香る、木の匂い。この瞬間が好きで、しょっちゅう通っている節もある。 「いらっしゃいませ、今日はどうする?」  笑顔で迎えてくれる誠くんが、一番の理由だけれど。「じゃあジントニック」  家族同然の誠くんがいる場所は、驚くほどリラックスできた。その上お酒を楽しめるのだから、それは何度も来たくなる。 「おしぼりです……どうぞ」  ……わかっていたことだけど。「ありがとう」少し気まずそうな顔をしたりっくんから、温かいおしぼりを受け取る。いつになくぎこちない私たちに、誠くんはライムをカットしながら首を傾いでいた。  聞かないで、と目線で送る。クスッと笑って、了解、という風に頷いてくれたのを確認して、ふう、と息をつく。空気の読める幼馴染のおかげで、純粋にお酒を楽しめそうだ。 「今日のお通し、新作なんだけど」  コト、と軽い音とともに提供されたのは、茶色く細長い枝のようなものと、絞ったクリームだろうか。 「なにこれ……あやしくない?」 「ひどい、これが美味しいんだから。まあ食べてみてよ」 「これ……つけるの?」  茶色い物体をつまむと、ひやっとした感覚が指先に。「お好みでどうぞ」ニコニコえくぼを揺らしている誠くんに、とりあえず何もつけず口に入れてみる。 「あ……これ、なんだっけ。オランジュショコラ?」 「そうそう、そんな感じ。オレンジピールの蜜漬けを、チョコレートでコーティングしたお菓子」 「へえ、ビターチョコかな? 甘すぎなくて食べやすい」  お酒のおつまみには微妙だけど、と付け加える。すると、スパークリングワインとの相性は抜群なのだと、何も言わないのにグラスを渡された。 「これはサービスだから。ほら、飲んでみて」  推されてグラスに口をつけると、フルーティな香りが広がって、チョコレートのねとりとした甘さを和らげてくれる。同時に、炭酸の効果で口の中がさっぱりして、なんとなく物足りなさを覚えたときには、オランジュショコラを口に運んでいた。 「あ……これは進むね」 「でしょ?」 「でも、これにクリームじゃ、甘すぎない?」  小さなスプーンでクリームをすくってみる。思っていたよりもしっかりと泡立ててあるようで、わずかに力が必要だった。 「そっちも食べてみてよ」  いたずらっぽい笑顔に、つられるように笑いがもれてしまう。幼いときから、自信に溢れているときは決まってこういう顔をする。そしてその自信には必ず、誰もが納得する理由や成果があるのだ。 「……え。あ、クリームチーズだ」 「正解。アルコールを嗜むなら、塩っ気が欲しいでしょ」 「うん……まだほとんど飲んでないから塩辛く感じるけど。これはどんどんいけちゃうなぁ」  感心してコリンズグラスを持ち上げる。濃い塩味を流すと、ジントニックをほぼ飲み終える頃だった。 「次はなに飲む? いつものにする?」  バーのオーナーはさすがである。「うーん……今日はさらっと飲みたいな」 「さらっと、とか言っても、強いのがいいんでしょ。……りつき、ジャック・ター作れる? 藍ちゃんによろしく」 「……かしこまりました」  頬が引きつっているのを遠目に見ながら、笑ってしまう。「不器用なんだろうなぁ……」口の中でつぶやいて、そうか、と納得する。りっくんのことを、どこか放っておけない気持ちで見ていた自分に。  今までは“若いバーテンさん”としての顔しか知らなかったから、見えなかった本当の彼。それが、しかしながらにじみ出ていたのかもしれない。だからついつい、応援するような気持ちになっていたのだろう。  結局、りっくんの株は私の中で上昇するばかりなのだった。男性として見ることはできないけれど、一人の人間として好感を持てる男の子だ。 「お待たせしました」 「ありがとう」  いつも通りの、形式的なやりとり。それですら今ばかりは、なんだか新鮮な気がした。  誠くんが他の人の接客に戻り、のんびりと飲み続けて数分。カララン、と響く明るい音にさりげなくドアを振り向いて、そのまま心臓が止まるかと思った。 「お、いるいる。今日は木曜じゃないよね」  聞きなれた声に。ドクン、と跳ねた心臓が早鐘を打つ。 「……綾人」  ついつぶやいてしまった自分に気づき、あわてて下を向く。バー全体を満たすゆったりとした音楽のおかげで、相手には聞こえずに済んだようだ。数呼吸の間、心を落ち着ける。  そろり、と顔を上げて様子を伺ってみる。隣に立つ、年の近い女性……私より一、二個下くらいだろうか。背は低め、茶色い髪はハーフアップにまとめている。清楚っぽいスカートの彼女が、おそらく綾人の新しい彼女だろう。 (それにしても……足元が……?)  彼女は綾人の腕にすがってどうにか歩いているように見えた。頬もかすかに赤く色づいている。 「木曜以外も顔出しますって……ひどいなぁ。今日も同じものでよろしいですか?」  誠くんの明るい声を聞きながら、私はこっそり唾を呑み込んだ。 ✳︎今回登場したカクテル(すべてのカクテルにこれらの意味がふくまれているわけではありません) ジントニック:強い意志 ジャック・ター:心の仲間を求める白雪姫 スティンガー:危険な香り
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