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第11話 ギブソン

「だめだ……なんか、違う……」  コト、と音を立ててスマホを机に置くと、そのまま突っ伏した。頭を使いすぎて、軽くめまいがしてくる。 「そもそも、あそこへ行くのにわざわざ連絡なんて、したことないもんね……」  はー、と声を出して息を吐けば、なんだか虚しく感じられて、やめようかとさえ思ってしまう。この四十分、ずっとこんな調子なのだから。お昼休憩をまるまる潰してしまう勢いであることに気づいて、もう一度スマホを持ち上げた。 (今夜行くから、私の分席空けといてね……だけでいいものかな)  たった数行のメッセージを何度も読み返しながら、誠くんの笑顔を頭に描き出す。店に入って一番に見せる、人当たりのいい表情。それが私だとわかった瞬間柔らかく細められる目は、幼い頃より凛として男性らしくなった。なんだかんだあったとはいえ、ずっと付き合いがあるから、あらためて思い返さないと気づかないことだけれど。ふと思い出したときにはちょっとドキドキしてしまう。  イタズラ好きで、頭の回転が早くて、甘え上手。子どもの頃から一緒にいるから彼のことはよくわかっているけれど、会う頻度が減った今、見ず知らずのお客さんに接している姿を見ると、どこか遠くへ行ってしまったように感じてしまう。誠くんが一人で大人になってしまったような気持ち。寂しいような感覚は、そのせいだと思っていた。  もしかして、もう少し自分に構って欲しいっていう感情だったのかも。 (って……まだしばらくは教えてあげないけど)  何十分もかけて書いたメールの文章を全部消して、たった二行を打ち込むと送信した。さて、午後の業務に集中できるだろうか。 「藍ちゃん。いらっしゃいませ、こっちどうぞ?」  一番端の席を勧める誠くんに、緊張しながら笑いかけた。荷物を棚へのせて一息ついたところで、タイミングよく差し出されたおしぼりを受け取る。 「めずらしいね、連絡してくるなんて。最初はジントニックでいい?」  テキパキとお通しを用意しながら、軽い調子に話しかけてくれる。いつも通りの彼に、ようやく心が固まった。ふぅ、と短く息を吐いて。それからまっすぐに誠くんを見つめた。 「ううん、今日はね……誠くん。ワインクーラー」 「かしこまりま……」  普段と変わらぬ笑顔で言いかけたところで、ピタッと固まる誠くん。笑顔もそのままに、何度も目を瞬かせている。この反応は予想していなかったな、とつい苦笑が漏れた。 「……今、なんて言った?」 「聞き返さなくても、誠くんの聞き取った通りだよ」 「え、じゃあ……」  大きく見開いた目を軽く伏せて、それからひとつ頷く。準備し終えたお通しを出し忘れて、カクテルを作りに行った、幼馴染みの背中をまっすぐに見つめた。  ――とうとう言ってしまった。  自分の注文を思い出して、今さらのように頬に熱が集まるのを感じた。 (いやいや……意識しすぎだって)  自分にツッコミを入れながら、何気なく店内を見渡す。いつもより遅めの時間に来たからか、平日だが人が多い。初めて見かける人もいる。通い慣れたバーの、新たな一面に出会えた気持ちだ。 「ごめん、お通し忘れてた……はい、今日は藍ちゃんの大好きなミニトマトのピクルス。と、ワインクーラーです」  すっ、と音もなく差し出されるグラス。それを満たす液体の、透きとおったきらめき。ワインを使ったカクテルを飲むことは少ないけれど、この重厚感と透明感を同時に表現できるのは、やはりワインならではなのだろうと感心しながら口をつける。 「うん……美味しい」 「本当? よかった、分量を間違えていないかドキドキしてたんだけど」 「そこは自信もってほしいんだけどな……あ、ねえ、誠くん」  何気ない調子に呼びかけてから、あわてて続けるべき言葉を探す。話すことがあったわけでもないのになぜか名前を呼んでしまっていた。 「どうしたの?」 「あ……ううん、いつもこの時間にはこれくらい混むのかなって」  ほら、いつもはもっと早く帰っちゃうから、とつけ足す。今のは不自然じゃないよね……不安になりながらちらっと誠くんの表情を伺うと、店内を見渡して柔らかい微笑みを浮かべた。 「いつもよりちょっと多いかもね。っていうか、つい数週間前来たときはかなり人いたでしょ。藍ちゃんが呑んだくれているうちにほとんどが帰っちゃったけど」 「ちょっと、その言い方だと私が酔っ払っていたから人が帰っちゃったみたいじゃん」 「ごめんごめん、そんなつもりじゃな……あ、はい、なんでしょう」  他の人に呼ばれると誠くんは、笑顔を残したまま応対へ向かった。心底楽しくて笑っているときの表情のまま。  そんな彼に、もう一歩だけでいいから近づきたいと、今度こそはっきりと思った。  できれば、隣に立ちたい、と。  そのために今日、いろんなカクテルをあらためて調べ直してきたのだ。  ふーっと長く息を吐いて、スマートフォンを取り出す。なんだかんだと言っていても、まだまだ時間はあることだし。緊張していたらすぐに酔ってしまう。  なんとなくSNSを開いて眺めているうちに、グラスはあっという間に軽くなっていった。 「……藍さん、何か飲まれます? 僕、これで最後なので」  りっくんに声をかけられてほぼ空のグラスに気づくと、いつもの調子に飲み慣れたものを頼みかけて、ふと口を閉じた。  今日は、いつもよりずっと慎重にいかないといけないのだ。落ち着いて、考え直して、ゆっくりと口を開く。 「ナッツと、あとジプシー」 「ジャイアントコーン抜きですよね。かしこまりました」 「そうそう、ありがとう。……ねえ、りっくん」  控えめな笑みを浮かべる彼が、キラキラと輝く瞳を上げる。その全身から優しさが溢れてくるのがわかり、いい子だなぁ、と率直に思った。きっと、彼とお付き合いする女性は、この上ない幸せを彼と分かち合うんだろうな。  そんな思いがよぎって、おばさんみたいだと少し落ち込む。 「ジプシー、ってあとで調べてみて」 「調べるんですか?」 「そう。とりあえず検索かけてみて」 「……? はい、覚えていたらやってみます」  答えた彼の目元は、ちょっとだけ疲れが滲んでいる。まだまだ成長途中な彼でさえ気づいた現実と、これから私は向き合わなければならない。 ✳︎今回登場したカクテル(すべてのカクテルにこれらの意味がふくまれているわけではありません) ワインクーラー:私を射止めて ジプシー:しばしの別れ ギブソン:決心
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